24 パンドラの箱に残った見えない希望ってもしや「知らないほうがいい真実」だったりする?
カーツィ…カーテシー的な所作。男性はボウアンドスクレープ。ツァウヴァーン国民は感謝謝罪ごまかし含めその場のノリで便利に使いがち(国民性)。見せられた側はノリでごまかされがち(国民性)。
消滅の魔法…伝説の魔法。アウローラは師匠から教わった。
ドエスペルモル…真正。アウローラの涙目が特に好物。おめめ潤んでたら増量を狙って言葉攻めしてくる。羞恥心や恐怖心をあおる言葉選びでエグエグさせるのがお好み。人格否定系などのモラハラ言語は転移前に浴びてきたのでマネできるが「ああはなりたくない」。ドS運用に基準があるらしい。ちなみに姉の涙は地雷。
幼体の身体に見える怪我はない。だが、その心に致命傷を負っていた。己の心から噴き出す血の音を聴いた瞬間、その子はとっさに耳を塞いだ。
これ以上、失望しないために。
傷を広げないために。
そうして静かになった世界でひとり幾日も放心し、幼体はふと気づいた。
(力が無い…わけじゃない)
幼体は「よくわからない何か」から踏まれたときに、大きな進化を遂げていた。そのおかげで無事に逃れることができたのだ。得体の知れない脅威から、自力で脱出した。無力の者に出来ることではない。
乾きを覚えたその子は四つん這いで這い出た。倒木の隙間から、一歩を踏み出した。
(だって、逃げきった。…恐ろしかった。今も、何が何だか分からない。
だけど最初は優しかった。ボクが楽になれる選択肢を教えてくれた)
恵みの雨が降るうちは糧に困らない。たくさん取り込み、また隙間に戻ろうとして、その子はよろけた。急に雨が強くなり、波に圧されたのだ。
季節が変わる頃だというのに、いまだ凪がこない。森に満ちた余剰エネルギーが凪いでいないために降る雨が荒ぶり続ける。
波がぶつかるたび、小さな体はよろけ、とうとう転ぶ。
だがその子はそれに慣れ始めていた。身を沈めて石につかまり、雨が落ち着くのを待つ。
(皆の声を聴かないようにしたら、こんなにも楽だ。あの「何か」の言う通りになった。
…最初はボクと同じように喜んでいたのに。話せるのが嬉しいって。
どこから変わったんだろう? 何が気に障ったんだろう?
ボクが余計なことを言わなければ、優しいままだったのかな…)
波が落ち着いた。
何も持たないその子は、よろけながら立ち上がる。
今まで居た倒木の隙間はなくなっていた。波に叩かれ、崩れ落ちていた。
その子はそれを眺め、すぐにあたりを見回す。別の隙間を求めてさまよいだした。
雨がまた少し強くなる。よろける。どこへいくともなく、静かに波に翻弄されながら、幼体はひとり、雨の波に流されていった。
◆
異変だらけの異界を目の当たりにした一行は、禊を終えた者からいったん解散した。
スペルモルは夫婦を引き連れ、まっすぐ談話スペースへ向かった。
シャシャシャと神楽鈴を鳴らす。「聞こえたらそれでよくね」といったおざなりな音は、スペルモルによる全員集合の合図だ。
女神とは、そこここで好き放題している生き物である。
全員が揃うまで時間はある。
スペルモルはおもむろにアウローラを見た。
視線を向けられたアウローラはすぐさま動いた。初手はカーツィ。沈痛な表情で反省を表現し、美しい完璧な所作で今後の成長に期待を抱かせ、「しかたねぇな…今回だけは目ぇつむってやるよ」を引き出そうとする、もうさんっざん使い倒したいつもの手だった。
スペルモルは内心でほっこりした。
(コソコソ相談したあげくやっぱソレか。マジおもしれーな、この夫婦)
いつもの手なだけに、お約束が成立していた。スペルモルは嬉々として悪癖を披露した。
ドS少年は「オラオラどーしたまだ涙あんだろまだ出せんだろ泣くの得意だろガンバレガンバレ」とたっぷり言葉攻めし、アウローラをしこたま涙目にした。そんな妻を庇うべくレルムが参戦してきたが、お察し。
レルムごと言葉攻めしてやると、口ゲンカ苦手な大男はたちまち涙目になった。いつも通り「スペルモルが容赦ないツラい哀しい癒してアウローラ」と妻にしがみつく。お約束。
夫婦は板飴を差し出してきたが、ドSペルモルは好物の涙目をたっぷり鑑賞できたので十分に心が満たされていた。ので、「リンとアンナの口に入れてこい」と命じた。
レルムがふっと消えた。数十秒後、ふっとあらわれる。
「入れてきました。
ふたりとも、今日はもうヒュプシュ嬢のそばにいるそうです。お腹の凪と握手していたいらしく。
付き添いのヴィルヘルミナ嬢たちは揃って祈祷していました。ふたりの恐怖を癒やせるか「治癒」を試みると言っていました。
5人は来れそうにないですね」
スペルモルは面食らった。困惑しつつ頷いた。
「…確かにキモかったが…そこまでのダメージなのか。分かった、ありがとう。
よし、兄上たちが来たな。
アウローラ、要約は終わっているか? シャンとしろよ、いつまで美味そうな顔してんだ。舐められ待ちか?」
「!? 舐めないでね?!
