16 ツァウヴァーン流アログルーミング
「神域投影」は、神話をモチーフに作られた魔道具だ。
神話の始めはこう記される。「世界は動かぬ箱庭にして、女神が降り立ちて、のち、全てが動き出した」。
そのとおり、はじまりの女神が降り立った瞬間に、女神の民には命が宿った。
女神の民の見た目は、デフォルメされた人っぽく直立した野菜のような魚のような、蛇、のような、…爬虫類? 植…物…? いやこれナニ!? …である。
身体は色とりどり、大きさも様々、揃ってツノ?があるのが特徴といえるが、その長さも太さも何もかもバラバラ。そのうえで、皆ちがって皆いい感じに異なる進化を遂げはじめたために多種多様な姿で存在している。
水を糧にして生きる。
魔力の特徴によって様々な種族を名乗る。彼らの大半はまだ五感が備わっていないが、第六感ともいうべき特殊な感覚で世界を認識している。
ツノを尊ぶ独自の感性や人間に似た価値観をもっており、一丸となって生活を営んでいる。食事も子育ても分け隔てなく、助け合って生きている。
「悪しき者」ぽるぽるの民を除いて。
◆
こども好きのレルムは双子の頭を撫でたがる。手慣れた手つきで隙あらば撫でてくる。
スペルモルは木櫛の硬い感触がほんのり苦手だ。
その点、レルムの手櫛はちょうどいい。大きな手が、温かい指が、雑に髪を梳くように撫でていく感触はとても心地が良い。
だが最近、撫でついでに頭皮マッサージされるようになった。それはちょっと微妙。嫌ではないが、ピンとこない。揉むくらいなら繰り返し梳いて欲しい。言ったらそうしてくれそうだけど、…言い出せない。
(だってレルムが撫でたがるのを好きにさせてるって感じがカッケェじゃん。これぞおとなの余裕)
異界で土埃まみれになったので、スペルモルたち3人は温水シャワーを浴びた。そしてサウナ服を着込む。
アレインの着衣を手伝っていると、更衣室にレルムがやってきた。
スペルモルと目が合うと、ニッと笑って「代わるよ」と言った。ついでにスペルモルを撫でた。いつもどおり雑な手櫛だ。スペルモルの濡れて重さをもった前髪が後ろに流される。
スペルモルの前髪は頬に張り付いていた。ほんのり不快だったので、それが直ってスペルモルはスッキリした。しかし、せっかくスッキリしたのに、直後に揉まれた。
(違う。そうじゃない)
スペルモルは半眼になる。無言でデッカイ手を掴もうとしたが、スルリと避けられた。
またひょいと撫で、頭皮を優しく揉まれる。
スペルモルは今度はゆっくり手を近づけた。レルムの動きをよみ、違う角度でシュバッといく。余裕で避けられた。
ナデナデ。モミ。シュバッ。空振り。ナデナデ。モミ。シュバッ。
(っし、さわれた!)
しかし、逃げられた。
スペルモルの本気などレルムにとっては片手間の遊び。気付けばレルムは逆の手で介助を終えていた。
サウナ服を着たアレインは、右手のワタ入り手袋に魔法で防水加工を施しはじめた。
「濡れたらさすがにバレるから」と呟いているが…スペルモルは言葉を飲み込んだ。
まずはレルム捕獲が優先。
ほんのり白熱するナデシュバッの攻防戦を、ニヤニヤ眺めていたカイザルが、とうとう高笑いした。
「惜しいな。今のフェイントなかなか良かったぞ。やるなぁ、スペルモル?」
「工夫していて偉いな。いっぱい褒めたい。もっと撫でたい」
カイザルとレルムはふたりしてスペルモルの頭を撫ではじめた。そんで揉む。ふたりして。
スペルモルは両手でシュバっといったが、やはり空振りに終わった。ギリィ…ッと歯噛み。
「二兎を同時に得るのは難しいよ。どちらか片方だけを確実に狙ったほうが良い」
「ははっ。レルムは無欲が過ぎるなぁ。二兎くらい成長期の男は平らげる。甘ちゃんの言を真に受けたらダメだぞぉ、スペルモル。同時に食いたいならそうしろ。一兎を確実に仕留める策で、ついでを狙うんだ。逃げ延びたと油断した二兎目はチョロいぞ? 好きなだけ食え」
