90 フリードの変化と出会い
その日からフリードは朝食は部屋で取るが、夕食は今まで通り一緒の席につくようになった。
「朝食は、あの人に給仕されるのが耐えられないんです」フリードはマーサにだけ、気持ちを打ち明けた。だからマーサは、自分がフリードの部屋へ朝食を届けてやる事にした。そしてそれを口実に、昔イブリンとしていた様に早起きして、フリードの同級生の異母姉シャーロットと一緒に朝食作りを始めた。
フランクはそんなマーサを見て「どういう風の吹き回しか知らんが、またお得意の偽善が始まったか」と言ってきたので、マーサは「あなたはご存知ないようだけど、シャーロットは今までの方の様に、天涯孤独で誰も気にかける人がいない訳じゃないのよ。フリードの学院にマクロス男爵家の子息がいて、自分は弟だと名乗ってきたんですって」と教えた。
「へえ。気にかけると言っても、姉を売る様な落ちぶれた男爵家の、しかも学院に入学したての子どもなんだろう。そんな力の無い奴には、何も出来ないさ」フランクはそう言ってマーサを笑ったが、それを知ってから暴力の回数は減り、加減を知る様になった。
(あの人は元が気弱な小心者だから、外の世界と彼女が繋がっていると知れば、ちょっとは自重すると思ったわ)
レジナルドも今までの惰性で若い妻を娶ってはいたが、流石に昔の様には体力も無く、最近は閨はほとんど無くなっていた。彼は長い間、もう一人子どもを作りたいという思いに囚われてきたが、フリードを可愛いがり、立派に成長する姿を見ているうち、段々とフリードがいれば良いという心境になってきたのも大きかった。
そのフリードはマーサから「お義父様があなたを可愛がっているのは本当だから、あなたがお義父様の話し相手になれば、それだけシャーロットから気がそれて、彼女は楽になれるわ」とアドバイスを受けていた。
その為、試験前など勉強が大変でない時期には、食後のレジナルドの酒の時間に一緒に話をする様にした。するとレジナルドは可愛い孫と楽しく会話出来て満足し、酒が入って早い時間にぐっすり寝るので、シャーロットを煩わせる回数が減った。
シャーロットはずいぶん毎日が楽になったと、マーサとフリードに感謝した上で、謝罪した。
「奥様。本当にありがとうございます。毎朝一緒に食事作りまでして頂いて、申し訳ありません。…それにフリード坊ちゃまの気遣いも、とてもありがたいです。
私に異母弟のダニエルからの手紙まで届けて下さって、感謝してもしきれません。それなのに、ダニエルが学院で不用意に話した事のせいで、坊ちゃまが辛い目に遭っていると手紙で知って、本当に申し訳なくて…」
頭を下げるシャーロットにマーサは「もう広まってしまったものはどうしようもないわ」と言った。「まさかあなたの異母弟がフリードのクラスにいると思わなかったけど、元々カラバン子爵家の評判は最悪で、何が行われているのか皆知っていたから。遅かれ早かれ、同じ事になっていたのよ」と言った。
「それでも私が売られたのはマクロス男爵家の問題で、私がここに来た事で男爵家にお金が入り、あの子が学院に行けたのは事実なんです。
そもそも私が庶子として生まれたのは男爵の行いのせいで、全て坊ちゃまには何の関係も無い話です。
あの子には私からそうきつく言い聞かせて、今は反省しています。本当に、深くお詫び申し上げます」
「そうね。気持ちは分かるけれど、あなたの異母弟は怒る相手を間違えていた。一番怒って責めるべきだったのは、あなた方の父親だったわね。それが自分の学費の為なら父親と話し合い、自分を犠牲にして学院に行かない選択肢だって取れたはず。
それを何もせず傍観して、だけど罪の意識に耐え切れず、その結果楽な方に流れてフリードを責め立てたのには、私も正直言って怒りを感じる。もしあなたが本当に彼を立派な大人にしたいのなら、自分を見つめ直して生きる様に伝えると良いわ」
「そうですね。私もそう思います。父親が怖いからと言って父親には何も言わず、学院で無関係な坊ちゃまに怒りをぶつけるのなら、あなたも父と変わらない卑怯者だと伝えました。あの子も本当は坊ちゃまは何も悪くないと分かっていたと、反省はしていましたが、もう学院に噂が広まり止められないみたいで…申し訳ありません」とシャーロットは再び頭を下げた。