…待って。待って嫌な予感。レルム、メッよ? 軍用犬じゃないものね? 自分でそう言ったものね? まさかと思うけ…、メイク! めッ! レルム、めッ! もうっお化粧したばかりなのにっ。
少し席を外します。リンたちの様子見がてら、直してから戻りますね」
((なにも変わらないのに))
少年と夫の意見は一致したが、淑女の眼光を浴びたくなかったので黙って見送った。乙女の矜持、触れるべからず。
頼れるオジらがソファに座ったので、スペルモルは異界の異変を報告した。
ヒュプシュの部屋から戻ってきたアウローラに詳細を尋ねると、なかなかに濃い情報が提示された。
異界全土が「不毛」の呪いに侵されていること。前々日に一部エリアが解呪されたことで、新たに生命の起源が誕生したこと。
アウローラは言った。
「私の影響なので、異界の生命体は全て私の眷属なのだそうです。
師匠が言うには機を逃していると。本来ならもっと前にLUCAを設定するそうで…、ええと。全生物の共通祖先のことです。
あのウゴウゴちゃんたちはいずれ人間に進化する存在らしく、もっとも、何十オク?年とかいう単位で先の話なのだそうですが…あら、どうしました、スペルモル?」
たまりかねて頭を抱えると、きょとん顔の淑女から心配された。
スペルモルは半眼で唸った。
「…アウローラ。その事実は、さすがに俺も…いや、消化してみせる。時間をくれ。
ただ、女衆には…知らせないほうがいい。内密で。頼む」
「え? あ、はい。そうかも? そうします」
アレインがすばやく挙手した。
「アウローラ。おいちゃんは知りたいよ。詳しく知りたいよ。にじかみから見える世界を、じっくり!」
研究者はウッキウキでねだった。アウローラは快く頷き、似た者同士の叔父と姪は一緒にお喋りする約束を交わした。
その流れでふたりは打ち合わせをはじめ、「あら。叔父上さまとならアレとかコレとか試せるかも?」「たのしそう」「じゃあいっしょにあーそーぼー」「いーいーよー(語尾ハート)」「「どれからあそぶ?」」などと弾丸発射する勢いで脱線しかけたため、スペルモルが「そっから先も後にしろ」とツッコみ、何とか話の流れを本来の路線へ引き戻した。
引き戻されたアウローラは語った。
師匠いわく、新世界は現在、4つの部品で構成されているらしい。
異界、壊れた次元の大地、神域投影、あとひとつ。
もともと「神域投影」内には古代人時代の生態系が同時に存在していた…らしい。
レルムは挙手した。
「それはつまり、この世界にも虫がいたということか? 見えなかっただけで? ずっと前から? 動物も? …人も?」
「ええ、人も」
アウローラはさらっと答えた。
「私たちが女神だとすれば彼らも精霊よ。木々や水、そういう自然の環境を共有していて、私たちは恩恵のみを得ている状態ね。
私たちが植えたリンゴの苗は、あちらからすると急に現れた御神木なのですって。
実は前々からおかしいって思っていたのよね、だってこの環境を維持するためには絶対に生態系の…あ、水質もだけど、ええと、そのあたりも色々と聞けたの。あのね、」
兄弟が素早く片手をかざした。カイザルはさらにアレインの発声器官を塞いだ。
レルムは、きょとんとする妻を愛でてごまかした。
「その色々については後で閣下と。な?