「…その二兎目って、おれのことだよな。紳士モドキは煽らないと喋れないのか? いちいちカチンとくる…慣れたが。アウローラに関してじゃなければ良いよ、もう。どーでも」
レルムのぼやきに、カイザルは無言でニヤニヤした。
スペルモルは(レルムは何も知らないし分かってないのに、本質を捉えてくるよな)とおとなたちを見上げた。
レルムとカイザルはおとなだが、大人げないタイプのおとなだった。少年のもの言いたげな視線に気づいたふたりは、ニッとニカ!と真逆の笑顔を浮かべて同時に手を伸ばした。
スペルモルは撫でたくられた。
もはや手櫛という概念は消えた。髪の毛ぐっしゃぐしゃ。ほぼほぼ競技と化したものの、ふたりとしてはこれで愛でているつもりなのだと賢いスペルモルには分かる。分かるが、されるほうとしてはウザ絡みでしかない。
止めたくても、空振りになる。手ぇデッカイのに素早い。
「程度を知れよやりたい放題くっそ腹立つ。やり返してやる。絶対」
スペルモルは悔しさから絞り出すように唸った。最近、また声変わりの波がきたらしく発声が不安定なのだ。
兄が目を細めた。穏やかな目で高笑いし、ようやく手を止めてくれた。
レルムの目もいつも通り優しい。手櫛で軽くスペルモルの髪を直してから答えた。
「いいよ。どうぞ?」
(どうぞも何も)
スペルモルはイラッときた。
「まだ身長が足りねぇんだよ。見て分か…違うレルムそうじゃねぇ抱っこすんな降ろせ!」
スペルモルは怒鳴った。
撫でられたい少年にも譲れない一線がある。緊急時以外は抱っこされるつもりはない。矜持。
叱られたレルムはしょんぼりした。
優しく降ろされたスペルモルは、ションボリ顔を見ることなく、そのままひとり湯殿へ向かった。
おとなたちは取り残された。レルムは独り言ちた。
「とうとう抱っこも拒否か。育ったなぁ。なら跪いてみるか…それも嫌がるかな?」
反省するレルムの頭を、アレインが長い腕をくにゃんと伸ばして撫でた。
レルムは驚き、アレインを見た。
アレインはカイザルをも撫でようとしていた。「正気か?」顔のカイザルにより、それは速やかに防がれた。
「「ならば」」と、逆に2人から撫で返されたアレインは「うむ!」と喜んだ。
「いや喜ぶのかよ、てめぇ。それでいいのか? 良さそうだな。…そうか。なんだかな。
…スペルモル?」
湯殿の最奥、サウナ室の前でスペルモルは立ち止まっていた。
通路を塞ぐ形になっているので、カイザルが声をかけると、少年はちらと兄を見やって、無言で扉を開けた。
そのまま普通に入っていった少年の後を、おとなたちも追う。
少年が躊躇した理由は何となくわかったので、誰もいちいち突っ込まない。
やせ我慢は格好つけ男の美学。
おとなたちは将来有望な少年にほっこりした。
将来有望少年は無心に努めて湯殿へ乗り込んだ。岩盤浴のスペースでリンとアウローラを見つけた。ちょこんと並んで座り、着ているサウナ服も髪も濡れている。
(もう禊をすませたのか? …やるな)
近づくと、リンと目が合った。片手を上げて声をかけようとしたとたん、リンはそのまま滝に走り出した。滑らないよう足裏に魔法を敷いてテテテと疾走した女帝は、そのまま頭から滝へ突撃した。
あっけにとられていると、遅れてアウローラも飛び込んだ。そして肩をすくめてふたりは身を寄せ合った。
その「「ひゃぁあ…っ」」が聴こえてきそうなぎこちない滝行を見たスペルモルは和んだ。
後ろを歩いていた大人たちも和んだ。
男衆は並び立ち、その「「っうぁあ、…ひぇぇええ…っ!」」を堂々と見学する。
(耐えかねてちょっと足踏みするのカワイイな)
((な))
(うむ!)
(意味なく両手振るのも可愛いよな)
((それな))
(うむ!)
