15 汚染の厄介さはさておき、加工技術の功罪について
カイザルの身体(42)…現在はカイザルが利用しているが、本来は別人の身体。脳がアンナの前世の世界を知っている。ただし、かなり情報に偏りがある模様。その大半はカイザル的に「いらん。不快。忘れたい」ものらしい。
キャワなカイゼリン…リンが抜群の演技力で魅せるアンナの理想の妹キャラ。女帝セラピーが回復魔法だとすると、こちらは蘇生魔法。アンナに効く。
なおスペルモルが抜群の演技力で魅せる「無垢な弟」も効果絶大。ただし「非常時以外はやりたくない」らしい。
…そう、コレだよ。色んな他世界を覗けた。未来にも行ける。
言語? そんなの魔法で何とかなるじゃん? 君もそうしてるだろ。ふぅん。君って口悪いね。勉強になるなぁ。そういう言い方、僕は思いつかなかった。
…? ああ、よく言われる。でも君もだろ? 負けておいて強く出れるって相当だよ。僕は強い。君は弱い。あれ、怒るの? 事実なのに? うーん…言い方。気分悪いよ。おしおき欲しい? うん、それがいいよ。僕も面倒だし。
それよりも喰わせてよ。はぁ、やっと喰えた…、味? だよね。ただただ微妙。多分マズい。けど効くんだよ。おとなの味ってこういうモンらしいよ、オレ君が昔そう言ってた。
まぁ僕は酒なんて臭くて好きじゃないけどね。香水も。意味わかんない。へぇ、そこは気が合うね! ともだちになれるかも!
ところでさ、僕ってこうだっけ? こんなヘドロみたいな見た目してたかなぁ…?
◆
おいちゃんは片手を失った。
本人は「手袋で補ったから誰にも分からない」気でいるようだが、くにゃりするたび手袋が不自然に揺れる。
アレインは長い手足がくにゃりするだけで、基本的な所作は美しい。言動も穏やかで清廉を体現する正当派王子系ダンディだ。上質そうな白手袋はとても似合っていた。似合ってはいたが、明らかに中身がワタだ。
リンは一目みて気づいた。「おいちゃんのおててはあんなにふかふかしていない」、と。
アナンさまは高熱を出した。
皆で神域投影に戻ったとたん、ぶっ倒れた。魔力枯渇である。
真っ赤な顔に冷や汗をダラダラ流し、片膝ついたまま動かなくなった美麗な執事の姿は、「過酷な戦いに身を投じ、かろうじて生き残った忠義者」を彷彿とさせた。
リンちゃんサマは激怒した。だが、必ずかの邪知暴虐の実兄を除かねばならぬ、とはならなかった。リンちゃんサマには男の友情とやらは分からぬ。リンちゃんサマは、女神の中で子猫ちゃんポジションである。分からぬ物事は賢い弟に任せることにしている。そして、弟はどうやら全てを知っていた。その上で静観していたことが分かった。
じゃあ、リンちゃんサマ言えることない…。
走れぬリンちゃんサマは不完全燃焼の感情を、実兄に注ごうとした。とりあえず2000度くらいで。得意の「熱」魔法でヤツ当たろうとした、その時。
「リン、まずはこちらに」
背後からアウローラに抱きとめられた。主君の手信号を読み取ったレルムが、素早くリンの目の前に移動し、背を向けた状態で跪く。
リンちゃんサマはレルムのおんぶが大好きである。そして双子はくれるものはありがたくもらう精神である。所望する前に提供された貢ぎ物に、リンは反射的に飛びついた。
身体のでっかい軍人の背に堂々と鎮座ます、未だちっちゃい女帝(12)。少女の髪に飾られた勲章「剣豪」が馬車のエンブレムのようにキラリと光る。
アンナ曰く「高級馬車レルサスEmpress」の再降臨である。
「…ぅぐ…っ!」
アナンが吹き出しかけ、歯を食いしばって耐えた。
アンナの前世は、転移前の世界とはまた別の異世界なのである。高級馬車ネタは彼女のツボ。見たら笑っちゃう。
だってかつて勤めていた。人間関係に良い思い出がないだけで、コツコツ丁寧に組み立てた部品たちには今だに愛着がある。
いわば友人たちが馴染みの物をコスプレしてくれたようなもの。懐かしい。ほっこり。
しかしそれは誰にも伝わらない。文字通り世界が違うため、皆は何も知らず分からない。偶然だもの。
アナンが「れるさす…」と震え呟こうと「なんのこっちゃ」なのだ。
笑いをこらえるアナンを見た皆は((身体キツそうなのに、また妙なこと思いついたんだな…))と受け流した。
ちなみにカイザルには高級馬車ネタが通じていた。身体が知識を持っていたので、アンナが笑った理由に見当がついたのだ。
しかし、知っているからといって笑えるかどうかは別の話。「確かにそれっぽいかもな」と思えど笑いどころは分からなかったので、ダンディはしれっと知らんぷりした。
それはそれとして、本題は怒れる女帝である。
「怒れちゃうのね? それではまず整理しましょう」
アウローラもレルムも双子の癇癪に慣れている。レルムの背で一息ついた怒れる女帝の手を温めながら、アウローラは優しく語り掛けた。
「叔父上さまは人ですが、幸い機械でもあります。直せばすぐに治りますよ。そして、アンナが治るためには休まないと。わたくし運びます。一緒に行きませんか?」
激怒により思考が単純化しているリンちゃんサマは「…そうね。優先すべきはそちらよね」と納得した。
広い背中からは微かに良い香りがする。アウローラの香水の移り香だ。リンは身を預けながら、アウローラの色が移り変わる虹髪を眺めた。少しずつ気持ちが落ち着いてくる。
イケ執事が青いシルエットを挟んで男装執事に戻った。
アウローラは軽やかに友人を背負った。背負われたアンナが「…へふー」と安堵のため息とともに脱力する。明らかに弱っている。
おんぶ夫婦は並んで歩き出し、アウローラはリンにそれとなく話しかけた。
「アンナ、リン、お疲れ様でした。ところでリン、カイザルさまに怒れちゃったのはどうしてかしら?
