70 トムとケイトとカミラの物語2
「そんな言い伝えがあったなんて、全然知りませんでした。
私は元々男爵家のメイドをしていた平民で、故あって伯爵家に乳母として雇われた者です。だからウィルソン領については詳しくなくて、伯爵家で働く他の者も言い伝えなどには関心が無かったので、誰からも聞いた事がありません。
けれど言い伝えを知っていたとしても、封印された悪魔と自分が実際に出会うなんて、夢にも思わなかったでしょう」ケイトが、辛そうに言った。
「あの湖に遊びに行った時、偶然悪魔の封印を解いてしまったんですね」
「はい」ケイトはうなずいて「ただカミラ様が一人の時に起こった出来事なので、実際にどんな風に封印が解かれたのかは分かりません」
トムがその時の事を思い出しながら、ローズに話し出した。
「あの時はカミラの姿がいつの間にか見えなくなって、その場で名前を呼んでも返事が無かったんだ。俺と母さんはカミラが湖に落ちたんじゃないかと心配になって、二手に分かれて湖の周りを探した。俺は途中悪い想像をして湖の縁から底をのぞき込もうとした時、急に背後から吹いて来た強い風に煽られて湖に落ちた。しかし落ちた所までは覚えてるんだが、落ちていく間に気を失ったらしくて、その後の事は何も覚えていない。目を覚ました時には、もうこの世界に来ていた」
「私はトムと反対側を探していました。そうしたら、カミラ様が戻って来たんです。今思えばカミラ様の様子はどこか変でしたけど、その時は無事に戻って来てくれた事に安心して、カミラ様を抱きしめただけでした。
それからトムにも教えようと思い湖の周りに目をやったけれど、トムがどこにいるのか見つけられなかったんです。私は慌ててカミラ様の手を引き、二人でトムの名を呼びながら湖畔を走りました。
その途中、突然カミラ様が立ち止まり、私を引き留めて湖の底をのぞき込みました。私も同じようにのぞいてみたら、底に横たわるトムが見えたんです」
「その場所でトムは湖に落ちたんですね」
「そうだったのだと思います。私はトムを見つけると、とっさにカミラ様とつないだ手をふりほどきました。カミラ様が待ってと叫ぶのが聞こえたけれど、止まらずに飛び込みました。きっとカミラ様は私に捨てられたと思ったでしょう」
ケイトが悔いる様に話す姿を見て、ローズは思わず声を上げていた。
「それは仕方無い事です。私も、あちらの世界にレイモンドという息子がいます。もしレイモンドが水に落ちたら、後先考えず、迷わず飛び込むでしょう。他に大事な人がいたとしても、そんな時に他の人の事を考えて、思い留まるなんて出来ません。自分の命を犠牲にしても、助けようとすると思います」
「そう言っていただけると、少し救われます」とケイトは声を震わせた。
「言い訳になりますが、あの時湖の底に沈んでいたのがカミラ様でも、私はトムの手を振りほどいて飛び込んだと思います。カミラ様にしても、トムにしても、道連れにする訳にはいかないですから。…そうして湖の底に沈んだ私たち親子は、女神様の力でこの世界に逃がして頂きました。私はその時あちらとこちらの狭間の世界で、女神様の声を聞きました」
「女神様は、何とおっしゃったんですか」
「女神様は、カミラ様が悪魔の封印を解いてしまった事を教えて下さいました。封印されて弱っている悪魔は、力を取り戻す為に負の感情を必要としていて、その宿主としてカミラ様が選ばれたとおっしゃいました。私たちが湖に沈んだのは悪魔の罠で、それによってカミラ様の負の感情をかき立てる為だと」
『お前達を失ったあの娘は、悪魔にとって格好の宿主になるだろう。怒り、妬み、悲しみ、悔しさ、絶望…あの娘の持つ感情の全てが悪魔を強くし、やがて力が満ちた時、あの娘の魂を食い破り、蛇となった悪魔が生まれ出る』
「私は女神様の御力で悪魔を滅ぼし、カミラ様を救って下さらないかと尋ねました。女神様ならお出来になるでしょうと、畏れを忘れて不敬にも詰め寄りました。けれど女神様は、それは出来ないとお答えになりました。
悪魔は人が生み出したものであり、人が生み出したものは、人によって滅ぼさねばならないとおっしゃったんです。その為に人に力を貸す事はあるが、力を貸すかどうかもまた、人の祈りと願いによって為されるとおっしゃいました」
