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いつかあなたを  作者: Jun
悪の作る世界

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93 フリードの願い2

「は。じゃあお前たちは名前も知らない同士で、あんな風に笑い合って昼食を取ってるのか。彼女だって、お前の名前も知らないで良いのかよ」

「名前だけじゃない。学年だって知らない。…少なくとも、同じ学年で無い事は分かるけど」

 素性を明かさない、聞かれない事を自分も苦しく思い、抱えきれなくなっていたフリードは、レオンにだけは胸の内を明かした。

「僕は、最初名前を聞かれなくて良かったと思っていたんだ。彼女のそばにいられたら、それだけで良かったから。一目ぼれだったけど、僕には何も望みは無い。だから少しの間だけでも一緒にいる時間がもらえるのなら、彼女の名前を知らなくても構わないと思っていた」

「フリード…」


 痛ましそうに自分を見るレオンを、フリードも辛そうな顔で見返して話を続けた。

「だけど、最近苦しいんだよ。自分だって彼女の名前を聞かないのに、彼女から僕の事を知ろうとしてもらえないのが苦しい。

 かと言って自分から名を明かして、皆がするような蔑んだ目を彼女から向けられたら、僕はきっと立ち直れない。レオン、僕は彼女の素性も何も知らないのに、彼女を愛してしまっている。彼女の綺麗な瞳に、ずっと見つめられたいと願ってしまう」

 フリードが言い終えると、レオンは「分かった」とうなずいた。


「レオン、何が分かったんだよ」訝しむフリードにレオンは「俺が、彼女の素性を調べてやる」と言い出した。

「調べるって、どうやって。僕も彼女を学院で見かけないかと思って、いつも気にしながら歩いているけど、一度も会えた事も見た事だって無いんだ。

 図書室にだけ不定期に現れて、最近彼女は図書室に住む妖精かとすら思ってる。…そうだな。人間じゃなくていっそ妖精だったら、カラバン子爵家なんて気にしないで良かったんだけど」

 おとぎ話みたいな事を言い始めたフリードには構わず、レオンは続けた。

「フリードは交友関係が狭いから見つけられないだけだ。俺が調べると言ったら、必ず調べて来るから任せとけ。彼女が誰だか分かったら、後はお前がどうするか現実的に考えろ。自分の素性を言うなり、このままにするなり、決めたら良い」


 レオンは、彼女がフリードに名前を聞かないという事は、彼女も聞かれたくないんだろうと考えていた。その理由が、彼女の家も人に言いたくない訳ありの家か、彼女の生い立ちが元は庶子や妾の子だというなら、フリードにも勝算があると思った。

(どう見たって、彼女がフリードを嫌ったり、興味が無い様子ではなかった。だから絶対に、素性を言いたくない理由があるはずだ。それが何か分かれば動き様がある)

 フリードに比べ、格段に世慣れて行動力のあるレオンは、早速次の日からローズの素性を調べ始めた。


 ローズの方もフリードと昼食を取る回数が重なるにつれ、彼と同じ葛藤を抱く様になっていた。最初はフリードの名前も素性も、何も気にしていなかった。

 お互い知らない同士で話せる事が気安く嬉しくて、学院では今まで感じた事の無い穏やかな時間を楽しんでいた。

(マーガレット様が卒業して会えなくなってから、こんな風に人と過ごせたのは久しぶり)

 素性を知られる危険を考えると、余り頻繁に図書室に出向けなかったが、週に一回、多くても二回と決めてフリードに会いに行くのが、ローズの数少ない学院での楽しみになった。


 そうしている間に五年生、最終学年が半分過ぎた頃、アマンド家でのローズの身辺にはきな臭さが漂い始めた。義理の両親であるアマンド男爵夫妻が、ローズの身売り先を本格的に考え始めたのである。夫妻は毎日の様に色々な貴族や裕福な商家の話をして、誰が一番高く買ってくれるか、どの家と結びつくのが一番有利かについて、嬉々として議論を繰り広げていた。


「カラバン子爵家の当主は、最近は新しい妻を娶っていないのかしら」夫人が言うと、「そうだな。前にどっかの没落しそうな男爵家から庶子を娶ったが、それは数年前だったよな。今までの妻がいなくなる期間を考えると、そろそろ次の妻が必要になるかもしれないぞ」と男爵も答え、期待に満ちた目つきをした。