でも、そうか。それでか…」
レルムはしみじみ呟き、スペルモルは遠い目をした。
「穴あきどんぐりの謎が解けた。この情報も、慎重に扱う必要があるな…」
「? スペルモル? あちらからは干渉できないのよ? 接触されないわ?」
「異界でのリンやアンナを思い出せ。知ったらパニックに陥る。いっそ機密でいい気がする」
レルムも同意した。
「せめて出産を終えて落ち着くまでは保留にしないか」
アレインもジェスチャーで同意した。
カイザル様ぁが総括した。
「知らずともやってこれた。今後もやっていけるようにしてやればすむ話だ。
問題が起きればオレがなんとかしてやる。
この話は以上だ。次」
生きとし生けるもの全てへっちゃらな虫愛ずる淑女は、腑に落ちない顔をしながらも神妙に頷いた。
アウローラはさらに師匠との会話の内容も報告した。
夫婦がお詫びを貰っちゃったことも伝えた。
「というわけで、師匠からは「我らでなんとかするからそれまで待っていてね」と、言われました。以上です」
「…どのくらい待てば?」
スペルモルが尋ねると、アウローラは小首を傾げた。
「そういえば、期間は。聞いてみます」
虹色に光りつつ、アウローラは師匠に連絡をとり、同時に報告もはじめた。
次元の成り立ちや真理を前提にしたような「おいこれは一介の生物が知っていいヤツか?」的な情報をさらりと口にする姪っ子に、とうとうアレインの箍が外れた。
彼は食らいついた。アウローラを中継し、師匠とアレインは何やら専門用語でやりとりを繰り返した。
最終的に「叔父上さまはよく学んでいて偉いので、師匠がご褒美をくださるそうです」となった。
アレインはなにかしらを下賜された。
アウローラいわく、ちゃんと受け取っているらしいが、アレインは「…実感がない」と首をひねった。
同じく下賜されているレルムも首をひねった。
「木刀を濡らしたら光り方が変わった。変化といえばソレくらいで、実はおれもよく分からない」
神域投影に属する唯一の上位存在なのだから、分かっていて欲しい虹髪までもが、何故か首をひねった。
「ええと。なんでしょう…? これって、いつどんなときにどう使うのかしら…?」
兄弟は無言で目を閉じ、叔父と夫は愛すべきぽんこつを愛でた。
とにかく情報が出揃った結果、生命大爆発中の区域は立入禁止、師匠預かりとなっていたことが発覚した。
「第2回 にじかみの職業体験 ~おともだちといっしょにだいぼうけん! みて、ふれて、ほんものをしっちゃおう~」を、開催予定なのだそうだ。
「工事期間中に異界で遊ぶなら、モドキがいない区域でね、だそうです…ええと、大丈夫ですか?」
対面するソファで、カイザルとスペルモルが並んで同じポーズをとっていた。
スペルモルは長兄リスペクトからカイザルの真似っこをしがちな少年だが、今回に関しては偶然だった。
同じ体勢で額を指先で押さえ、兄弟は頭痛に耐えていた。
同時に深いため息を吐き、ゆっくりと顔を上げ、そっくりの虚ろな表情で「「…問題ない…続けろ…」」と声を揃えた。
心中を察したアウローラは眉尻を下げた。
「イベント名…ですよね。分かります。でも、師匠はふざけているわけではないのです。本気なのです。
実は私、不本意ながら師匠から赤子扱いされておりまして。何故かと申しますと、ええと」
もたもたと冗長な説明に入りかけたアウローラを、スペルモルは片手をかざして止めた。
「いい。分かる。分かってねぇけど。勘弁してくれ…「消滅の魔法」を幼児語と呼称するような超越的存在の価値観にかまう余裕ねぇよ。消化どころか咀嚼すらできねぇ。
バカにされ…てはいないようだが不愉快。直接的な交流をせずにすむのは幸いだ、俺は一切を受け流すことにする。
…自分の感情が邪魔だ…思考が追いつかない…脳が沸騰しそうだ…」
スペルモルは親指を唇に押し付けっぱなしだった。情報過多でほぼ溺れていた。必死に考えを巡らすなか、つい呟きが漏れた。
「…深淵は立入禁止区域にある。やっとあそこまで浄化できたのに。モドキの侵攻はどうなる…?」
答えたのはアレインだった。
「恐らく解決だろう。師匠の介入により呪物モドキの絶滅が期待できるからだ。
それから深淵の浄化についてだが、我が友、僕は皆に謝らねばならない。あれは僕の判断ミスだ。
深淵には役割があった。師匠いわく、枯らせば生命の顕在意識に悪影響が出る可能性が高いとのことだ。知ったからには対処せねば。
危険物であることは確かゆえ、健全な維持管理に至るまで途方もない年月が必要となるだろう。機械人種の寿命では足りない。ゆえに論文で詳しく遺…、
論文。データ足りない。まだかけない。おいちゃんはもどかしい。となると、やはり待ちわびるのは職業体験。期待大」
アレインはふと小首を傾げた。うつむくスペルモルの顔を覗き込んだ。
