80 悪魔の行方
「悪魔に遭ってからの記憶を失くして子どもに戻った様なカミラを見ていると、今のカミラの方が幸せなのではないかと思ってしまうんだ」
トーマスが話し終えると、厳しい目を向けながらトムが尋ねた。
「さっき身分を気にせず話して良いと言われたので、俺が思っている事を言わせてもらいます。シュタイン伯爵、あなたはカミラをこれからどうするつもりなんですか。貴族の結婚には様々な理由や事情があると思いますし、ただ好き合って結婚する訳でない事も分かっています。だけど今のあなたはカミラでなく、明らかにローズを愛しているじゃないですか。そしてローズの産んだレイモンドという長男もいる。正妻の子としてクラウスが生まれたから、ローズとレイモンドではなくカミラとクラウスとやり直そうと思ったそうですが、クラウスがいなくなり、カミラは記憶を失くしました。これからのカミラの事を、あなたは妻として大切にしてくれるんでしょうか」
「トム。やめなさい」ケイトが鋭い口調でトーマスに詰め寄るトムを止めた。
「でも、母さん。このままじゃカミラが」
「シュタイン伯爵とカミラ様の夫婦の話は、あなたが口を挟む事じゃない。ローズさんと息子さんの事だってそう。皆色々な事情があるの。いくら身分を気にしないとおっしゃって頂いても、ここに至るまでの道のりとこれからの選択を、あなたが責めたり押し付ける権利は無いわ。私たちは、カミラ様の魂が破滅しない様に祈り、それが女神様に聞き届けられた。それだけで良いのよ」
「母さんは、せっかく守れたカミラが不幸になっても良いのか」
トムが尚も気色ばむと、ケイトは「不幸になっても良いなんて、少しも思っていないし、思うはずが無いわ」と静かに答えた。
「でも、私にはシュタイン伯爵が悪い方には見えない。ローズさんも、ガードナー伯爵ご夫妻も、こんなに親身になってくれている良い方達よ。
トム、よく考えなさい。今までのカミラ様は悪魔を身に宿していたの。現にローズさんは、私たちの話すカミラ様が、自分の知っているカミラ様と同じ人だと全く思っていなかった。
悪魔によって沢山の人が亡くなるまでの間にも、カミラ様は全てが自分の意思では無かったにせよ、周囲の人にひどい事を言って、ひどい事をしてきたはずよ。だからあんなに何回も少女の絵が黒く染まったの。あなたもずっと見てきたから知っているでしょう。
黒くなった分だけカミラ様は悪魔の囁きに従い、悪意を持ち行動してきたのよ。
…最後に真っ黒に染まったのは、さっきおっしゃっていた襲撃があったからだと思うわ。
それでもこの方達は悪魔を憎んでも、カミラ様を責めない。シュタイン伯爵はご両親が亡くなったのに、カミラ様が助かって良かったと言ってくれた。それがどんなに慈悲深い事なのか、よく考えなさい」
母親の言葉に思い当たる事があったのか口をつぐんだトムに、ローズは声をかけた。
「トム。ケイトさんの言う通りよ。正直言ってカミラ様は、私には良い人だったとは言えない。悪魔のせいだったとしても、実際に言われた事、された事は消せないわ。だけどトーマス様は、私とレイモンドを自由にして、自分はもう一度カミラ様とやり直そうと本気で考えていた。これからどうなるにせよ、そういうトーマス様は故意にカミラ様を不幸にしようとはしない。信じられる人よ」
トーマスは思わぬ言葉をローズに言って貰えて、震える程嬉しかった。
トムは唇を噛み締め「母さん、ローズ、分かった。…シュタイン伯爵、出過ぎた事を言いました。申し訳ありませんでした」と謝罪した。
そこでアランが「俺からも一言言わせてもらうけど、俺はカミラに嫌な事なんて少しもされていないよ。悪魔からは直接の攻撃を受けた事はあるが、それはマーガレットの聖魔法で無事に済んだ。カミラは、俺にとってはいつも礼儀正しく、真面目で、親切な女性でした。…だからケイトさん。あなたのお陰で、カミラの良い所はちゃんと残っています」
それを聞いたケイトは、口元をほころばせた。
「ありがとうございます。そう言って頂けると救われます」