教えてもらえる?」
リンはここぞと打ち明けた。
気に食わない実兄を、受け入れてやらなくもないと思い始めた、その矢先に、絶対に無事と信じていたふたりが無事じゃなかったからだ。
ふたりを守らなかったからやっぱり許せない、と。
アウローラは頷いた。
「そうなのね。カイザルさまがふたりを守らなかった、という判断に至ったのはどうしてかしら?」
リンは説明した。
実兄が「ついでに」と言い出したなら必ず遂行してきた事実を…ふと、気付く。
(そうよ。異界に行く前に兄上は言ったわ。「退魔ついでに面倒みてやる」って。あの兄上が守れないはずがない。だから、あえて守らなかったって思ったのだけど。…「ついでに」を言ったのに? …??)
リンは黙り込んだ。
アウローラの髪はゆっくりと色を変え、ほのかに光っている。柔らかい光は、リンの髪飾りや金糸の髪をうっすら虹色に染めていた。
リンを静かに見守るアウローラが口を開いた。
「…もしかして、矛盾があったのかしら? カイザルさまのお考えは聞いてみないと分かりません。ですが、今は汚染という問題があります。皆が不安定ですから、問うタイミングも難しいですね」
リンはハッと目を見開いた。汚染。忘れていた。
アウローラと目を合わせれば、彼女は優しく頷いた。
「汚染の影響かどうかも今の私には分かりません。
ただ、決めたことを貫けるのはリンの美点です。汚染が存在する今の環境でそれを活かすには、瞬間的に判断を下した後でも…ええと、少しだけ怒りの発露を保留にしてみるというのも手かもしれません。
今のリンに必要なことは分かりますか? 私の助けは必要ですか?」
リンは少し考えて、頷いた。
「わたくし、禊が必要だわ。でも…嫌。冷たいからよ? ねぇアウローラ、そばにいてちょうだい」
「喜んで。
ところで、レルムの木刀がより聖剣らしくなりましたよ。濡らすと不思議な光り方をします。見ますか?」
リンの瞳は輝いた。佩いている木刀を見ようと一生懸命に身をよじりはじめる。
アンティークドレスのスカートはボリュームがある。背負われている女帝からはレルムの木刀は見えない。
「見たいわ! 不思議ってなぁに?! ねぇ、濡れると何が変わるの?!」
全員がほっこりした。おとなたちの心は一つだ。
レルムは言った。
「では、アンナ嬢を部屋へ送った後に。禊をする間、私が演武をお見せしましょう」
とたんアンナが顔をあげた。そして駄々をこねた。
「あたしも湯殿いく! おちびと違って冷水なんて怖くないから! ってか剣舞が見たぁい! せっかくだし真剣でやってよ! 手作り木刀なんかダッサイ! ねぇ湯殿いこ! 禊つきあってあげるから、ほら、行って! 早くぅ!」
((あ。これ汚染されてる))
レルサスEmpressは気付いた。アンナはやりたい放題の甘えっこだが、今の言動は「違う。そうじゃない」。こうはならんやろ、と、感性と直感に優れた高級馬車は顔を見合わせた。
「水浴び。でも、発熱しているし」
「うん。まず「画面」での汚染軽減が妥当だと思う。が…はたして今のアンナ嬢が意見を曲げるか」
困惑している間に、アウローラが押しきられた。アンナに急かされるままオロオロと湯殿方面へ歩き出す。
仕方なく、レルサスEmpressは後を追った。
館の湯殿は広い。更衣室や洗身の個室こそ男女で分かれているが、サウナと岩盤浴は共有だ。男女ともにサウナ用の服を着て利用する。
そんな湯殿の奥に、新たに人工滝が設置された。24時間いつでも禊が出来る。もちろん地下水。どでも…ぢべだい。
いったんレルムと別れ、3人は女子更衣室へ入る。
アウローラはアンナの介助に取り掛かった。装飾性の高い執事服は細かな金具が多く、脱がせにくい。
