92 フリードの願い1
結局フリードが次にローズに会えたのは、初めて会った日から十日後だった。
間に休日が入ったが学院のある日は毎日図書室で昼食を取っていたフリードは、そろそろレオンから怪しまれる様になって、彼女に会うのを諦める訳ではないが、カフェテリアに一旦行った方が良いかと考え始めた頃だった。
その日は雨で、外は昼間なのに暗く、何となくかび臭い古い書物の匂いのする図書室は、いつにも増して人気が無かった。
フリードは静かな空間に、自分の持つランチの袋がガサゴソいう音さえ気にしながら、いつものスペースへ向かって歩いて行った。
すると暗い中にそこだけ光が差している様に、金色の髪が輝いて見えるのを見つけて、途端に心臓が早鐘を打った。
(彼女だ)
走り出しそうになる足を必死に押し留め、フリードは静かな足取りで彼女の座るテーブルへ近づいた。
「ここ。僕も座って食事をしても良いですか」余裕無く声がかすれるのを情けないと思いながら、フリードは小さな声でローズに声をかけた。
今日もまたパンを食べていたローズは、その声に顔を上げて笑顔を見せた。
笑顔を向けられたフリードは嬉しさで心臓が止まりそうだったが、ローズは何も気づかず「もちろん、どうぞ。誰でも使えるスペースですもの」と答えた。
「ありがとうございます」フリードはお礼を言って、以前と同じく斜め向かいの席に腰を下ろした。
公の場所に座るのに丁寧に許可を求め、お礼まで言うフリードを、ローズは何て礼儀正しい人だろうと感心した。そしてこの前の林檎を思い出して、忘れない内にと口を開いた。
「あの。この前は林檎をありがとうございました。とても甘くて、美味しかったです」
図書室なので声を潜めて言ったその言葉は、フリードには良く聞こえなかった。きちんと聞きたいと思ったフリードは、立ち上がって彼女の側まで行った。
「すみません。良く聞こえなかったので、もう一度言って貰えますか」
急に近づいて来たフリードに驚いていたローズだったが、そう言う訳かと分かり、うなずいた。
「この前の林檎が、とても美味しかったと言ったんです。ありがとうございました。ずっとお礼を言いたいと思っていました」
「ああ、林檎ですね。あなたが気に入ってくれたなら嬉しいです。あれは、僕の家の領地で取れる林檎なんです」
「そうなんですか。きっと素敵な所なんですね」ローズは微笑んだ。
うっかり『領地』と口にしてしまったフリードは、ローズに『領地って、どこなんですか』とでも聞かれたらどうしようかと内心焦っていたが、彼女が何も聞いて来なかったので安堵した。
ここで『カラバン領です』と答えて、彼女の顔が曇るのを見るのは辛過ぎたからだ。
本当はローズも自分の家名を名乗りたくはないので、『あなたは?』と聞き返される恐れのある質問を人にするはずは無く、彼女に限って言えばフリードの心配は最初から杞憂だった。
素性を知られたくない者同士の二人は、お互いに名前を聞くこともないまま、会話を続けた。
いつもここで昼食を取っているんですか?とか、天気のいい日は庭も良いですねとか、当たり障り無い言葉を幾つか交わしている間、フリードが自分の側に立ったまま食事をしていない事に気づいたローズは「良かったら隣に座って、話しながら食べませんか」と誘った。「その方が、小さな声でも聞こえますから」
そう言われたフリードは、すぐに自分のランチボックスを持ってローズの隣の席へ移った。
二人はしばらく、学院の教師などを話題にしながら食事を続けた。
ローズが小さなパンを二個とも食べ終わったタイミングで、フリードが「あの、今日も林檎を持って来たんですが、良かったら一ついかがですか」と言い、ローズに真っ赤に熟れた林檎を差し出した。
それを見たローズは目を輝かせ「ありがとうございます」と手を差し出そうとしたが、何かに気づいて慌ててその手をひっこめた。
ローズは怪訝そうな顔のフリードに、しょんぼりした顔で「すみません。遠慮も無く意地汚かったですよね。元々平民なので、余り貴族の礼儀が出来ていないんです」と謝った。
