第2話 月の聖女は誰を狩る
「動かないでください。さもなくば――殺します」
少女は俺にナイフをそっと首に押し付ける。
恐ろしくも冷たい感触からは死の気配を感じた。
「ッ……!? ま、待ってくれ! 誤解だ、俺は君を助けようとしただけだ!」
「……本当ですか?」
怪訝そうな瞳。
今すぐにでも喉を掻っ切ってきそうな勢いだ。
「ほ、本当だっ!」
「じゃあ、どこに私を運ぶつもりだったんですか?」
「教会だ。呪いを解呪してもらって、あわよくば孤児院で引き取ってもらおうと思ってさ」
ジィーっと赤い瞳が俺を見つめる。
まるで全てを見通されたような感覚がした。
「……嘘は言っていないようですね」
無限にも感じられる沈黙の末……少女は、首に突きつけたナイフを仕舞った。
「はぁ……死ぬかと思った……」
警戒心、素早いナイフ術……この少女、只者じゃない。
一体、どれだけ壮絶な人生を送ってきたんだ……?
「……ですが、教会に連れて行くつもりなら抵抗させてもらいます」
突然、少女は目を伏せながらボソッと言った。
「それは……どうして?」
「……教会という場所にトラウマがあるんです。詳しいことは……話したくありません」
「っ……そっか」
彼女の言葉に嘘は感じ取れなかった。
無理にでも教会に連れて行こうとしたら、走って逃げ出しそうな勢いだ。
「――なら、今夜は取り敢えずウチに来るか?」
「……え?」
「いや、だって君、寝るところ無いでしょ……?」
俺がそう言うと、少女は目を丸くした。
「か、仮にも私は貴方を殺そうとした人ですよ……? そんな人を家に上げるって……どうかしてるんじゃないですか?」
「そうか……? 殺そうとしたのは、俺が誘拐犯だと勘違いしたからだろ? なら大して気にしないさ」
「……そう、ですか」
少女は俯きながら、しばらく考えると――
「……では、お言葉に甘えて家に泊めさせていただいてもいいですか?」
「もちろん。さあ、行こうか」
俺は少女の手を引きながら、自宅へと向かうのであった。
――◇――◇――◇――
「ここが……貴方の家ですか? ……やけに広くないですか?」
そこには普通の住宅より一回り大きな家があった。
二階建てであり、四人くらいなら普通に住めそうな大きさだ。
「実は昔、別の人たちとシェアしてたんだよ。今、住んでるのは俺一人だから少し手に余ってるんだけどな」
少し肩をすくめると、家の中に少女を案内する。
「ふぅん……結構、中も綺麗ですね」
「まあな。ささっ、テキトーに座ってくれよ。腹減ってるだろ? ……あっ、それよりも先に風呂の方が良いか」
俺は少女の身なりに目を向ける。
彼女の服は酷く汚れており、全身に煤のような黒い汚れが付いていた。
「っ……お風呂があるんですか!? 普通は貴族の家にしかないはずじゃ……!」
「あ~……実は俺が風呂好きでさ」
「そうなんですか……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて使わせていただきます!」
少女は明らかに嬉しそうに口角を上げた。
「……そんなに風呂が好きなのか?」
少女が風呂に入っている間、俺は少女について考えを巡らせる。
風呂に入ったことがあるのだろうか。
となると……元貴族?
そういえば……『月の聖女は君と舞う』のアリシアも途中から元貴族になっていたよな。
――その時、どうしてかアリシアの顔と少女の顔が重なった。
「……そういえば、あの子の目元とか顔付きって……ちょっとアリシアと似てるよな」
アリシアに妹は居なかったはず。
じゃあ、同一人物――?
