82 悪魔の家2
レジナルドとイブリンが部屋から出て行ってから、フランクは「大丈夫かい」とマーサを助け起こした。結婚式を挙げてから今までマーサを気遣い、紳士的に振る舞っていたフランクとまるで変わらないその態度にマーサは混乱し、怒りを感じた。
「フランク。今さら優しくしてどういうつもり?それなら、何故私が打たれた時庇ってくれないの⁉ あんな事を妻がされても黙っているなんて、あなたどうかしてるわ。お義父様もおかしいし、それにあのイブリンって人は何なの。あれが妻ってどういう事よ」
マーサに怒鳴りつけられ、フランクの目はまたも虚ろな闇を宿した。
「君が父の気に障る事を言ったんだ。それが父に聞こえてしまったから、叩かれたんだよ。それなら君が悪いだろう。俺だってそうなったら叩かれるし、俺の母もそうだった。今までは君と父は関わりが無かったが、これからはそうはいかない。だから君が気を付けなきゃいけないね。でなければ、俺まで父に叱られるんだ。
あとはイブリンについてだったね。彼女は父の何番目かの妻だ。もう何人目かは分からないが、母が死んでから父は、金を払って貴族の庶子や隠し子を娶って妻にしている」
あたかも普通の事を話す様に説明するフランクに怯えながら、マーサは頭に浮かんだ疑問を口に出した。
「何でわざわざ妻にするの。妾が欲しいなら、婚姻する必要は無いでしょ」
「父は子が欲しいと言ってただろう。父には子が僕しかいない。妾の子だと、籍に入れる時王家に届けて内情を調査されたり、面倒が多いんだ。だから籍を入れて妻にする。そうすればカラバン家当主と妻の間の子になるからね」
マーサは、この家は狂っていると思った。
「それであんな奴隷みたいに扱っているの?私にも働かせようとしていたわよね。冗談じゃない。私は立派な貴族の娘よ。私、もうあなたと離縁するわ。家に帰るから、馬車を出してちょうだい」
フランクはマーサの肩を強く握り、首を横に振った。
「無理だよ、マーサ。さっき父が、外でこの家の事を洩らしたらタダじゃおかないと言ったばかりじゃないか。もう忘れてしまったの。そんなことでは、また僕が叱られる。やはり父の言った通り、君には躾けが必要みたいだな」
フランクはクローゼットの方へ行くと、皮のベルトを持って戻って来た。
それを見て怯えた目をするマーサを宥めるように「これは僕が小さい頃に使っていた物だから、そんなに痛くは無いよ。でも、僕がそうだったみたいに、これでやって良い事と悪い事を覚えていこうね」と、べルトを振り上げた。
マーサはそれからも何度も抗議して逃げ出そうとしたが、その度にフランクと、時にはレジナルドに‘’躾け‘’をされ、段々と思考が鈍り気力が湧かなくなった。
抵抗する気が無くなってからは、言われた通り持ち込まれる布に刺繍をしたり、命じられるままレースを何時間も編んでいれば、何も咎められず、時には褒められる事に喜びを感じるようになっていた。
頭がはっきりしている時は(あの人達に褒められて喜ぶなんて、どうかしてる。私は囚われているのに)と考えられるが、それを態度に出して躾けられると又元通りだった。
ただ衣食住には困る事は無く、貴族全員が呼び集められる王宮の夜会などは、レジナルドの代理としてフランクと共にドレスをまとって出席した。レジナルドは妻をパートナーには出来ない上、誰かに諫められ不愉快な目に遭いそうな場には、決して出ようとしなかった。
そうして出席したある夜会で、婚姻後初めて両親の顔を見たマーサは、衝動的に自分の置かれた境遇を口にしそうになった。しかし隣に立つフランクに「マーサ」と一言声をかけられると、条件反射の様に身体が強張り、舌がもつれ声が出せなくなった。
両親は目を潤ませ言葉を発しない娘に「おや、久しぶりに私たちの顔を見て、恋しくなってしまったかな。しかし、元気そうで良かった。たまには顔をみせてくれ。娘をよろしく頼むよ。フランク君」と何も気づくことなく、上機嫌に笑って言った。
他の貴族達は遠巻きにその様子を見て何か察していたが、末端の成り上がり男爵にわざわざ子爵家の闇を教えて面倒に巻き込まれる気は無いと、口をつぐんでその場をやり過ごした。