「あの家は年々酷い評判が広がってるせいで、娘を買う金額がどんどん吊り上がっていると聞く。大金が手に入るっていうのに、貴族によっては娘を売って得られる利益より、あそこに売った事を人に知られる損の方が大きいと言って、二の足を踏むらしい。そうなると評判なんてどうでも良い俺達は、かなりの金額を吹っ掛けられるんじゃないか」

「そうよね。カラバン子爵家が今どんな様子なのか、分かれば良いんだけど」

「あそこには昔から女を調達する伝手があるらしいから、向こうから声がかかるのをぎりぎりまで待とう」


 ローズは廊下で二人の話を聞きながら、あの時マーガレットが言ってくれた言葉を思い出した。

『万一あなたがどうしようも無い事態に陥ったら、連絡を頂戴。何としてでも力になるから』

 もし自分の売り先がカラバン子爵家に決まってしまったら、マーガレットに連絡を取って助けを求めよう、そう決心した。


 義両親が活発に身売り先を探し始めたせいで、今まで以上に生徒達から軽蔑や憐れみの目を向けられたローズは、ほとんど登校しなくなっていた。彼女は既にほぼ全ての単位を取得し終えていたので、いつも小物を卸している雑貨店の店主に頼んで店の片隅を借り、刺繍の仕事をさせて貰う様になった。こうしていれば家にも学院にもいないで済む上、賃金も貰えて良いことずくめに思えたが、ただ一つ図書室で会えるフリードの事だけは気にかかっていた。


 今までも図書室の入口まで行ってのぞいては、彼が一人静かに座っているのを見て帰る事もあったローズだが、こうして終わりが迫ってくると、穏やかなあの時間がたまらなく懐かしかった。

(あの人に会いたい。だけど私の境遇は決して知られたくない。知られたら一緒に過ごしたあの時間も、あの人にとって嫌な記憶になってしまうもの)

 ローズは自分の胸に浮かぶこの感情が何であるのか知らなかったし、分かろうともしなかった。


 フリードは最近、前にも増してローズの訪れが減ったのに気づき、焦燥感を覚えていた。レオンがローズの素性を掴んで来て報告してくれたのは、ローズに会えない日々が続いている時だった。

「フリード。彼女の事が分かったぞ」登校してきたばかりのフリードを捕まえて、声を潜めてレオンが言った。「今日の帰り、またカフェテリアに行こう。そこで教えてやる」「分かった」緊張気味に返事をしたフリードを見て、レオンは「きっと、お前が思う様な悪い結果にはならないさ」と励ますような笑顔を見せた。


 その日、カフェテリアでレオンとの話を終え邸に帰る馬車の中で、フリードは今聞いた話を何度も頭の中で反復した。

(彼女の名前はローズ。ローズ・アマンド。学院の五年生で僕の一つ年上だ。レオンが言うには、悪名高いアマンド男爵夫妻の娘だという)


『良く聞け、フリード。アマンド男爵家っていうのは、こう言ったらなんだが、お前のカルバン子爵家とあまり変わらない評判の悪さだ。ただ評判は同じでも、違うのはアマンド男爵家には金が無いって事だ。それであの夫妻は今、ローズ嬢が卒業したら買ってくれる家を探してるって、もっぱらの噂だ。彼女はあれだけの美貌だから、きっと妾にしたいという老人や、資産家は沢山いるだろう。男爵夫妻は、その中で一番条件の良い、高く買い取ってくれる家を探してる。本当なら彼女にとってこの上なく醜悪で悲惨な話だが、今回お前にとってこれはチャンスだ。アマンド男爵家は、カルバン子爵家だからと言って断りはしない。しかもお前は嫡男で、将来は子爵だ。その夫人になるなら、悪い話じゃないだろう。お前が彼女を本当に愛して助けたいなら、今結婚を申し込まなければ間に合わないぞ』


(僕は彼女を愛している。彼女が名前を聞かなかったのは、僕に興味が無いからじゃなかった。僕と同じ痛みを知り、僕に自分の事を知られるのが怖かったんだ。今日帰ったら、すぐに母上に相談しよう。僕の家も未だに悪い状況だけど、僕が彼女を妻にしたら、絶対に大切にする。彼女を酷い運命から救える様、頑張ろう)

 フリードはこぶしを握り締め、心に誓った。



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