第8話 言葉にしない約束
その日は、特別な出来事のない一日だった。
朝は少し曇っていて、
昼には晴れ、
夕方にはまた風が出た。
それだけのこと。
けれど私は、
なぜか落ち着かないまま過ごしていた。
理由は分かっている。
今日は、
エドワード様が再び屋敷を訪れると聞いていたからだ。
用件は、
父との打ち合わせ。
私は関係ない。
そう、何度も自分に言い聞かせた。
夕方、
庭で一人、本を読んでいると、
足音が近づいてきた。
「失礼します」
顔を上げると、
エドワード様が、少し離れた位置に立っていた。
「父は、まだお話し中です」
「承知しています」
彼はそう言って、
それ以上近づかなかった。
「……ご一緒しても?」
「どうぞ」
それだけのやり取り。
距離は、
相変わらず一定だった。
沈黙が続く。
けれど、
居心地は悪くない。
「最近、よく庭にいらっしゃいますね」
彼が、何気ない調子で言った。
「ええ。
静かなので」
「そうですね」
それ以上、話題を広げない。
――本当に、不思議な人だ。
会話を続けようとしないことが、
こんなにも安心につながるとは。
「一つだけ」
彼が、少しだけ声を低くした。
「あなたが、
無理をしていないかどうか」
私は、本を閉じて答えた。
「していません」
「……それなら、よかった」
その言葉には、
余計な感情が含まれていなかった。
ただの確認。
ただの安堵。
それなのに、
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
「私は」
彼は、言葉を選ぶように、
一拍置いてから続けた。
「あなたが、
今の距離を選んでいることを、
尊重しています」
それは、
もう何度も示されてきた態度だった。
けれど、
言葉として聞くのは、初めてだった。
「ですから――」
一瞬、迷いがあった。
ほんのわずかな、躊躇。
「それ以上のことを、
望むつもりはありません」
その言葉は、
私を縛るものではなかった。
約束でも、
条件でもない。
ただの宣言。
――私は、あなたを追わない。
そう、はっきり伝えられた気がした。
「……ありがとうございます」
私は、そう答えた。
感謝が、
自然に出てきたから。
彼は、わずかに目を細めた。
「どういたしまして」
それ以上、
何も言わなかった。
けれど、
その沈黙の中に、
確かなものがあった。
言葉にしない約束。
踏み込まないこと。
待たせないこと。
期待させないこと。
そして――
離れないこと。
父の呼ぶ声がして、
彼は立ち上がった。
「では、失礼します」
「はい」
去り際、
彼は一度だけ、こちらを振り返った。
「寒くなります。
無理はなさらないで」
それだけ。
けれど、
それで十分だった。
夜、部屋に戻り、
灯りを落とす。
胸の奥に残るのは、
高鳴りではなく、
静かな温度。
恋、と呼ぶには、
まだ早い。
けれど――
拒まなくてもいいものが、
そこにあると知った夜だった。
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