97 悪の企て2
フランクは娼婦に自分の家の話をするのを一瞬ためらったが、この女が他所で漏らしても漏らさなくてもどうせ知られる話だ、むしろ悪名高い家の娘をフリードが妻にすると知れ渡れば、フリードが恥をかいて良い気味だと考えた。
「実はな、俺の息子が婚約するんだ」
「まあ!それはおめでとうございます」ジャスミンは大げさに祝いの言葉を口にして「お相手はどこのお嬢様かしら」と尋ねた。
この時のジャスミンは、本当は息子の相手が誰かなどに興味は無かった。ただ息子の婚約が自分とフランクの関係に影響を及ぼさないか心配で、無意識に口にした問いだった。
「アマンド男爵家の娘らしい。妻の実家からの紹介だ」
フランクは‘’アマンド男爵家‘’という言葉を楽しそうに発したが、二人の関係を心配していたジャスミンは、それよりも‘’妻の実家の紹介‘’という言葉を聞いて、頭に血が上った。
(この縁談で妻の実家とのつながりが強固になったら、私がフランク様の妾としてカラバン子爵家に迎えられる未来が遠ざかってしまう)
そんな思いにかられ、ジャスミンはつい「アマンド男爵家って、あの評判の悪い家でしょう?」と、悪意の籠った言葉を口にした。
「ああ。そうだ。俺の家とは釣り合うだろう」
それを聞いたフランクは怒りもせず、むしろ楽しそうに答えた。
「でも、そんな家とは縁を結ばない方が良いんじゃないかしら。きっとご子息が苦労されるわ。そうなったら可哀想よ」
この縁談に乗り気なフランクに焦ってそう言ったジャスミンは、次の瞬間フランクに現れた変化に、自分が何かを間違えたと悟った。
フランクはそれまでの楽しそうな雰囲気を霧散させ、ジャスミンに触れていた手をさっと引くと「不愉快だ。俺は帰る」と服を着始めたのだ。
フランクに縋りついて止めながら、ジャスミンは思いついた事を手当たり次第に口に出した。
「帰らないで。余計な事を言ってごめんなさい。そうよ、アマンド男爵家の評判は悪いけど、確か御令嬢はとても美しくて、優しい方だと聞いた事があるわ。あの方なら親や家がひどくても良い縁談が来るって、前に貴族のお客様が言ってたのよ。だからきっとご子息も幸せになるわ」
部屋を出ようとしていたフランクは、ジャスミンのその言葉を聞いて立ち止まった。
「待て。今、その娘が美しいと言ったのか。貴族の間で、評判が良いと」
それに力を得たジャスミンは、記憶を掘り起こした。
「そう!確か伯爵家の方が言っていたの。その御令嬢は金髪に青い目で、とても綺麗なんですって。その方がご子息の用事で学院に行った時、校内で迷って道を尋ねたのが、偶然その御令嬢だったの。あんまり綺麗で感じが良いから名前を聞いたら、アマンド男爵家と言われて驚いたとおっしゃってたわ。だからこの縁談は、ご子息にとって良い話よ」
必死に話す彼女に、フランクは無表情に告げた。
「良い事を聞かせて貰った。教えてくれて助かったよ」
そうして彼は引き留めるジャスミンを振り切って娼館を出て、二度と彼女の許を訪れる事は無かった。
普段より何時間も早く邸に帰ったフランクは、まっすぐにマーサのいる執務室へ向かった。自分が放棄して彼女に押し付けた仕事の多さを考えると、まだこの時間、マーサは仕事を続けているはずだった。ノックもしないで扉を開け放つと、案の定マーサは机の前に座ってペンを動かしていて、入って来たフランクを見て驚いた顔をした。
(この女は、本当はフリードの相手がどんな令嬢か知っていたんじゃないか)
怪しみながら見ていると、マーサはフランクに微笑みかけ「お帰りなさい。お出迎えもせず、申し訳ありませんでした」と言った。
「いや。まだ仕事なのか」そう言いながら、何気なさそうにフランクが近寄ると、マーサは手元にあった紙をフランクの方へ差し出した。
「ちょうど良かったですわ。さっき話した婚姻申し込み書を用意したので、目を通してサインを頂きたいの」
「早いな。もう用意したのか」フランクは書類を受け取りながら、マーサの表情を窺った。
「ええ。何しろ実家から急いで返事をする様に言われていますから。あなたが話を進める様におっしゃったのに、私がもたもたしていて破談になっては申し訳ありませんもの」