「……なわけないか。そもそも髪色も目の色も違うし……何より年齢が違うじゃん」
アリシアは現在、17歳。
対して少女は精々、10歳くらいにしか見えない。
明らかに別人だろう。
「さて……飯の準備でもするか」
そう思って立ち上がった時。
「――あ、あの……」
――突然、風呂場から声がした。
振り向くと――そこには、タオルを体に巻いた少女が。
「ッ!?」
別に見えてはいけない場所は全て隠されているはずだった。
体から上がる湯気、仄かに赤らんだ頬、水に濡れた髪……。
妙に雰囲気が艶っぽいのだ。
俺は咄嗟に目を逸らし、頬をつねる。
ふぅ……危ない。あと少しで変な趣味に目覚めそうだった……。
「えっと……どうして頬をつねってるんですか?」
「え、え? なんか、そういう気分だったから?」
「は、はあ、そうですか……えっと、着替えとかってあります? 最悪、無くても良いのですが……」
「ある、あります! ありますから脱衣所で待っててくれ!」
「……? わかりましたけど……」
俺は家の中から必死に女物の服を探し出し、少女に手渡した。
「ありがとうございます、少し大きいですが……助かりました」
体を清潔にし、綺麗な服に着替えた少女はさっきと見違えていた。
肌は本来の白さを取り戻しており、肩まで伸ばされた黒髪は絹のように滑らかになっている。
どうして、この子がゲーム本編で登場しないのかと思うくらいに美しかった。
「そんなに見つめて、どうしたんですか?」
「ああいや、なんでもないよ」
「……? そうですか」
少女は不思議そうに小首を傾げる。
動作一つ一つが、可愛いなぁ。
って、見惚れてる場合じゃない。
「ええっと……とりあえず、ご飯にしよっか? お腹すいてるだろ?」
「……良いんですか? ご飯もいただいても……」
少女は申し訳無さと警戒心が混じったような表情をする。
「もちろん、といっても簡単なものだけどね」
俺はパスタの麺を取り出し、手早く調理していく。
……少女がじっと見つめてくるのが気がかりだが、まあいい。
十数分後、完成した料理を机に並べた。
「さあ、食べようか」
「は、はい」
俺達はテーブルを挟んで座ると、パスタを口にする。
うん、簡素だけど普通に美味い。
それを見て少女は警戒しつつも、パスタを口に入れた。
「……美味しい」
「そうか? なら良かった」
少女は無言で勢いよくパスタを食べ進めていく。
しばらく、何も食べていなかったんだろうな……。
「……な、なんですか? そんなに見つめて……」
「ああ、悪い。なんでもないよ」
少女は怪訝そうな視線を送ると、食事を再開した。
そうして、俺も少女も食事を終える……
「……ありがとうございます。とても美味しかったです」
「ふふっ、なら良かったよ」
これで少しは警戒を解くことが出来ただろうか。
俺は少女に優しい眼差しを向けた。
「ウチには気の済むまで居てくれて構わないよ」
「ありがとうございます。でも……流石に悪いですよ」
「いやいや、いいんだ。こんなに広い家だから一人増えたくらいじゃあ窮屈しない。それに……誰かが居たら俺も寂しさを紛らわすことができる」
「っ……そ、そうですか。じゃあ、しばらくの間、よろしくお願いします……」
「うん、よろしく。一応、名前だけ聞いてもいいかな?」
「私はアリ――……いえ、『リア』です。私の名前は『リア』」
「ふぅん、リア……ね。俺はアスタ。よろしくな」
俺は少女――リアに手を差し出す。
すると、リアは一瞬の逡巡を挟んだのち、手を取った。
「よろしくお願いします……」
リアの手は、心配になるほど小さくて心許なかった。
けれど……どうしてだろう。
――彼女と握手した瞬間、ドス黒い何かを感じ取ってしまった。
……なんだ、これは。
今までに感じたことの無い程、おぞましい気配だったぞ。
「どうしましたか?」
「ああいや、何でもないよ。それよりも、今日はもう遅いし、そろそろ寝ようか」
「……わかりました」
俺は食器を片付けると、リアを寝室へ案内した。
当然、部屋は分けるつもりだ。
俺は別の寝室で寝ることにしよう。
「じゃあ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
その後、俺もやらなければいけない作業をした後、眠りに付いた。
「……あ、あの」
すると、しばらくした後、枕を持ったリアが不安げな表情で寝室を訪ねてきた。
「すみません……一人だとトラウマが蘇ってきて眠れないので、一緒に寝てもいいですか?」
「っ……」
一緒に……一緒にかぁ。
色々と大丈夫か?
……いや……相手は幼い子供だ。
流石に大丈夫だろ。
「いいよ。こっちに来るといいさ」
「ありがとうございます。じゃあ……」
リアはベッドに入り、俺の真横で寝転がる。
俺はなるべく意識しないようにリアに背中を向けた。
しかし、逆に聴覚が敏感になり、リアの息遣いや衣擦れ音が気になってしまう。
こりゃあ……当分、眠れなさそうだ。
俺は心の中でため息をつくのであった。
――◇――◇――◇――
深夜3時。
街の誰しもが眠りにつき、静寂に包まれた頃。
リアは機械のようにパチリと目を覚ました。
「……流石にもう寝ましたか」
彼女は隣で静かに寝息を立てるアスタを見ると、自身の懐をまさぐる。
そうして取り出したのは――
――鋭利なナイフだった。
「……ごめんなさい」
リアはアスタに何の恨みもなかった。
むしろ、優しくしてくれたことに恩を感じていた。
けれど――
「私は世界を滅ぼすと決めた。それに……もう裏切られるのは嫌だから」
リアは苦い顔をすると、アスタの首にナイフを押し当てた。