家に帰り着いたマーサはフランクに「私は何も言わなかったでしょう」と訴えたが「マーサの物覚えの悪さには心底呆れたよ」と、そのままレジナルドに引き渡された。
フランクから話を聞いたレジナルドは、嬉々としてマーサへ激しい折檻を加えた。
レジナルドは「頭の悪い者には、身体に教えるしかない」と言いながら、額に汗まで浮かべてマーサを打ちすえた。服に隠れて見えない同じ部分を何度も打たれ、マーサの白い肌は皮が破れ肉が見える程になって、マーサは遂に気を失った。
マーサが気が付いた時、傍らにイブリンがいて傷の手当をしてくれていた。彼女は最初に見た時から比べると明らかに痩せ、身体の傷が増えていた。
イブリンはマーサの意識が戻ったのを知ると「もう逆らわない方が良い。あの人は、人を殺しても何とも思わないから」と小声で言った。そうして傷口が出来るだけ痛くない様気を付けて軟膏を塗って、包帯を巻いてくれた。
「ありがとう」
それまでのマーサは、自分よりも冷遇されているイブリンを見て心を慰め、義父と夫同様に彼女を使用人として扱っていた。自分がイブリンなら、そんなマーサが折檻を受ける姿に溜飲を下げ、心の中でざまあみろと笑って放置していただろう。それなのに傷の手当をしてくれた上に、忠告までしてくれるイブリンを前にして、この家に来て初めて人の優しさに触れたマーサは涙を流し礼を言った。
やがて傷も癒えたマーサは、イブリンの忠告通り逆らうのを止めた。
前回本当に命を取られかねないと感じたし、大人しく従っていれば、表向き平穏な日々とほんの少しだけ生活に隙が与えられたからだ。マーサが従順にしていれば、フランクは結婚前とほぼ変わらずマーサに接し、レジナルドの見ていない所でイブリンの手伝いをしても咎められなかった。
カルバン子爵家の使用人の数は少ない。醜悪な家庭内の事情を極力外に洩らさない為だろう、住み込みの者は数人の下男しかおらず、他はほぼ全員が通いの使用人だった。
そのせいで夜間から朝にかけてのイブリンの負担は、特に大きかった。
料理人も通いの為に朝食の用意はイブリンの仕事で、前日遅くまでレジナルドの閨の相手をさせられても、翌朝は早起きして朝食の用意をしなければならなかった。
マーサはイブリンが止めても、あれから一緒に起きて朝食作りを手伝い始めた。最初は何も出来なかったが、教えて貰って何とか一人で調理が出来る様になったマーサは、自分が調理をするから、イブリンは給仕だけすれば良いと提案した。
給仕はレジナルドの目に触れる為、必ずイブリンでないといけない。けれど調理までの仕事をマーサが代われば、イブリンは少しでも長く寝ていられる。
イブリンはこれが知られたらきっと叱られる、マーサが危険な目に遭う事をしないで良いと何度も断ったが、マーサは聞き入れず、イブリンが根負けするまで説得し続けた。
マーサにしてみればそうやってイブリンを助ける事は、自分が人間らしく生きる希望に繋がっていた。イブリンとの交流だけがマーサの心を守っていたのだが、それも全てが終わりになる日が近づいていた。
ある朝マーサが目覚めた時、イブリンの姿は消えていたのだ。
その日、いつもと同様に朝食を作ろうと部屋を出たマーサを、自室から出てきたフランクが呼び止めた。レジナルドからの厳命で二人も頻繁に閨は行っていたが、朝まで同室で過ごす事は無かったので、マーサはフランクに気兼ねせず早起きして朝食作りをしていた。
「今日からしばらく、給仕も君がしてくれ」突然言われたマーサは、反射的にフランクに問いかえした。
「どうしてですか。イブリンが病気にでもなったの」
フランクは一瞬冷たい目をマーサへ向けたが「いや、そうではない」とそっけなく返した。「とにかく言われた通り、朝食を作って給仕しろ。これ以上余計な事を聞けば、どうなるか分かるな」
フランクの目を見たマーサは、身体に染みついた痛みが蘇った。恐怖に支配され、それ以上聞く事が出来なくなって「分かりました」と答え、仕事へ向かった。
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