96 悪の企て1
「今日のフランク様、いつもより楽しそうね」
フランクが気に入りの娼婦と部屋に入って数時間。思うままに振る舞い満足したフランクは、今は娼婦の胸元に顔を埋めて髪を撫ぜられていた。共に寝台に横たわる馴染みの娼婦ジャスミンは、優し気に目を細めて尋ねた。
「何か良いことでもあったのかしら」
ジャスミンは、フランクが初めて彼女を買った時から彼を受け入れ、甘やかしてくれた。
レジナルドが倒れてから羽を伸ばしたくて娼館に行き始めた頃、フランクは娼婦達からも冷たい目を向けられている自分に気づいた。もちろん、客として訪れているフランクを無下に扱う者はいなかった。しかしカラバン子爵家の噂は娼館にも届いていて、自分達と同じ弱い立場の女を買っては使い捨てにする家の者と見なされ、娼婦たちの笑顔の下に敵意が潜んでいるのをフランクは感じた。
(こんな所でまで、カラバン子爵家のせいで俺は貶められるのか)
醜い行為を繰り返してきたのは当主のレジナルドなのに、当人は女に都度金を払うなんて勿体ないと言って娼館になど来ないから、こんな視線にさらされる事も無かったはずだった。
(俺はあんな風に一人の女を支配して、何年も関わるなど面倒な事はしたくない。第一そんな事をしたら、あの偽善者のマーサがすぐにあれこれ言ってくるだろう。面倒な女はあいつ一人で沢山だ。あいつが仕事さえ出来なければすぐに追い出したのに、今俺が自由に振る舞う為にあいつが必要とは皮肉だ)
最初フランクは一番人気の娼婦を買ったが、その女から嫌な視線を受けて二番目に取り替え、それを繰り返している間に、フランクの相手はどんどん人気の無い娼婦へと移っていった。
こういう場所で人気が無いのは、見目が悪い、年がいっている、態度が悪い、など理由は様々だった。その中で今一緒にいるジャスミンは、元々は人気があったのに、年を取って客がつかなくなった娼婦だった。
だからこそジャスミンは経験豊富で客あしらいには長けていて、相手を選ばず良い気分にさせる技量があった。そして、このままだと自分は年齢のせいでどんどん落ち目になり、最後には地獄の様な境遇に行きつくのも分かっていて、焦りを感じていた。
そんなジャスミンにとって、他の娼婦が嫌がって相手にしなかったお陰で、フランクが自分の所まで回って来たのは千載一遇のチャンスだと言えた。
フランクは、たとえ評判の良くないカルバン子爵家であっても貴族の嫡男で、しかも娼館に足を踏み入れるのは初めてだと言うので、病気持ちでは無いと考えられる男だったからだ。
(こんなに良い物件を、顔も知らない女達へのつまらない同情でふいにするなんて、あの子たちは若さがいつまでも続くと思ってるのかしら)
ジャスミンはフランクが初めて自分の客になった時から、全力でこの人をもてなして自分に落とし、何とかしてここから連れ出して欲しいと願っていた。
『俺はフランクだ。君の名前は?』最初に部屋にやってきた時、フランクは家名を名乗らなかった。娼館ではそれはむしろ普通の事だったが、ジャスミンが他の娘から聞いていた話では、最初の数回、彼はフルネームを名乗っていた。
(カラバン子爵家の者と知られると相手の態度が変わるのが分かったから、警戒して、名前だけを言う事にしたのね)ジャスミンにはそういうフランクの変化が、むしろいじらしいものにさえ思えた。
『私はジャスミンよ』自分も名を名乗り、入口で動かないフランクに近づくと、彼女はそっとしなだれかかった。フランクの身体が強張ったのが分かったが、構わずそのまま腕を回すと上目遣いで見上げてみせた。
『ジャスミンっていうのは白い小さな花で、夜に香りが強くなるの。フランク様は、ジャスミンの花の香りは好きかしら』
『俺は…花の名前も香りも知らない』ジャスミンの回した腕の中でフランクは身じろぎし、何かを推し量る目で彼女を見ていた。その目は、今までジャスミンがこの高級娼館で相手をしてきた、生まれながらに恵まれている貴族の男の目とはどこか違っていた。
(この人は、恐れているんだわ。自分を否定されてばかりいたから、自分を守ろうとして周りを信じないし、いつでも攻撃出来る様に身構えてるんだ。私がこの人の敵ではないと、教えてあげなくちゃ)
怒っている様にも見えるフランクの顔にジャスミンは手を伸ばして触れ、背伸びをして顔を優しく傾かせて頬に口づけした。ここまで近寄って初めて、香りが分かる茉莉花の練り香水を、彼女は耳の裏に仕込んでいた。