ケイトは心の中で、ガードナー伯爵はカミラの好きだった王子様にとても良く似ていると思ったが、それは口に出さなかった。
「さあ。まずは今俺達がしなくてはならない事を考えよう。クラウスが今どこにいるのか。それを突き止めるのが先決だ。トーマス。あれからタミーとクラウスの手がかりは何も見つかっていないのかい」
アランの質問を受け、トーマスが新しく手に入った情報を思い出した。報告しようとして、森の中でローズ達が見つかる騒ぎに紛れてしまっていたのだ。
「数日前なんだが、赤子を連れた女が宿屋の女将と話すのを聞いた人が見つかった。今までの情報では、この邸を出てから最後に目撃されたのは隣の領との境にある宿場町だったが、とにかく皆口を揃えて、よく覚えていないと言うんだ。話をしたような気がするが、何を話したのか記憶にない、顔を見たと思うが、どんな顔か思い出せないという具合だ。
話を聞いたと言う彼は目の不自由な老人だから、顔は分からないし直接二人に接した訳でも無いが、子ども連れの女の一人旅など危険だと思い、つい女将との話に聞き耳を立てたと言っている。
それによると、女は女将と世間話をして、これから隣の領を抜けてさらに東に行くつもりだと言っていたそうだ。それに老人の聞き間違えかもしれないが、女将に部屋の鍵を貰い階段を上がる途中で『あそこにいけばいくらでも、憎んで苦しみ悶え、絶望する感情が手に入るからな』と言う男の声が聞こえたというんだ。もしそれがクラウスの声なら、タミーらしき女は隣の領の先に、どこか行く宛てがあるんだろう」
「その人は目が不自由だったから、悪魔の術にかからなかったのかもしれませんね」トムが言った。「神殿に残る文献では、悪魔と目を合わせると心を操られると書いてありましたから」
「そうなると、その老人の言う事には信ぴょう性があるな。シュタイン領の隣の領を抜けて東か…。苦しみ悶える場所というのはどこだろう。あの辺りに墓地、大きい病院、罪人の収監場、刑場などあっただろうか。俺には思い当たらないが」
「あの、もしかしたら」ローズが控え目に口を挟んだ。
「何か心当たりがあるの?ローズ」マーガレットが励ます様に尋ねると、ローズは思い切って自分の考えを述べた。
「それは、カラバン子爵家の事ではないでしょうか。シュタイン家に来なかったら、私が売られていたはずの子爵家です。確かあの辺りにあったと思います。
自分が売られる可能性があったので、どんな家なのか少しでも知りたくて、アマンド男爵夫妻の話を盗み聞ぎしたり、他の貴族の噂話を聞いて情報を集めました。
あの家の内情を知った後、あそこに売られるなら、最後の手段でマーガレットに助けを求めようと思った家です」
「カラバン子爵家か。あそこは、確かに地獄だな」アランがうなずいた。
「アラン、何か知ってるの?」
「あの家は、七十を超えた老人が当主を息子に譲らず、家族全員を管理しているんだ。そして自分は困っている若い女性を妻にして、全ての家事や世話をさせる。もう何人もの女性が妻になり、皆若い内に亡くなってるよ。噂では、労働だけではなく、抑圧された家族の憎しみのはけ口にもされるらしい。俺は父の代にわずかにあった付き合いも絶って、もう全く交流は無いから噂しか知らないが」
マーガレットやケイトがそれを聞いて醜悪さに身震いしていると、トーマスが声を上げた。
「きっとカラバン子爵家だ。間違いない」
「トーマス様。どうしてですか」
「その家の事をカミラはよく知っていたから、憑りついていた悪魔も、タミーだって知っていたはずだ。それに俺もローズに関わる危険があった家だったから、それから何となく気になって情報があれば集めていたんだ。その中に子爵に最近新しい妻が出来たが、貴族家出身ではなく平民で、しかも子持ちという話があった。聞いた時は、さすがにもう誰もあの家に嫁がないから、平民で金に困っている女性が犠牲になったのかと思っていたが、これはタミーとクラウスの事じゃないか」
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