フリードはそんなローズの様子を見て、差し出していた林檎を彼女の前に置いて言った。
「意地汚いなんて、僕は全く思いません。喜んで受け取って頂ける方が嬉しいです」
「だから、どうぞ召し上がってください」優しく言うフリードに、ローズは真っ赤な顔で「ありがとうございます」と小さな声で答えた。
それからハンカチを取り出して林檎を拭くと、一口かじって「やっぱり美味しいです」と笑った。
「良かった」フリードは答えながら、自分がどうしようも無くこの人に惹かれているのを感じていた。
それからも毎日フリードは昼休みに図書室へ通い、ローズが現れた日は一緒に昼食を取った。そういう日を重ねる内に、お互い自分の興味のある事や、街に遊びに行った時の話など、個人的な内容も話す様になって、フリードはローズも、自分と一緒にいる事を心地良く思ってくれていると感じられた。
しかし二人は相変わらず、お互いの名前も、学年さえも聞かないままで、フリードはそれに安堵しながら、日増しに苦しくなっていった。
何故ならその事実が導き出すのは、‘’名前も聞かれない程、相手は自分に興味が無い‘’という身も蓋も無い結論で、会う度にローズを好きになるフリードは、どうしたら良いのかと頭を悩ませた。
その頃フリードはレオンに、毎日昼休みに図書室に行く理由を見破られていた。
彼はいつまで経ってもカフェテリアに行くと言い出さないフリードを怪しんで、ある日こっそりフリードの後を付け、図書室まで着いて来ていたのだ。
間の悪い事にその日は、何日か現れなかったローズがやって来た日だった。レオンは物陰から久しぶりにローズに会えて目を輝かせるフリードを見て、二人が楽しそうに昼食を取り始めるのを確認すると、その場は黙っていなくなった。
そして、午後の授業の為教室に戻って来たフリードを意味ありげに見つめ、「後で話がある」と言ったのだ。
その日の放課後、レオンに連れられてフリードはカフェテリアの隅のテーブルに座っていた。
レオンは開口一番「今日の昼休み、図書室でフリードが何をしているのか見たぞ。お前が読みたいのがあの本だったら、いくら時間があっても読み終わる訳が無いな」と言った。
「レオン、僕を付けたのか」フリードが気色ばむと、レオンは悪びれもせず「だってお前が本を読み終わったら、俺に声をかける約束だったろ。なのに、何ケ月経っても何も言ってこない。おかしいと思うのが普通だろ」と言い放った。
それから横を向いて視線をそらすと「俺だってお前がまた変な奴らに絡まれていないか、心配だったんだ」とつぶやくように付け足した。
フリードはハッとした。以前フリードは家の事で他クラスの者に難癖をつけられ、呼び出されたり嫌がらせをされて、出来るだけ教室から出ない様にしていた時期がある。今回カフェテリアに行かなくなったのも、そういう目に遭っているのでは無いかと、レオンは心配してくれていたのだろう。あの時の嫌がらせは教師の耳に入り、相手方に注意をしてくれたので無くなったが、フリードはそれもレオンが動いてくれたのではと思っていた。
「それは、心配かけてごめん。ちょっと言いづらくて、言えなかった」フリードが素直に謝ると、レオンは「もう良いよ。でもその代わり、彼女について聞かせてくれよ」と身を乗り出してきた。
「彼女についてって言っても、ただ、あそこで時々昼食を取っているだけだから。最初に会ったのも偶然で、それからは僕がまた会いたいと思って通ってるだけだ」フリードは事実を述べた。
「ふうん…じゃあ、彼女は誰なんだよ。すごく綺麗な子じゃないか」
フリードが「知らないんだ」と答えると、レオンは呆れた顔で「嘘だろ」と本当に信じていない様子で詰った。
「俺に言いたくないからって、あんなに楽しそうに話してて、名前も知らないなんてあるかよ」
「嘘じゃない。僕が自分の名前を言えない事は、レオンも分かるだろう」
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