『お前たちを悪魔の手から救ったのは、お前が息子を助けたいと強く願い祈ったからだ。それがあったから、私はお前達を異なる世界へ導く事が出来た。もしお前があの娘を助けたいと真に願うなら、心から祈るが良い』
「その言葉を最後に、私たちは気づいたらこの世界に来ていました。私たちが導かれたのは北の地方の神殿で、そこの神官が私たちを見つけ、保護してくれました」
「その神殿は俺たちみたいな、女神様によって他の世界から導かれた人が時々現れる場所だった。だから俺たちの事情を聞いた神官は、すぐ俺たちをそういう者と判断して、神殿に住まわせてくれた。
ただ、今までの例を考えて、神官以外の人に他の世界から来た事や、他の世界の話はしない様にと言われた。この世界の秩序や、理を変えてしまう可能性があるし、下手したら迫害を受ける事もあるからって。
この世界の人間は皆魔法が使えるだろう? 俺も母さんも魔法なんて何も使えないからな。過去にそう言う事を話してしまい、異端者扱いされた人がいたらしい」
「それで、トムは神官になったのね」
「ああ。神殿にいれば皆事情を知っていて暮らしやすいからな」
ケイトは、神殿に保護されてから起こった事を話してくれた。
「私は神殿で下働きをして、トムは子どもだったので神官に勉強を教えてもらいながら、神官見習いになりました。私は最後に女神様がおっしゃった事を頼りに、カミラ様を助ける為毎日神殿の女神像に祈りを捧げました」
「俺も母さんからカミラの話を聞いて、絶対にあいつを助けたいと思った。神官見習いとして祈る機会は沢山あったから、その度にカミラを助けて下さいって祈ったんだ。そうしたら、この世界に来て二年位経った頃かな。俺の枕元にこの絵本が現れた」
トムは、海の王子と少女の絵本を大切そうに手に取った。
「絵本がトムの元に現れた日、私が神殿で祈りを捧げると、女神様が再び言葉を下さったんです」
『お前たちからの祈りを、確かに受け取った。あの娘は今悪魔に蝕まれ、魂が日ごと滅びに向かっている。お前たちの元に送った本の中に、娘の魂の影を移しておいた。魂の影を通し、娘を蝕む黒い魔力を吸い取る力を、ケイト、お前に与えよう。お前が黒い魔力を自分の身に受ければ、娘の魂の滅亡は先に延び、聖女があの地に再び現れるまで、生きながらえる事が出来る。
ただし、黒い魔力を受けたお前は苦しみ、聖女の浄化がなければ命を落とすだろう。それが分かっても尚助けたいなら、娘から魔力を取り除くと良い』
「そのお告げを受けている間、私の身体は光に包まれていたそうです。女神様の御業を目の当りにした神官にお告げの内容を尋ねられ、私は全てお話しました。
その後この絵本を皆で確認したところ、絵本の少女の容姿がカミラ様と同じものに変わっているのに気づき、この少女が女神様のおっしゃっていたカミラ様の魂の影だと分かりました」
「俺たちが最初に見た時少女の服は、ずいぶん黒くなってた。女神様が母さんに黒い魔力を吸い取る力を与えてくれたと言っても、俺たちにはどう使えば良いのか分からなくてさ。
困っていたら神官が『聖女が浄化する時の様に手で触れ、心の中で願ってみてはどうでしょうか』と教えてくれたんだ」
「私はすぐに指を少女に触れて、カミラ様にある悪魔の力を吸い込みたいと願いました。そうすると指先から激しい痛みをもたらしながら、身体の内部で渦巻く何かが入り込んできたんです。私はこれこそが黒い魔力なのだと思って、そのまま続けました」
「母さんの顔色はどんどん悪くなって、それと同じ速さで、カミラの服が元の白い色に戻っていったんだ。完全に白に戻った時、母さんは気を失った。神官が慌てて聖女を呼んで浄化してくれなかったら、命を失っていたかもしれなかった」
ローズは、自分の中にベルフリーデが黒い魔力を注いだ時の苦しみを思い出し、あれを自分の身体に進んで取り込み続けたケイトの願いの深さを感じた。
「そうまでしても、カミラさんを救いたかったんですね」
「ええ。私たちとカミラ様の身分は違いましたけど、トムと同じく生まれた時から、私が乳を与えて育てた子です。一緒にお誕生日もお祝いして、病気の時は一晩中看病して、悲しい時は涙を拭いて育てました。私のもう一人の大切な子どもだと思っています」
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