第29話 答えを急がない人
その日は、
夕暮れが少し早かった。
空の色が変わるのを、
私は庭の小径で眺めていた。
昼間の不安が、
完全に消えたわけではない。
けれど、
胸の奥で静かに沈殿して、
騒ぐことはなくなっていた。
「……ここにいらしたのですね」
振り返ると、
エドワード様が立っていた。
声の調子も、
歩いてくる速度も、
いつも通り。
それだけで、
私は少しだけ安心する。
「はい」
それ以上、
言葉を足さなかった。
並んで歩く。
この距離にも、
もう慣れている。
けれど今日は、
少しだけ、言葉が重い。
私は、
迷いながら口を開いた。
「……昨日、お話ししたことですが」
彼は、
すぐに視線を向けた。
「はい」
促すでもなく、
急かすでもない。
ただ、
そこにいる。
「不安を、
少し整理してみました」
私は、
言葉を選びながら続けた。
「続いているからこそ、
失う可能性を考えてしまうのだと」
彼は、
頷いただけだった。
否定も、
安心させる言葉もない。
「それで」
私は、
次の言葉を探した。
この先を言えば、
何かが変わる気がしていた。
関係が壊れるわけではない。
けれど、
“段階”が変わる。
「……私」
その瞬間だった。
「ここで、
止めておきましょう」
彼の声は、
とても穏やかだった。
命令でも、
拒絶でもない。
ただの、
提案。
私は、
思わず足を止めた。
「止める、ですか」
「ええ」
彼も立ち止まる。
「あなたが、
言葉にしようとしているものは」
一拍、置いて。
「今、
形にしなくていいものだと思います」
その言葉に、
胸の奥が、静かに揺れた。
「……でも」
私は、
反射的に言いかけた。
彼は、
首を横に振る。
「怖さを言葉にすることは、
悪いことではありません」
「ですが」
視線は、
とても静かだった。
「答えを急がせる言葉に、
変えてしまう必要はない」
私は、
しばらく何も言えなかった。
止められたことに、
不満はない。
むしろ――
救われていた。
「言わなくてもいい」
ではない。
「今、言わなくていい」。
その違いが、
はっきり分かる。
「……私は」
私は、
ゆっくりと言った。
「あなたが、
いつか答えを求めるのではないかと」
「それが、
少し怖かったのかもしれません」
彼は、
迷いなく答えた。
「求めません」
即答だった。
「あなたが、
言葉にするまで」
「あるいは、
しないと決めるまで」
そのどちらも、
同じように尊重する。
「……それは」
私は、
少しだけ息を吸う。
「長い時間に、
なりますよ」
彼は、
わずかに微笑んだ。
「承知しています」
その微笑みは、
覚悟でも、忍耐でもない。
ただ、
当然のことを受け入れている表情だった。
再び歩き出す。
夕暮れの庭は、
静かだった。
私は、
胸の奥が軽くなっているのを感じる。
不安が消えたわけではない。
けれど――
不安を“言い切らなくていい”場所に、
私は立っている。
夜、
部屋に戻る。
私は、
今日の出来事を思い返していた。
不安を言い切る前に、
止められたこと。
答えを出す前に、
守られたこと。
それは、
囲われることではない。
沈黙を、選択として尊重された
ということだった。
「……この人は」
私は、
小さく呟く。
「私の言葉より、
私の速度を見ている」
それが、
何よりの溺愛だと。
今夜は、
はっきりと分かっていた。
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