99 秘密の封書
「フリード、機嫌が良いな。もしかしたら婚姻申し込みが上手くいったのか?」
学院に行くなりレオンに聞かれて、フリードは焦ってレオンの口を塞いだ。
「しっ。声が大きいよ、レオン。…母上に話はした」
「それで?何だって」興味津々な様子の中に心配を滲ませるレオンに、フリードは小さい声で言った。
「母上は許してくれた。婚姻申し込み書をアマンド男爵家へ送ってくれるって」
うお、と又も大きな声を上げ「やったな!」と言うレオンに、フリードは「でも、心配な事があるんだ」と続けた。
「心配な事って、何だよ」
「父の事なんだ。母が言うには、父は僕が幸せな結婚をするのを望んでいないらしい。それで、もしかしたら何か企んでいるんじゃないかって」
「何だよ、それ。いくら結婚は個人だけの話じゃないと言っても、特に家に不利益が無いなら、幸せな方が良いだろう。こう言ったら悪いが、フリードの家に結婚の打診は来ないだろうし、上手くいきそうな頃合いの相手がいるだけでも幸運じゃないか。それが息子の不幸を望んで何か企むなんて、家の存続が危うくなって自分の首を絞める様なものだろう」
「そうだよね。普通はそう考えると思う。でも、レオンも知っている通り、うちの家は普通じゃない。母はひどく心配していた」
「だけど婚姻申し込みはするって言ったんだろう?それで向こうが承諾すれば、問題ない。大丈夫さ。それよりお前は彼女に何も伝えないのか」
そう聞かれて、フリードは少し悲しそうに答えた。
「彼女は最近、図書室に来ないんだ。だから伝えようにも伝えられない」
「そうか。まあ、五年生は単位が足りていれば毎日登校しないで良いもんな。
彼女は真面目そうだからきっともう単位は取っていて、それで来ないんだろう。もし会えたら、それとなく話をしてみろよ」
「ああ。そうする。レオン、色々調べてくれてありがとう。恩に着るよ」
「良いさ。昔フリードの噂だけを信じて、嫌な態度を取ってしまった罪滅ぼしだ」
「そんな昔の事は、もう良いのに。忘れてくれ」
「ああ。これでフリードが幸せな結婚をしたら、忘れるよ。…それはそうと、まだダニエルの異母姉はカラバン子爵家の夫人のままか」
「…うん。おじい様が寝たきりになって、その世話を担ってくれている。ダニエルには心苦しいが、今は以前よりシャーロットさんの身体も心も、楽になっているとは思う。おじい様が元気な時は、色々辛い目に遭わされていたから。…僕は何も助けてあげられなかった」
「そんな事はないだろう。ダニエルが言っていたが、お前が子爵の話し相手になっている分、自分は休める様になったと手紙に書いてあったそうだ。それに子爵が倒れた後また別の老人へ売られるところだったのを、お前の母上が取りなしてくれたと」
「そうだね。それは母上が尽力なさっていた。母はシャーロットさんが子爵家にいるなら、いつか彼女を解放する事が出来ると考えているから。他の家に売られてしまうと、それが出来なくなるからね。それにしたって、こんな事で思い悩むなんて、やっぱりうちは普通では無い。いつか僕が子爵家を継いだら、絶対にこんなおかしな事は終わらせて、不幸を断とうと思ってる」
「ああ。頑張れ」レオンに肩を叩かれ、フリードは「うん」と力強くうなずいた。
その日も図書室にローズは現れなかったので、フリードは気落ちして邸に帰った。
玄関に入ると、ちょうどフランクが入れ違いで出かけようとしていて「婚姻申し込み書をアマンド男爵家に送っておいたぞ」と声をかけられた。
「あ、はい。ありがとうございます」フリードはマーサに言われた通り、何の感慨も無い様子でお礼を言った。
フランクはそんなフリードを軽く見やり「もしかしたら、その娘がお前の妻になるかもしれないんだ。もっと期待して嬉しそうにしても良いんじゃないか」と軽口を叩いた。
フリードは常では考えられないフランクのそんな姿に、(やはり父上の様子はおかしい)と思いながら「そうですね。母上の様な人だったら良いなと思います」と答えた。
それを聞いたフランクは、みるみるうちに不機嫌になって「ふん」と鼻を鳴らして出て行ってしまった。
フリードはそのまま自室へ行かずに、祖父レジナルドの部屋を見舞った。そこにいるであろうシャーロットへ、ダニエルからの手紙を預かっていた。
ダニエルは自分の学費の為に異母姉がカラバン子爵家へ売られた事で、一時期フリードを逆恨みしていたが、今はレオンと共にフリードの良き友人の一人となっていた。
