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いつかあなたを  作者: Jun
救済の世界

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74 消えた記憶と悲劇の森

「レイモンド!大きくなったなあ」トーマスは馬車から降りてきたアラン、マーガレットと挨拶を交わし、最後に乳母に抱かれていたレイモンドを受け取り、抱き上げると頬ずりした。自分を忘れているのではと心配していたが、レイモンドはどうやらまだトーマスを覚えてくれていたようで、笑い声を上げてくれた。

「トーマス様、レイモンドはとても良い子でしたよ」マーガレットはそっくりな二人が笑い合う姿を見て、笑顔を浮かべた。

「マーガレット。本当にレイモンドの面倒を見てくれてありがとう。君達のお陰で安心していられたよ」

「こちらこそレイモンドのお陰で、邸に隠れていた不穏分子が突き止められて助かったよ。レイモンドの事が無ければ、気づかず暮らしていたところだった」


 新しい特別な馬車ならタリム村へは一時間もあれば着くので、村へ行く前に一旦邸でひと息つこうと、四人は邸内へ入った。応接室に落ち着いたところで、シモーヌが数人の侍女と共にお茶の支度をしに入って来た。


「シモーヌ。久しぶりだね。元気かい」アランが目を留め声をかけると、シモーヌは「お久しぶりでございます。お陰様で元気にしております」と丁寧に頭を下げた。

 マーガレットが「シモーヌ。以前アランから差し上げたハンカチは、もう魔法が抜けてしまったでしょう。新しい物を持って来たから、受け取ってちょうだい」と、聖魔法を籠めたハンカチを差し出した。


 シモーヌは驚いて「ガードナー伯爵夫人。以前頂いた一枚だけでも過分な物でしたのに、これ以上は頂けません」と断った。

 しかしマーガレットは立ち上がってシモーヌに近寄ると、彼女にだけ聞こえる声で「あなたは長い間黒い魔力に晒されていたから、聖魔法を身に付けておいた方が良いわ。これからも身体に不調や、頭に靄がかかるような気がしたら、これを使って頂戴」と、袋に入れた数枚のハンカチをシモーヌのお仕着せのポケットに忍ばせた。マーガレットのハンカチの効力を身を持って知っているシモーヌは、そうまでされて断る理由は無く、有難くハンカチを受け取った。


 お茶の用意を終えてシモーヌ達が去って行くと、トーマスが「ありがとう、マーガレット」と礼を言った。

「いいえ。私は聖魔法使いとして、出来る事をさせてもらっただけです。私の魔法がこんなにささやかなもので無ければ、もっと悪魔に対抗する手段が取れたでしょうに」マーガレットはそう言うと、悔しそうに唇を噛んだ。

 するとトーマスの隣に座っていたレイモンドが「あ」と言ってマーガレットにクッキーを差し出した。

「まあ。ありがとう、レイモンド。私の好きな物で慰めてくれているのね」

 レイモンドの差し出したクッキーは、マーガレットが好んで食べるナッツの入ったクッキーだった。マーガレットはレイモンドの小さな手から渡されたクッキーを口に入れ「美味しいわ」と笑った。


「君の小さな息子は父上に似ず、とんでもなく女性の扱いが上手いな」アランが大げさに驚くと、トーマスも「ああ。俺の小さい頃とは大違いだよ。俺が女の子に上げるとしたら、虫くらいだったからな」とため息をついてみせた。

 レイモンドはニコニコと笑い、もう一枚マーガレットにクッキーを差し出した。

 そうやって皆で笑いあっていると静かにドアが開き、入口にカミラが立っていた。

 後ろに付き従うシモーヌは困り顔をしていたが、カミラは感情の無い目で応接室に集っている皆を見渡した。


 一瞬固まっていたアランがすぐに立ち上がり、カミラへ近寄って挨拶した。

「カミラ、久しぶり。アランだよ。元気だったかい」


 アランがそうやってカミラに話しかけたのに反して、トーマスは無意識にレイモンドを庇う様に抱きしめて動かなかった。後になって思い出すと、夫が妻にする対応では無かったと自分を責めたが、この時のトーマスはレイモンドを守る事が最優先で、自分に唯一残されたレイモンドだけは、何としても害させないという強い思いでいっぱいだった。