(歯ぁ食いしばってるのになぁ? 大げさに息を吸おうとするからあの顔だ。いいよな、あれ)
(うううぃいやそれはちょ)
誰とは言わないがひとりがうろたえ、残りのふたりはキョトンした。
子持ち既婚者ふたりの感覚は、聖人と賢者には理解が難しい。
もっとも死者に含みはない。妹しか見ていない彼は「ぶちゃ可愛い」と言いたかっただけである。
妻しか見ていなかったとある生者ひとりだけが、うっかりやましい連想をしてしまった。ひとりでうろたえてから、死者の慈愛に気付いた生者はちょっと凹んだ。己の汚れっぷりに汗顔の至り。まぁ妻に視線を戻すだけで忘れる程度のそれでしかないが。
なにはともあれ堪能した男たちは、おかげで覚悟が決まった。
何食わぬ顔で向かいの滝へ歩み寄り、凍えるような流水の中へ堂々と入っていく。「「「大したことないな」」」顔で順番に並んだ。
今のところ神域投影にはカッコつけ男しかいない。
兄弟は揃って堂々たる腕組みの仁王立ち。
ロボットは素直に「つめたいっ。もはや痛い。けど、だいじょぶっ」と己を小声で励ましながら、上下にくにゃん、くにゃん。ゆっくり屈伸運動をすることで「あくまで余裕」を表明した。
レルムは木刀のみを装備した、一張羅姿だ。スペルモルたちに背を向け、対面の滝にまっすぐ歩き出す。
滝の音が鳴り響くなか、「「…っちょっと慣れてきたかも? 気持ち良いかも…いやいや慣れてないよ、ちめたいよーっ!」」と全身で訴える女衆が、近寄る人影に気づいて目を輝かせた。
「「レルムだ!」」と喜ぶ二人組に、儀仗服好青年がニッと笑いかけている。
ふたつの滝は広い通路を挟んで対面している。
水音に紛れて女衆の楽しげな高音ボイスはかすかに聞こえるが、内容はわからない。
レルムは虹色に光る木刀を見せながら、なにやら喋っているようだ。ただ、その優しい低音ボイスは、滝の音で完全にかき消されていた。
(…今かな)とスペルモルが思った時に、カイザルがひそめた重低音で切り出してきた。
「スペルモル。どこまで把握している?」
(きた)
スペルモルは、まっすぐ前を見たまま答えた。
「兄上とアレインが、いずれモドキに堕ちること。そうなる前に自決するつもりでいたこと。アレインは魔道具開発、兄上は魔法研究。いざとなれば互いを退魔し合うつもりで親睦を深めていたこと」
「やるなぁスペルモル。いつ気付いた?」
「確信したのは、深淵を燃やした初日。
ただ前から兆候はあったんだ。だんだんとふたりが似てきたから」
カイザルが顔を動かす気配がした。横目に見れば、己の頭越しにアレインを見つめていた。
「つめたぃっ! だいじょぶっ!」と鳴きながら一定リズムで屈伸を繰り返す玩具を。
カイザルは、ただ「…そうか」と答えた。
禊の最中なので、呪物は弱っている。呪いの弱体化により自制心が衝動性を上回っている。言いたいことを飲み込んだのは明らかだった。
(あ。コレはぶいちゃダメだ)
聡いスペルモルはすぐ気づき、言い直した。
「ふたりの、魔核の色、が、似てきたんだ」
カイザルが仕切り直すように腕を組み直した。
「モドキと改めて「対話」して、皆の汚染や深淵も観察して、ふたりの適性に気づいた。
深淵に溺れるつど能力を高める。過覚醒に至る。そうなっている時は気配までそっくりだ。すぐ、らしさが戻ってくるけど、だんだんと…。
努力じゃどうにもならない状態に見えた。
何らかの悪意の存在が…適性者の気質を否定したい「何か」が、兄上たちを翻弄しているように見えた。
それで、魔核に残渣が染み込んでいる可能性を思いついた。
浄化された呪物が消滅しないのは、既に変異体の不死性を得ていたからじゃないかって。
アレインについては調べた。禊や日光浴もだし、あの除ノ舞も、常に発動させている魔法も、全てが精神の健全性を維持するためだった。
けどもう足りない。浄化が追いついていないんだ。ふたりとも」
カイザルが「…ははっ」と、鼻で笑った。
「なるほど? つまり染色だな? オレたちはモドキ好みの汚染に染め上げられている最中なわけか。
誰でも生成りのままではいられない。誰だろうがてめぇで気質を上塗りしないと生き抜けないだろう。だから千差万別の個性が存在する。だが…へぇ。翻弄。どうにもならん、か。
お前からはそう見えているわけだな? このオレがモドキごときにいいようにされている、と。
なかなか心がザワつく見解だ。それで?」
「…うん。
あと、アレインが呪物モドキについて結論を出すのが早すぎた。手際も良い。まるで最初からモドキが現れると分かっていて準備していたかのようだった。そこでピンときた。