彼はいつも「何とかして家を盛り立てて、シャーロットが戻って来た時の居場所を作る」と言って、父親と時に対立しながらも学業に励んでいた。
レジナルドの部屋をノックすると、中から「はい」という返事が聞こえ、シャーロットがドアを開けた。倒れてからほぼ寝たきりのレジナルドの部屋は、以前は葉巻の匂いがしていたのに、今は薬品と病人の匂いで満ちていた。
「おじい様の具合は、どうですか」フリードがダニエルからの手紙を差し出しながら尋ねると、シャーロットが微笑んでそれを受け取って、フリードにレジナルドのベッドの隣にある椅子を勧めてくれた。
「今日は大分お加減が良いみたいです。お食事もいつもより沢山召し上がったんですよ」答えるシャーロットは、レジナルドがこうなってからの方が、明らかに幸せそうに見えた。
一度フリードは彼女に『一日中病人の介護は辛くないですか』と尋ねた事がある。
今思えば、もし彼女が辛いと言っても何もしてやれない自分が、軽々しく聞いて良い事では無かったと思うが、その時は本当に大変そうだと思い口にしてしまったのだ。
すると彼女は『以前に比べて、ずいぶん楽になりました』と本当に安堵した様に答えた。
『倒れられてからは大きな声で怒鳴られたり、杖で叩かれたりしなくなりましたから。今は私がする事を受け入れておられるだけで、怖くありません。フリード様のおじい様なのに、こんな事を言って申し訳ないですが、これが私の正直な気持ちです』
『そうですか。シャーロットさんが今の方が良いと思われるなら、僕はそれで良かったと思います。レオナルドも少し安心するでしょう』
シャーロットはフリードが椅子に腰かけると「私は自分の部屋におりますので、お部屋を出る時に声をかけて下さい」と言い、部屋を出て行った。
フリードは椅子に座ってレジナルドの寝顔を見ながら、彼の細くなった手を握り話しかけた。
「おじい様。僕、縁談があるんです。実は僕が望んだ縁談で、昨日母上にお願いして、婚姻申し込み書を送って貰える事になりました。相手はアマンド男爵家のローズという女性で、とても良い人です。
…おじい様。おじい様は、小さい頃から僕にとても良くして下さいましたね。僕はおじい様が好きでした。けれど学院に行くようになって、おじい様が沢山の女性に酷い事をしていたと知りました。言っていませんでしたが、今の奥方のシャーロットさんは、僕の級友のダニエルの異母姉です。ダニエルは、シャーロットさんを売ったお金が無ければ学院に来られませんでしたが、自分のせいで異母姉が不幸になったと悔やんでいました。
おじい様。僕は今まで勇気が無くて何も言えませんでしたが、お元気になられたら、シャーロットさんを解放してあげて欲しいと言うつもりです。
僕は、おじい様が非道な人だったと知っても、心からおじい様を嫌いになれません。だから早く元気になって、僕にご自分のなさった事とその理由を打ち明けて下さいませんか。そして出来れば僕も一緒に罪を償わせてください」
フリードが話していると、急にレジナルドの握力が強まり、閉じた目の端から一筋涙がこぼれた。フリードが驚いて見つめていると、レジナルドは目を開けて不自由な口を動かし、何かを言った。
「何ですか、おじい様」口元に耳を寄せると、レジナルドは「みぎ、ひきだし」と言っていた。「あの机の、右の引き出しですか?」そう聞くと、かすかにうなずいて、今度は「かぎ」と言って目を動かした。レジナルドの視線の先には、壁にかかっているフリードの赤ん坊の時の肖像画があった。
フリードが立ちあがって肖像画を見に行き、額の裏をのぞくと、小さい鍵がピンで留められているのを見つけた。その鍵を机の右、鍵のかかっている引き出しに差し込んでみると、すんなり回って鍵が開き、引き出しを開けると表書きにフリードの名前が書かれた封書が入っていた。
レジナルドの正式な印章で封蝋のされているそれは、何か重大な事が書かれていると思われた。
「おじい様。これは、僕宛ですね」フリードがレジナルドの目の上にその封書を掲げて見せると、レジナルドは安堵した様に再び目を閉じ、眠ってしまった。
フリードは封書を懐に入れ、元通り引き出しを閉めて鍵を絵の後ろへピンで止めると、シャーロットの部屋のドアの前で声をかけた。
「シャーロットさん。おじい様は一度起きましたが、また眠ってしまわれました。僕はもう自分の部屋へ行きますね」
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