アンナは…らしくなく他人任せだ。されるがままに脱がされるのを待ち、暇そうにあくびをした。
(酸素不足? 発熱のわりに目に力がある…眼振はない。疲労の興奮かしら。動きがぎこちないから関節に痛みがあるのかも。早めにベッドへ連れていかないと)
アウローラは急いだが、温水シャワーの途中でアンナのスイッチが切れた。水圧に負けて、床にへたり込んでしまったのだ。
「もーいい。これが禊ってことで勘弁してやるぅ…」
アンナは這う這うの体でシャワー室から逃げ出した。心配して後をついてまわるアウローラを無視し、「画面」での応急手当を「いらんわ。めんどい」と断った。「部屋まで付き添う」というアウローラの申し出もズバッと切り捨てた。
「寝てくる。は? 一緒に行く必要なくない? あんた、ひとりで移動できないの? ヤバ」
女ともだち大好きで、「女子にモテるプリンス系女子枠」を自称するアンナが。「これぞハーレムどやぁ!」とご機嫌で尽くしたがるアンナが、心底ウザそうにそう言い捨てたのだ。
一切の会話を拒絶したアンナちゃんサマは、最近はしなくなったはずの雑な足取りでとっとと湯殿を去っていった。
アウローラもリンも、なすすべなく茫然と見送った。
「重症だわ…間違いなく慙愧で落ち込むわね。わたくしがお膝に乗る程度で元気になる? 無垢な妹を演ったほうがいいかしら…」
「…? ええと…、あ。そうか。汚染」
ぽんこつアウローラはそこでようやく気付いた。
(そこまで身体がツラいのねって心配だったけど、そちらの可能性があるわね?!)
びっくりしたふたりは顔を見合わせた。そして生ぬるく微笑みあった。
大丈夫。アウローラのぽんこつはとっくにバレており、リンはそんなたぬきをこよなく愛している。
アウローラは気持ちを切り替えて答えた。
「どちらも喜ぶわ、きっと。起きたら改めて禊を誘うわ」
「そうね…わたくしも禊しなくちゃ。ねぇ、アウローラ」
リンは躊躇い、そっと小声で打ち明けた。
「わたくしね、禊が苦手なの。「冷たいから嫌」は本当よ。けど、正気に戻れた後に自分の言動を知ることがもっと嫌なの。だって…しでかしちゃっているんだもの。禊をしたら、それを自覚するしかないでしょう? だから…」
リンの琥珀色の瞳が潤みだす。しかし次の瞬間には眉を吊り上げ怒りの表情に変わった。慣れない感情を、慣れた感情へすり替えて心の均衡を保とうとしたのだ。
「…汚染なんか言い訳よ! どんな理由だろうが一度やらかしたことは無にならないの! だったら、そこからどうするかでしょ! あがくしかないのよ! とっとと終わらせるわ!」
叫び、リンは勢いよくドレスを脱ぎはじめた。
アウローラは2人分のサウナ服を用意した。自分も濡れた服を脱ぐ。
温水シャワーを終えたリンが、隣でサウナ着を手にとった…はずが、途中でいなくなった。
リンは全身鏡に向かって仁王立ちしていた。下着姿のはだかんぼさんが、愛らしいぽんぽこおなかを引っ込めつつ首をひねっている。かわいい。
ほっこりするアウローラは、ふと気づいた。
(そういえば。最近スタイルを気にしていなかったわ?)
さりげなく別の全身鏡を見て、アウローラはさらに二度見した。
驚愕した。必死の努力で誘致したサイギャップさまが、どこにも見当たらない。
アウローラはうろたえた。心当たりを探った。
(ラーメン、枝豆、白玉おしるこ、お団子、コロッケ、チーズフォンデュ、(省略)、カレーパンに…ショ…コラ…ビスコッ…、…。ええと…)
指折り数えたアウローラは、そっと目を閉じた。こういう時こそ淑女の微笑み。
(…リンの言う通りね。足掻けばよろしいの…!)
