95 フリードの願い4
マーサはフリードの言う通り、アマンド男爵家の悪い評判は少なからず聞いていた。
いくらカラバン子爵家が悪評に塗れているとはいえ、時折出る夜会では他家のご婦人と少しは話す。そういう時必ず噂に上がる家の一つがアマンド男爵家だった。
「アマンド男爵家ね。確か…とてもお金に困っていて、それなのに金遣いが荒い家だと聞いているわ。それと娘をどこかに高く売ろうとして、躍起になっていると。
フリードが結婚したいという人は、そのお嬢さんなの?」
「はい。そうです」
「彼女に頼まれた?」マーサの問いに、フリードは一瞬怒りを見せた。
しかしマーサの目に心配の色が見えて、母親はローズを貶めたのではなく、ただ自分を案じているのだと思い直した。
「違います。彼女は僕の素性を何一つ知らないし、僕も友人が調べてくれなかったら、彼女の名前も事情も、何も知らなかった。僕達、お互いに素性を隠して接していたんです。二人共自分の家を知られたく無かったから」
「そうなの…。お互いの名前も知らずに、どうして彼女が心の綺麗な人だなんて分かるの。素性を隠しているようでは、あなた達に親密な関わりは無かったんでしょう」
「最初は偶然だったんです。友人がいない日、一人で昼食を食べる場所に図書室を選んで行ったんです。そこで、初めて彼女に会いました。僕は最初、彼女の美しさに惹かれて…彼女に会いたくてランチボックスを持って図書室へ行くようになったんです」
「ああ。それでずっとランチボックスを頼んでいたのね」
「はい」フリードは恥ずかしそうにうなずいて、続けた。
「彼女はいつも図書室に来るわけでは無かったですが、来た時は一緒に何の変哲もない話をして、食事をします。相手が誰か分からず話をしていると、家の地位や評判とか余計な物が無くて、人そのものしか見えません。彼女はおそらく家で不遇ですが、何の愚痴も言いません。それよりも自分が嬉しかった事、好きな事、発見した面白い事を教えてくれました。そして、いつも小さなパンを二個だけ、大切に食べているんです」
「小さなパンを二個だけ?それが昼食なの?」
「はい。彼女が言うにはお金が無くて、毎日閉店間際に売れ残りのパンを安く買っていると言っていました。『だけど、とても美味しいのよ』と笑うんです」そこまで話したフリードは「僕は、彼女の様に心の綺麗な人に会ったことがありません」と再び言った。
「分かったわ、フリード。アマンド男爵家なら、カラバン子爵家でも良いと言ってくれるでしょう。でも彼女の事情を考えると、急がなければいけないわね。当主はおじい様だけどおじい様はもう何も分からないから、すぐにお父様に話してみるわ」
「ありがとうございます。母上」
嬉しそうに部屋を出て行くフリードを見送り、マーサはフランクにどう話したら良いのかを考えた。
(あの人はフリードが希望したと知れば、嫌がらせの為にこの話を退けるだろう。だから、決してこれをフリードが持って来た話だと伝えてはいけない。幸い、アマンド男爵家の評判が悪い事をフランクも分かっている。悪名高い家の娘を、金で買わないとフリードの嫁の来てが無いという筋書きにしよう。その娘が今年卒業で、今のうちに申し込まないと間に合わないという風に話して、何とかあの人に婚約の申し込みを了承させなければ)
どうか上手くいきますようにとマーサは心の中で祈り、翌日フランクが娼館へ行きたくて、仕事を投げ出そうとソワソワし始めた所を見計らって声をかけた。
「フランク様。フリードの事で、今少しお話しても良いですか」
終わっていない書類をまとめてマーサに渡そうと思っていたフランクは、ほんの少し後ろめたい気持ちで顔を上げた。ここでつまらない話を聞いてやれば、マーサに恩を売って仕事を押し付け易くなるという打算もあり、平素より若干柔らかい声で「フリードについてか。どんな事だ?」と尋ねた。
「フリードも、来年は学院の最終学年です。今のうちに婚約者を決めておければと思い色々当たっているんですけど、なかなか上手くいかなくて…」
情けない顔を見せるマーサにフランクは気分が良くなり、全く心がこもらない声で「それは、困ったな」と返事をした。「しかし、卒業までまだ一年半あるし、頑張って探せば一人くらい見つかるんじゃないか」(お前の家の様な貴族社会を知らない、愚かな家の娘がな)
フランクが機嫌良く、馬鹿にした顔で自分を見てきたので、マーサは(しめた)と思い話を続けた。
「実は私の実家からフリードのお相手にどうかと、一人のお嬢さんを勧められたんです」
マーサは自分が実家と縁を切っている事を、カルバン子爵家の面々にはずっと秘密にしていた。実家との繋がりが、カルバン子爵家における自分の地位と、命を守る助けになると理解していたからだ。
その為、兄に子どもが生まれたと聞けばお祝いも贈ったし、夜会など家族に会う機会があれば、きちんと挨拶は続けていた。家族もカルバン子爵家と関わりを持ちたくないとは言え、実害を受けた訳でも、マーサが憎い訳でも無いので、贈り物は送り返さずに受け取り、人前では挨拶も普通に交わした。その為フランク達の目には、マーサと実家の男爵家の関係は特に変わらない風に映っていた。
「へえ、君の実家からの紹介か。一体どんな娘なんだ」
フランクはマーサの実家を馬鹿にして、どうせ良い話では無いと思いながらも、自分の時と違い、フリードには向こうから話が来たのかと不機嫌そうになった。だが、マーサの次の言葉を聞いた途端、にやにやと楽し気な笑みを浮かべた。
「それがアマンド男爵家の令嬢で、もう今年卒業なんですって。だからフリードより年上だし、何よりあまり良い噂を聞かない家だから、私は失礼な話だと思っているんですけど…」マーサが不満気に言い募るのを遮り、フランクは大声を出した。
「お前は何が不満なんだ。それよりもお前の両親に感謝した方が良いぞ。こんな家に嫁ごうなんて女は、なかなかいない。もしいるとしたら、皆まともじゃない事情があるか、無知なんだ。お前の実家とお前がそうだった様に。
しかしお前の実家は、少しは貴族社会の事が分かってきたようだな。うちに恩を売るには、良い方法だ。いずれにせよ、アマンド男爵家ならカルバン子爵家の悪評と釣り合うだろう。しかも、あっちは金に困ってて、うちは金を出して嫁を買っているんだ。
実家に連絡して、この話を進めてもらえ」
マーサは心の中で喝采を叫んだが、顔は不満げに取り繕い、渋々と言う調子で返事をした。
「分かりました。それでは、すぐに婚姻申し込み書を用意します。相手はもう卒業なので、返事を急ぐよう言われていますから。今はお義父様の署名は頂けないので、あなたが当主代理として署名をして下さいますか」
「ああ、勿論俺が署名しよう。…こんな話で、ずいぶん時間が取られた。俺は出かける約束があるから、この書類を片付けておいてくれ」
フランクがマーサの机に上に書類を放り投げ、娼館へ出かけて行くのを、マーサは「行ってらっしゃいませ」と深く頭を下げて見送った。俯く彼女の頬は、抑えても上向きに笑顔になっていた。
「さあ、すぐに婚姻申し込み書の準備をしなければ!」マーサはフリードの喜んだ顔と、自分亡き後フリードを支えてくれるであろう、まだ見ぬローズという義娘を思い描きながら、書類作りに取り掛かった。
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