55 神殿の聖女
父と別れ左に進んでしばらく歩いていくと、見慣れた大きな石造りの建物が見えてくる。
ローズは不思議に思うのだが、五歳からほとんど毎日通っているのに見慣れるという事が無く、神殿を見る度いつも心が洗われ、清浄な気持ちになれる。
神殿が美しいオーラに包まれているせいかとも思うが、このオーラがはっきり見えるのは聖魔法使いだけで、何も見えない人々も神殿に近づけば同じ気持ちになるというから、やはりここが特別な場所なのだろう。
何しろ神殿の周りのオーラは、それに触れるだけで、本当に軽い怪我や病気なら治ってしまうのだ。それは女神様が与える力の恩恵であり、人々への加護の証と言われていて、その力を感じる事で人々はより一層女神様の存在を信じ、祈る心を強くした。
そうやって軽い不調は治ってしまうので、ローズ達聖女の癒やしを必要とするのは、重い病気やケガ、激しい絶望で苦しんでいる患者さんばかりだった。
「今日も一人でもたくさんの人を救えますように」
ローズは心の中でいつもと同じ祈りを唱え、神殿の入口をくぐった。
明るい街路から石の建物に入ると、一瞬で冷やりとした空気と音が吸い込まれる様な静寂に包まれる。薄暗さに慣れない目で聖堂内にいる神官を認め、ローズは挨拶をした。
「おはようございます。トムさん」
「おはようございます。ローズさん」
最近この神殿に異動してきた若い神官であるトムは、金色がかった茶色の髪に、優し気な青い瞳の若者だった。ここよりも北部の神殿で働いていたのだが、母親の体調が優れないので、過ごしやすい気候のこの地へ移らせて貰ったという話だ。
ローズは軽く会釈をして掃除をしているトムの横を通り過ぎ、祭壇の脇の扉を開けて聖女達の控えの間に入った。
ここに荷物を置いて聖女の白い衣装に着替えてから、癒しを必要とする人々の集まる広間へ向かうのだ。聖女の衣装には、より効果的に魔法が使える様に、聖女それぞれが白い糸で自分の聖魔法を籠めた刺繍を施していた。
ローズは自分の衣装に、いつもダリアの花を刺繍している。白い衣装に白い糸で刺繍されて浮かび上がるように見えるダリアは、ローズの部屋に飾ってある石のダリアにそっくりだった。
弁当の入ったカバンを自分の棚に置き、着替えて脱いだ服を畳んでいると、一人の見知らぬ少女が控室に入って来て、ローズに話しかけた。
「ローズ、おはよう。今日のお祭りはもちろん行くでしょう」
この少女が誰なのか分からなくて、ローズはとっさに返事を返せずにいた。
すると少女が「どうしたの、変な顔をして。まさか親友の私の事を忘れちゃったんじゃないわよね」とふくれて見せた。
その途端ローズの頭の中に、少女の名前と沢山の一緒に過ごした思い出がよみがえってきた。
(やだ、どうして知らないって思ったのかしら。ベルフリーデに決まってるじゃない)
少女は同い年で、小さい頃から一緒に聖魔法を学んできたベルフリーデ。茶色の髪に緑の瞳の森の精みたいな少女だとローズは思っていて、聖魔法使いとしても優秀なベルフリーデは、皆の憧れの聖女だ。
「ベル、おはよう。今年も父さんと母さんと三人で行くわよ」
ローズの答えを聞いたベルフリーデは、不満そうだった。
「ローズ。もう私達働いているんだし、いい加減親とじゃなくて、恋人とまではいかなくても友達同士で行きましょうよ」
そう言えば去年働き始めた年に同じ様にベルフリーデに言われ、来年は二人で一緒に行こうと話していた事を思い出し、ローズは慌てて謝った。
「ごめん、ベル。すっかり忘れてた。今年はもう約束しちゃったから、許して。二人共楽しみにしてるから」
胸の前で手を組んで、女神に捧げる祈りの様にベルフリーデに向かって許しを乞うと、ベルフリーデはひとつため息をついて言った。
「しょうがないな。私もはっきり誘ってなかったから今年は諦めるわ。でも、来年は一緒に行きましょうね」にっこり笑った姿にホッとして、ローズはベルフリーデに抱きついた。