「我が友、顔色が悪い。なにやら焦っているように見受けられる。
どうだろう。ここはひとつ、おいちゃんに話」
「っ焦ってねぇよ! 俺は落ち着いてる。考えてるよ、ちゃんと。ただ…、」
スペルモルは絶句した。心を占めるモヤモヤが溢れて収拾がつかず、眉根が寄る。
脳内を整理するため、仕方なく本音を口にした。
「ただ…気に食わないんだよ。
俺が原因で始まったことだろうが。地道に片付けようぜって皆で決めたばっかで、なのに横から「後はこっちでやっておくから」は…おかしいだろ。
そもそも俺まだ何もしてねぇ。皆にお膳立てしてもらっただけで、最後すら人任せって…情けなさすぎる。納得できねぇ。
呪物モドキは俺のやらかしだ。俺がカタつけるべきだろが。
せめてトドメくらいはやるつもりで、俺はずっと準備して…、なのにこんな展開…モヤつくんだよ。分かっちゃいるけど、フザけんなって思っ…、…んだよ…?」
おとなたちからの温かい視線を一身に注がれたスペルモルは、カチンときた。
「その目やめろ。ガキ扱いしやがって、クソ…っ。
わぁってるよ。リンは悪くないんだ、だったら俺もそうって言いたいんだろ。けど、事の発端は俺だ。こんな厄介ごとを持ち込んだんだ、そのせいかも知れないじゃん、リンがかまってくれな…、っち、なんでもねぇ。
とにかく保留だな、了解。深淵も涸らさないほうがいいんだろ、アレインが言うなら俺は信じる。
ちゃんと待つ。以上。次」
自己完結した少年に、おとなたちはさらにデレた。
責任感のある将来有望少年の矜持。とても好ましい。
愛しさ極まったおとなたちは個性豊かに少年にかまった。調子にのってかまい倒した。
世界を汚した張本人は、特に愛でまくった。
ウザ絡まれた12歳はブチギレた。お約束として男同士の会話へ移行し、お約束として少年は力尽きた。
アウローラの膝枕で動けず、よってたかって髪の毛グッシャグシャになるほど頭皮を揉まれながら歯ぎしりする羽目になった。
ヒュプシュの部屋にいるリンは、あいにく愛でられる弟を目撃できなかった。そのほっぺたはヒュプシュが分けてくれた隠しオヤツで膨らんでいた。
異界の様子をアンナから聞いたヒュプシュは震え上がった。
「ひぇえ…っ。想像だけでも怖すぎる。酷い目に遭ったね。忘れなきゃ。
ほら、もっと食べよ。美味しいよ。忘れられるよ。ミナ姉さまも食べよ。はい、あーん。こっちもあーん。アンナも、リンも、あたしもあーん」
ついでに自分の口にも放り込みながら、ヒュプシュは秘蔵の一口チョコレートを大盤振る舞いした。
というわけで、異界への出勤はなくなった。
女神たちの日常は、モドキ事件以前に戻った。
新たな変化といえばイケオジたちの治療、ただそれは女神たち的に娯楽が増えて大歓迎だったので、好ましい平穏な日々を取り戻したといえる状況だった。
カイザルとスペルモルの心中とは裏腹に、全てが順調に動いていた。
ところで、リンの推しはレルムである。
真面目で優しいお兄さん。威圧感を消してくれて、穏やかな笑顔を向けてくれる。
意地をはっていた頃は、謎の恥じらいをごまかすべく居丈高に接していたのに、受け流してくれた。優しく頷いて、おねだりを叶えてくれた。
思いっきり飛びついても揺るがない大きな身体は居心地が良い。移り香はとても落ち着く。
前の騎士らしい髪型も似合っていたが、今の短髪は率直に言って大好き。
妻絡みでよく挙動がおかしくなるが、慣れた今となっては好ましいばかり。
ふたりがおっとりと寄り添う姿には絶対の安心感がある。いつ見ても幸せそう。推せる。ずっとそうあって欲しい。
アンナは教えてくれた。この感情は「箱推し」なのだそうだ。
ちなみにリンの最推しは「ヴィルさま」。男装ヴィルヘルミナである。
妖しい雰囲気が大人っぽくて素敵。常に内心を読ませない表情ながらも、そのまなざしは慈悲深い。瞳で語る包容力、好ましい。
ひたむきに己の務めに向き合う滅私な奉仕精神も応援したくなる。上品な所作といい、ミステリアスかつダイナミックな言動といい、どれをとっても最高にカッコいい。
もてなしたい。喜んでもらいたい。一生ずっと幸せでいて!
リンにとってヴィルさまは、憧れの殿方No.1なのである。
弟? 別格。
さて。そんなふうに推し活を謳歌するリン(12)について。
とある日の禊により、新たな知見を得ていた。
汚染を洗い流したことで己の本心が見えたのだ。そして芋づる式に、見ないフリしていた不都合な事実に気付いてしまったのだ。
ぽんこつすらピンときた、少女がときめくとある傾向。前作からほんのり香る、憧れの方向性。
滝を浴びるリンははたと思いついた。
(あれ? わたくしが好ましく思う属性。なりたい理想の姿。よく考えたら…怨敵っぽいわね)、と。