「起きてしまった事をこれ以上悔やんだり謝っても仕方ないわ。あなたの異母弟が本当に反省しているなら、この家のせいで孤立しているフリードの為に、出来る事をしてくれたら嬉しい。もちろん、その子がそうしたいと思うならで良いから」
「分かりました。そう伝えます」
しばらくして、フリードがマーサにこんな話をしてきた。
「母上。マクロス男爵家のダニエルが、この間の歴史研究の授業で、僕に同じグループに入らないかと誘ってきました」
「あら。それで、あなたはどうしたの」
「僕は、今回は止めとくと言って断りました。ダニエル達のグループと、僕のしたかった研究は違ったから」
「そう。あなたはそれで大丈夫なの。同じテーマの人と組めたのかしら」
「僕と同じテーマのクラスメイトは誰もいなかったので、一人でやりました。僕、歴史は好きなので、自分だけで知りたい事を研究するので良いんです。だけどダニエルが、今度もし同じテーマだったらまた誘うと言ってくれました」
「そうなの。良かったわね」マーサが笑うと、フリードも久しぶりに笑顔を見せた。
「それを見ていた他の級友とも、挨拶を交わす位は出来る様になったんです。まだまだ家の事で遠巻きにされていますが、母上の言っていた通り心をまっすぐに持って、僕も僕を守っていこうと思います」
「フリード。そう言ってくれてこんなに嬉しい事は無いわ。ありがとう」
マーサはその夜、久しぶりにミシェルに手紙を書いた。
『ミシェル、元気ですか。なかなかあなたのお店に行けなくてごめんなさい。けれど、順調そうで安心しています。
フリードは学院で、私たちが心配した通りの試練に遭いました。彼は最初真実を知って荒れたけれど、私と話をしてくれて、その後は自分で乗り越えていきつつあります。
勿論これから先もずっと困難は続くでしょうが、最初の一歩を間違えず踏み出せた事を、女神様に感謝しています。
あなたと私で守ってきた彼の心を、これからは自分でも守ると言ってくれました。
それが嬉しくて、あなたに伝えたくて、久しぶりに手紙を書きました。
フリードが学院を卒業するまでの五年間、どうかあなたも彼の無事を祈っていてください。
マーサ』
それから数年が経ってフリードが四年生に上がる頃には、少しずつ彼の良さを理解して、家の事を抜きにして付き合っていける友達が出来た。人数は少なかったが、フリードにとってその友人達は本当に信用できる友で、口に出しづらい家の悩みを聞いて貰える貴重な相手だった。
その反面多くの生徒から軽蔑され、忌み嫌われるのは続いていたので、フリードは友人といない時、入学時のジャスパー先生の教え通り図書室に入り浸った。おかげで成績は上位を保つ事が出来て、フリードを貶めようと企む生徒達から、つけ込まれる隙を減らすのに一役買っていた。
その日の昼休み、いつも一緒に昼食を取るレオンが家の用事で休みだったので、フリードは図書室の奥の飲食可能な席に行き、一人でランチを取っていた。
生徒は普通カフェテリアで昼食を取るか、ランチボックスを持っている場合は教室や、季節が良ければ庭に出るので、この埃っぽくて薄暗い図書室はフリードの安息の場所だった。
本を汚さない様に読みながら、肉と野菜を挟んだパンを食べていると、誰かが斜め向かいの席に腰を下ろすのに気がついた。いつも警戒心を捨てられないフリードは、相手に気づかれない様にそっと目を上げてそちらを見た。
そしてその途端、心を射抜かれ恋に落ちた。
座っていたのは見覚えのない女生徒だった。彼女の髪は図書室の暗がりの中でさえ金色に輝き、同じ色のまつげに縁どられた瞳の色は深い海の色だった。まるで小さい頃好きだった絵本から抜け出て来たようなその姿に、フリードは不躾だと思いながら目が離せなかった。
(こんなに綺麗な女の子は見た事がない)
フリードは自分がその少女に心を奪われたと自覚すると同時に、自分の素性を思い出し、この恋が成就する可能性をあっという間に諦めた。
それでも今だけはと彼女を見ていると、彼女の昼食がひどく少ないのに気づいた。
彼女の昼食は小さなパンが二つだけで、それを大事そうに少しずつ食べている。
(彼女はお腹が空かないのかな)心配になったフリードは、ふと思いついて小さい林檎をテーブルに転がした。
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