『甘い香りがする』フランクがつぶやくと『これがジャスミンの香りよ。フランク様が気に入ってくれると嬉しいわ』そう言って、彼の目を見つめたまま唇を寄せて口づけた。
フランクは自分の全てを肯定し、受け入れる目をしたジャスミンの香りに酔い、寝台へと誘われた。
その日から、フランクの娼婦はジャスミンに決まった。
彼は彼女のもとに毎日通ったので、傍目には完全にジャスミンに心を開いたかに見えた。ジャスミンもフランクが来れば心からもてなして、家の持つ悪評で傷つき、虐げられてきた彼を慰めるよう努めた。
ジャスミンは自分が親に見捨てられて売られた子どもだったので、フランクも誰にも優しくされなかった自分と同じと考えて接するうち、最初は打算だけだったのがいつの間にか本当に心を寄せる様になっていた。
(フランク様は、悪名高いカラバン子爵家の中でずいぶん辛い目に遭ってきたんだわ)
勝手にそう考えたジャスミンは、時には母の様にフランクを甘やかし、彼の願いを聞いて、自分に出来る事は叶え続けた。フランクもそうやって扱われるのは心地良かったので、ジャスミンに対しては残酷な面を見せず、婚約時代マーサにしていた様に、優しく紳士的に接していた。
そのうちにジャスミンは、最初から願っていた『ここから連れ出して欲しい』という思いと共に『フランク様とずっと一緒にいたい』という願いも加わり、心の大部分を占める様になった。
『ねえ、フランク様。いつか私をここから連れ出して。私、ずっとフランク様と一緒にいたいわ』
遂にジャスミンがその願いを口に出したのは、フランクがジャスミンの腕の中で甘やかされていた時だった。それを聞いたフランクは急に雰囲気を変えて、にべもなく言葉を返した。
『俺には妻も子もいる。父もまだ生きていて、俺は当主では無い。無理だ』
フランクが間髪入れずに自分を突き放した言葉を聞いて、ジャスミンはショックを受けた。しかし何とか表には出さず『そうね。そんな事は分かっているのに、あなたが好きだからつい言ってしまったの。ごめんなさい』とすぐに謝った。
それを聞いたフランクは、雰囲気を元に戻し『分かれば良い。こうして通うだけで満足だろう』と彼女を抱きしめた。
『ええ。いつも来てくれてありがとう、フランク様』
口ではお礼を言いながら、ジャスミンは内心で歯噛みし、フランクの『妻と子』に憎しみを抱いた。
「何か良いことでもあったのかしら」とジャスミンに聞かれたフランクは(この女は、俺の事をよく見ているな)と何度目かになる思いを抱いた。最近この女の粘りつく様な視線や、自分の内面を推し量る様な態度が、フランクは鬱陶しかった。
ジャスミンというこの娼婦は、フランクがカラバン子爵家だからという理由で妙な正義感を燃やして敵意を見せる他の娼婦とは違い、最初からフランクを受け入れ、楽しませる努力をしてきた。
その態度が心地良かったのと、少々とうが立ってはいるが、まだ美しさを失わないのを気に入って、フランクはそれ以来ずっと彼女の許へ通って来た。
しかし最近、この女はおかしな事を口走る様になった。
(俺を好きだとか一緒にいたいとか妙な話をしてくるが、たかが娼婦風情が貴族へ好悪を述べたり、束縛出来る程偉いとでも思っているのか)
ジャスミンは自分に毎日会いに来るこの男が、彼女についてこんな風に考えているとは思いもよらなかった。彼女は最近でこそ落ち目だが、今まで長い間、男達から望まれ、思いを寄せられる側だったので、その自分が皆に疎まれてきたフランクを大事にして理解し、彼に好意を持っていると伝えれば、フランクも必ず自分を好きになると本気で思っていた。
ジャスミンは、フランクが元から娼婦を人として見てはいない事に気づかなかったのだ。
今日、いつもよりフランクの態度が柔らかく、浮ついているのを見て取ったジャスミンは、したり顔で良い事があったのかと聞いてみた。
それは図星だったらしく、フランクが「お前は俺をよく見てるんだな」と言ってくれて、ジャスミンは嬉しかった。
それで調子に乗って、踏み込み過ぎかと思ったが、つい尋ねてしまった。
「どんな良い事があったのか、聞いても良い?」
読んでいただき、ありがとうございます。
続きが読みたいと思っていただけたら、ブックマーク、評価(下の方にある☆☆☆☆☆)、いいねで応援してくださると嬉しいです!