アレインの魔道具研究はずっと前からだ。けど、いつからか「退魔の魔道具」と呼びだした。その頃にはもう色々と気付いていた可能性があるなって。
俺から仮説として切り出した時は、アレインは否定も肯定も反応もしなかった。ただ後で論文を寄越した。資料も。
珍しく結論を濁して、「女神と違い眷属には寿命がある、堕ちる確率は老いと比例する、死期を意識する段階に至ったとき解呪の魔法を行使できるか疑わしい、狡猾さは経験値で深まる、油断大敵」…内容が完全に警告だった。
でも俺はそうはならないと思った。
ふたりは違う。魔核がモドキ色に染まろうと、深淵で得られる活力に依存していても、ふたりはそれを好んでいるわけじゃない。深淵を居場所にするつもりもない。
ふたりは少しでも長くリンやアウローラをそばで見守りたい、そうだろ?」
同意を求めてスペルモルが見上げると、カイザルは鋭い目つきで前を睨みつけていた。
否定も肯定も反応もしない。沈思黙考だ。スペルモルは兄が自分の言葉を真摯に受け止めていると悟った。気合が入る。
「…ふたりが、かつて、呪いを行使したことは無かったことにはならない。
適性者であることは変わらない。
けど、症状を軽減できれば、思考の幅が広がる。生きていれば人は変われる。本来の気質を、本質を、自分らしさを取り戻せるはずなんだ。
魔核は死者だけど、宿っている身体と脳は生きている。
身体、脳、魔核、3つのこころが揃って「生命」だ。
兄上は罪人の衝動を制御できている。命を支配して主導権を握れるなら、生者と同じように寛解が目指せる、俺はそう判断した」
スペルモルは頭に兄からの視線を感じた。見上げると、カイザルは珍しく目を見張っていた。
「…、驚いた。魔核治療。あれは、お前の発案か。…そうか。…はっ、ははっ、ははは!」
隣でいつもの高笑いがはじまった。邪悪。発する紫も濃さを増した。色気とともに胡散臭さも増したが、スペルモルはきちんとカイザルの喜びを読み取った。
どこがどう嬉しかったのか分からなくても、憧れの兄を喜ばせた自分が誇らしい。スペルモルの顔がほころぶ。唇が勝手にモニョモニョ動きだす…が、すぐ気づいて引き締めた。矜持。
カイザルはひとしきり高笑うと、また声を潜めて話しかけてきた。
「治療、か。確かにな? 努力すべきは加害者のほうだよなぁ? 治療で更生が叶うなら、オレにとっても救いだ。理想郷は今後も安泰だろう。
たった11人の箱庭なら異物の排除が楽で手っ取り早いんだが…状況が変わったな?
今や広い広い未知の新世界だ。
転移か、お産か…どちらにせよ、これからどんどん湯たんぽは増えていく。その中には適性者もいるだろう。
排除一辺倒が常態化すれば、行き着く先は戦争、臭ぇいたちごっこだ。
日常生活は真っ当であるべきた。未来は臭い戦場なんて知らなくていい。
お前たちが好きに遊べる安全な新世界を、オレが用意してやらないとな」
スペルモルの心は弾んだ。
(これは生者の思考だ。生命力の活性化がまだ続いているんだ。今の兄上になら、きっとわかってもらえる…!)
スペルモルの期待は、即座に応えられた。カイザルは断言した。
「いいぞ。新世界を掃除するついでだ、治療もやり遂げよう。ただし寛解なんぞ目指さん。やるからには根治だ。このオレを誰だと思っている。侮るなよクソ餓鬼」
「…! うん…うん! だよな! そうだよな! だってカイザル兄上だ! してくれる。絶対に出来る!
俺だって絶対に兄上に追いつく。守ってみせる、自力で得た技術で、兄上とふたりで、揃ってリンを守るんだ。
憑依で遺した技術じゃなくて、兄上が俺の隣で、一緒に…守るんだ、姉さまを…これからも、ずっと…俺たちで…」
嬉しさを隠して、頷いた。何度も。滝の水の勢いは強く、前髪が流され顔に垂れ下がった。
都合が良く目元が隠れたので、スペルモルはこっそり浮かんだ涙をごまかそうとした。すると、兄の手が伸びてきて、手ぐしで髪をかきあげられた。
大きな手が額から撫でるように髪を後ろに流す。揉まれなかった。雑に手ぐしを通されて、「背筋のばして前を向け」と言わんばかりにスペルモルは背を軽く叩かれた。
スペルモルは、しっかり顔をあげた。
エピソード11でカイザルから憑依を促された時にスペルモルが拒否した理由は「憑依を受け入れたら、その分、兄の自決が早まりそうで嫌だった」です。
叫んだ「そうじゃない」は、「俺に技術だけ遺しても姉さまを一緒に守る事にはならないよ。ちゃんと俺らと一緒にいてよ!」の叫びです。