「ありがとう、ベル。来年こそきっとね。今夜もし会えたら、お詫びにあなたにおじさんの飴を買ってあげる」
「おじさんの飴ね。じゃあ、何の形にしてもらうか考えておくわ」
二人は楽し気に笑い合って「さあ、今日も頑張りましょう」と表情を引き締めて、広間へ向かった。
その日は祭りの日という事もあって広間に集まった患者は少なかったが、その代わり重篤な症状の者が多かった。
ローズ、ベルフリーデの他に数名の聖女が、うずくまったり簡易な寝台に寝ている患者達を聖魔法で順番に癒やしていく。午前の治癒が終わり昼休憩を取ってから再開し、ローズが最後の一人を診終えたところで、神官のトムが一人の女性を支えながら広間に入って来た。
トムは患者のいないローズを見ると「すまないが、まだ余力があったらこの人を診てくれないか」と頼んできた。
周りを見てみると、ベルフリーデは今まさに怪我をして担ぎ込まれた子どもにかかり切りになっているし、他の聖女も限界が近いらしく顔色が冴えない。
幸いローズが今日診た患者に重篤者は多くなく、そこまで魔力を消費しないで済んでいた。
「分かりました。私はまだ大丈夫ですから、診せてください」
トムは本当に平気かどうか、ローズの顔色を確認してから「それなら、悪いがお願いします。実はこの人は俺の母で、定期的に浄化しないと悪い魔力が溜まってしまうんだ。最近少し落ち着いていたんだが、急に悪化してしまった」と声を潜めて言った。
母、という言葉に女性の顔を見ると、確かに彼と似ている。
簡易寝台に横たわらせたトムの母親は、ひどく青白い顔で呼吸は苦し気だった。
(悪い魔力が溜まるって、どういう事だろう。浄化して良くなるなら聖魔法と反対の黒い魔力だけど、それは強い悪意や恨みから生まれるもの。誰かの悪意で生まれた魔力を取り込んでしまって、こんなに苦しんでいるのね。でもそんな魔力が定期的に溜まってしまうのは何故だろう)
答えの出ない事を考えていても仕方ないと、ローズは寝台の横に跪いて女性の手を握った。
その途端伝わって来る大量の黒い魔力の気配に、ローズは一瞬ビクッとして手を引っ込めそうになったが、ここで逃げてはダメだと踏ん張った。
(女神様。どうぞ私にお力をお貸しください。この人に入り込んだ悪い魔力を清めさせて下さい。どうぞこの人に安らぎを与えてください)
女神に祈りを捧げ、残っていた力を振り絞って聖魔力を注ぐと同時に、衣装に刺繍してあるダリアからも籠めておいた聖魔力がごっそり抜け出て、女性の体内へと入っていった。聖魔力が黒い魔力を浄化しながら、女性の身体の中を巡って行くと共に呼吸が穏やかになって、顔色も戻って来た。
(ふう。コツコツ刺繍しておいて良かった。私の残りの魔力だけだったら、足りずに倒れてまた心配をかけるところだったわ)
横で見守っていたトムも息をつき「母さん、相当ひどかったみたいだね。本当に助かった。君もギリギリみたいだったが、大丈夫かい。君が倒れてしまったら、俺のせいで君のご両親を心配させてしまう所だった」とホッとした様に言った。
「トムさん、私の両親をご存知なんですか?」不思議に思って尋ねると「いや。俺は直接は知らないが、以前君が倒れた時の事を他の神官に聞いたものだから」と答えるのでローズは恥ずかしくなった。
「そうですね。うちの母はすごく心配性なんです。…でも、お母様を無事に助けられて良かったです」
微笑んだローズにトムは「治癒をした君は気づいたと思うが、母の中にあった黒い魔力の事は秘密にしてもらえないか。あれを人に知られるのはまずいんだ」と真剣な顔で頼んだ。
ローズも気になっていた魔力だったが、確かに神官の母親が黒い魔力を体内に溜めこんでいるのは外聞が悪いのだろうと「分かりました。誰にも言いません」と約束した。
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