「お前はこの話に気乗りしない様子だっただろう。それなのに、こんなにすぐに進めて良いのか。ずいぶん態度が変わったんだな」
マーサが自然な態度で返事をするのを見て、フランクはさらに揺さぶりをかけた。
「ええ。それは悪評のある家の、それも年上の令嬢との縁談は躊躇われましたわ。フリードはとても優秀で良い子ですしね。でも現実を考えれば、それも仕方ないと思い直しましたの」
「ふうん。まあ、お前が納得したなら良いんだ。この書類は俺が良く読んで署名したら、先方へ送っておこう」
フランクが書類を持ったまま立ち上がると、初めてマーサの顔が曇った様に見えた。
「署名した物を私に返して下されば、私が実家を通して送ります。元々、実家からの話でしたから」
「行ったり来たりしていたら、それこそ申し込みが遅くなるだろう。お前が実家に、こちらから直接婚姻申し込み書を送ると言えば良いだろう」
マーサはフランクの目を見て、これ以上言っても彼が聞き入れる気が無いと悟った。
同時にフランクのこの様子は何かを疑っていて、自分が固執すればする程疑いが深まり危険だとも感じた。
それで彼女はフランクの提案を受け入れ「それではよろしくお願いします」と婚姻申し込み書を託した。
執務室を出たフランクは、そのままフリードの部屋へ向かった。
彼が息子と一対一で話すのは、フリードの学院入学以来初めての事だった。
フランクにとって成長して体格が良くなり、大人びてきた息子は、憎しみと妬みの対象であるだけでなく、恐怖の対象にもなりつつあった。
息子が幼い頃、自分とは違い母親に愛され、レジナルドにも可愛がられている姿を見て、フランクは憎しみを抱くようになった。
学院に入ってからは、カルバン子爵家の名で敬遠されながらも、自分とは違い友人が出来て、うまく付き合っている様子に嫉妬した。
そして今は、自分がフリードに‘’躾け‘’をしても、肉体的に反撃されたら敵わないという恐怖を感じていた。
だからフランクはフリードを遠ざけ、自分も遠ざかり、息子の失敗と不幸を願い、皮肉な目で傍観するだけの父親になった。今回の縁談も、フリードが結婚して不幸になれば良いと思ったから賛成したが、もしもこれが息子を幸福にするなら、話は変わって来ると考えた。
(これ以上、あいつを幸せにしてやるものか)
フランクはマーサの時とは違い、フリードの部屋のドアはきちんとノックした。息子に軽蔑した目で見られるのはご免だったからだ。
「どうぞ」返事を聞いてドアを開けると、机に向かって勉強していたフリードが振り返って、父親の姿を見て驚いた顔をした。
「父上。どうされたんですか」
フランクは、意識して親しみのある表情をして見せた。
「フリード。マーサの実家から、お前に縁談が来ているんだ。知っているか?」
「え、僕に縁談ですか」フリードにしてみれば、今日マーサにローズとの婚姻を願ったばかりなのに、そのマーサの実家から縁談とは?と混乱し、狼狽えた。
その顔を見たフランクは「おや。マーサはお前に何も話していないのか。お前が了承してないのに話を進めようとするとは、あいつも急ぎ過ぎは良くないな。お前が嫌なら、俺がこの縁談は断ってやるから安心しろ」と気づかわし気な表情で言った。
「あの…。相手は一体誰なんでしょう」フリードは、フランクがやけに親切な提案をしてくるのに不信感を抱いた。第一昼間ローズについて請け負ってくれたマーサが、実家からの縁談とやらを黙って進めるのもおかしかった。
「それが、あの悪名高いアマンド男爵家の娘なんだよ」フランクの言った名前を聞いたフリードは、マーサがフランクに上手く取り計らおうとして、実家からの紹介と言ったのだと理解した。それで思わずホッとした表情を浮かべてしまい、フランクはそれを見逃さなかった。
「アマンド男爵家ですか。確かに評判が悪い家ですが家格は釣り合っていますし、我が家の評判も良いとは言えません。せっかく母上のご実家が持って来てくれたお話です。僕に異存は無いので、どうぞ進めて下さい」
「そうか。お前がそう言うなら良いだろう。婚姻申し込み書を、アマンド男爵家へ送っておく」
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