日課に筋トレが追加されたところで、リンが振り返った。じ…っと見られた。そしてボソッと独り言が聴こえてきた。
「おかしいわね。異界ではああじゃなかった。どうなっているの…?」
アウローラの微笑みに哀愁が漂う。
(現実の人体はあくまで曲線なの。わたくしのああは貴婦人フル装備だったからよ。コルセットで無理やり生み出しただけなの…)
実際はコルセットだけではない。彼女は凪を呼んで全身を加工していた。さらに虹髪ならではの裏技も駆使していた。その上で顔立ちをベールで隠し、豪奢なドレスを纏えば完璧美女の出来上がり。
まぁまぁの人体錬成を行った自覚のある被疑者は、全力で見栄を張った動機として「軍服が映える夫の隣に堂々と立ちたかった」と供述しており、あくまで乙女心の範疇であるからして、未来ある少女に誤解を招く姿を晒した罪には酌量減軽の余地がうんぬんかんぬん。
(あくまで戦闘時の二次元なの。残念ながら自然体はこっち。普段からああではいられないのよ…!)
無邪気な視線を浴びつつ、図太い淑女は微笑み続ける。あえて身体を隠さない。未来ある少女の感性を健全に保つべく、己の健康すぎる現実をさらけ出す。心の中ではサイギャップさま再誘致に思いを馳せていた。
リンは全身鏡の前で腕を組み、しばし考えた。
「ねぇアウローラ。わたくし、ヒュプシュみたいな体格が好ましいの。でもフカフカは欲しいの。あとどのくらい待ったらそうなる?」
アウローラは天を仰いだ。
「全体的にはヒュプシュで、胸だけアウローラみたいになりたい。あと、アンナのお腹。コルセットがあれば今すぐなれるわよね? 胸だってワタがあれば…そうよ、服を着れば誰にも分からない。
欲しいわ、コルセット。ワタも。アウローラ、ちょうだい」
アウローラの脳内に膨大な量のツッコミが駆け巡る。しかし言葉が出ない。哀しいかなどこまでが汚染なのか、そうでないかすら判断できなかったのだ。
アウローラはゆっくりと微笑みかけた。
「…まずは禊です。一緒にやりましょう」
そんなわけで、ふたりは速やかに湯殿へ突撃した。
しかし、滝から発せられる明らかにぢべだい冷気を浴びて、ふたりとも怯んでしまった。とりあえず温水をかぶり、温かい岩盤浴用の石に腰かける。
ふたりはリンのぬいぐるみについて話しはじめた。現実逃避ではない。重要議題である。
「たぬたぬには今年こそ防寒着がいるわ。あの子、年中はだかんぼだもの。リュックの中にいるからぬくぬくして見えるけど、肩や腕は冷えるのではなくて?
だって最近の天気、いつもと違うわ。雨の降り方もだし、風も。気温も。空気も。変よね」
「界が重なった影響です。師匠は「馴染めば安定する、どれくらいかは場による」と言っていました。揺らぎが小さかったので、私はてっきりすぐ落ち着くものと思っていたのですが…相変わらず私の勘は外れます。残念。
それはそうと、防寒具。いいですね。コートを着せますか?」
「儀仗服のマントがいいわ! オーロラみたいな布ってある? というのもね、アウローラ」
リンは心を込めて熱弁した。アウローラは真摯に耳を傾けて提案した。白熱した結果、「たぬたぬの防寒具はファー付ショートマント」と決まった。
「首元もしゃもしゃ! 好ましいわ!」
全身ふわもこは好ましいが、一部もしゃもしゃに需要はない…そう盲信していたはずの最恐の女帝は、愛するたぬたぬに「一部もしゃもしゃ」となるよう望んだ。矛盾。
(自覚はなさそうだけど、リンはカイザル王子っぽさを好むのよね)
ほっこりしつつ、アウローラも同意した。
ふたりは満足感とともに冷気へ目を向けた。目をそらし続けていた滝を見据える。
体温はとっくに準備完了だった。後は勇気だけ。もうちょい。きっかけ。
と、レルムがやってきた。スペルモルたちもいた。
弟と目が合ったとたん、リンはごく自然に腹が据わった。
(わたくしは姉よ。怯むわけがない!)
汚染があろうとなかろうと、大切なことは決して変えない。誇りだけは死守せねば。女帝だもの。
(レベチでカッコいいのは、わたくしのほうなのよ!)
リンは豪快に滝へ飛び込んだ。
アウローラも慌てて後を追う。
女帝だけど、虹髪だけど、地下水は、や ば り ぢ べ だ が っ だ。
((…ぃひゃぁああああ…っ!))
カイザル(生前)純白の軍服に深紅獅子(雄)の毛皮マントを愛用。
深紅と言いつつ実際の色は黄褐色。下毛が紅いので、光の加減や角度で赤く染まってみえる。雄は獰猛で有名。カイザルいわく「バッタリ遭ったからサシで話し合った」そうです。
首元の鬣に愛用の香水を振るオシャレ王子。身嗜み魔法により彼の服は常に清潔、いつでも良い香り。
凪による全身加工…叔父にはバレてる。