 マーガレットは、黙ってカミラを見つめていた。その目は悪魔の痕跡が無いか、注意深く探っていたが、カミラの中に蠢く蛇は見えなかった。

 光を持たない目でアランを見たカミラは「あなたじゃない」と一言つぶやいた。

「あなたじゃないって、何のことだい」アランが聞き返すと、カミラの目は少しだけ光を取り戻し「王子様のことよ。海の底にいるの」と返事をした。


 それを聞いたマーガレットが「海に落ちた少女と海の底の国の王子の話かしら」とつぶやいた。

 カミラは「でも、もう私は、王子様になんて会わなくても良いの」と言うと黙り込んだ。それ以上カミラが動かなくなったので、シモーヌがそっと肩を抱き、一同に会釈をすると応接室から出て行った。


「カミラが言っていたのは、何だったんだろう」しばらくしてアランが尋ねた。

「カミラは、時々ああいう風になるんだ。子どもの頃湖でいなくなった乳母と、息子の事を思い出しているらしい」抱きしめていたレイモンドを元通り自分の横に座らせながら、トーマスが答えた。

「カミラ様の人が変わる前に、湖で消えたという乳母と息子の事ね」

「ああ。二人はカミラにとって、とても大切な人だったみたいだ。忘れたくないと、俺に叫んだ事もある」


「忘れたくないと言ったのは、カミラ様がその人たちを、強制的に忘れさせられたのかもしれないわね。悪魔は負の感情を糧にするから、カミラ様にとっての愛と善である二人が邪魔だったんでしょう」

 マーガレットは痛ましそうにつぶやくと、アランとトーマスへ声をかけた。

「さあ。もうタリム村へ出発しましょう。何か手がかりを見つけて、カミラ様にも二人の記憶を戻してあげたいと思うわ」


 トーマス、アラン、マーガレットがレイモンドを連れて馬車に乗り込み去って行くのを、カミラは部屋の窓から見ていたが、急にタリム村の方角を向くと動かなくなった。


 タリム村に到着すると、村はあの惨劇から数か月が経ち、やっといつもの生活を取り戻し始めていた。そんな中の領主であるトーマス達の再来訪に、村長は歓迎の言葉を述べながらもあの時の悪夢を思い出してしまい、憂鬱な表情を隠せなかった。

 村にとってあれほどの死者が出た事件は、さぞ重い傷跡として残っているだろうと申し訳なく思っていたトーマスは、村長が礼儀として誘ってきたお茶は丁重に辞退した。

 あからさまにホッとした様子の村長に惨劇への見舞金を改めて渡し、一行は花束を持って護衛と共に森へ向かった。


 森の中は木の切り倒された跡が残っていたが、既に全ての亡骸は葬られて久しく、当時はけぶる様に立ち込めていた血の臭いも消え去っていた。

 しかし一歩足を踏み入れた時から、何か重苦しいものが身体にまとわりつく感じがして、普段はそう言う事を全く気にしないアランでさえ(この森には何か不吉な感じがするな)と心の中で思う程だった。

 元から聖魔法と反する黒い魔力に敏感なマーガレットは大変そうで、森の中へ入ってから顔色がどんどん悪くなり、レイモンドが作ったと思われる塔が見えて来た所では、真っ青な顔で口元を押さえていた。


 アランが心配して馬車に戻ろうかと尋ねたが、マーガレットは首を横に振った。

「この場所に残る悪魔の黒い魔力と、死んでいった人々の恨みや憎しみ、無念が強すぎて苦しくなるの。でもどうしても塔までは行って、シュタイン前伯爵や皆の為に祈りたい。だから我慢するわ」アランに支えられながら、マーガレットは何とか歩を進めた。

やっと塔の前まで辿り着くと、マーガレットはその壁面に触れながら深く息を吐いた。

「この塔の周りだけ、清らかな気配がする。これに触れると、息が楽に吸えるの」

「それなら良かった」 

トーマスがホッとした様子で、抱いていたレイモンドを下に降ろした。

「レイモンドも、おじい様に花を捧げて一緒に祈ろう」

護衛騎士からクレマチスの花束を受け取り、トーマスはリチャードの倒れていた場所に供えた。



読んでいただき、ありがとうございます。


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