52 語られる過去と消えたクラウス
翌朝本邸へ来たアランは、マーガレットとレイモンドを一足先にガードナー家へ帰したと、トーマスへ告げた。
「襲撃のあったタリム村の森へ行くはずだったが、悪魔という危険な存在がいる以上、二人は遠ざけておく方が良いと判断した。家ではステファンも待っているし、森に花を手向けに行くのは、すまないが別の機会にさせて欲しい」申し訳なさげなアランにトーマスは「いや。こちらが面倒をかけ続けているんだから、悪いなんて思わないでくれ」と答えた。
「実は昨日、君が別邸へ戻った後で、タウンハウスの家令から手紙が来たんだ。それを読んだら、なおさら二人がここから離れてくれて良かったと思ったよ」
アランは、トーマスが差し出した手紙にざっと目を通し「カミラの侍女がならず者達と同じ酒場にいたのか。これが本当ならカミラ同様、侍女も悪魔に操られていたという訳か」とつぶやいた。
「君の教えてくれた貴族家の悪魔の話に、ますます似てきたな」
「そうだな。カミラとクラウスは、今はどうしてるんだ」
「いつも通り、二人で閉じこもってる。乳母は昨日から実家に帰したが、乳母を呼んで何か頼む様子もない。もしカミラが乳をやっていなければ、クラウスは何も食べなくても平気だという事になるな」
「よし。これ以上誰かが操られない様に、二人の部屋付きのメイドにはマーガレットのハンカチを持たせよう。カミラに呼ばれても、他のメイドは行かない様にしておかなければ」
二人はメイドについて指示をする為、シモーヌを呼んだ。
「カミラの部屋付きメイドに、このハンカチを持たせてくれないか。カミラがベルを鳴らしたら、必ずハンカチを持ったそのメイドが行くようにして、他の者はカミラのベルに応えない様に伝えて欲しい」トーマスがハンカチをシモーヌへ差し出した。
「このハンカチですか? …不思議ですね。これを手にすると、なんだか疲れが取れるようです」明るい表情でシモーヌが言うので、アランはおや、という顔になった。
「じゃあ、もう一枚あるからシモーヌにも上げよう」差し出され、反射的に受け取ったシモーヌは慌てた。
「申し訳ありません、そんなつもりではなかったのです。これはガードナー伯爵夫人の刺繍ですよね。私などには過ぎた品です」
「良いんだよ。君がシュタイン家の為にずいぶん無理をしてくれたのを知ったから、マーガレットも喜んで君に使って欲しいと言うと思うよ。ぜひ受け取ってくれ」
「ありがとうございます。本当に不思議な気持ちです。きっと聖魔法の力なんですね。さっきまでなんだか頭に靄がかかった様でしたが、それがすっきりと晴れました」
「それなら良かった。それとトーマスから聞いていると思うが、シモーヌにウィルソン家について話を聞かせて欲しいんだ。メイドへの指示が済んだら、またここに戻ってもらえるかな」
シモーヌは「分かりました。ではまた、後ほどお伺いします」と去って行った。
「シモーヌも長い時間二人に接していたから、少なからず術にかけられていたんじゃないかな。昨日君と彼女が話している時に思ったが、あそこまで疲弊する前に、君でなくとも家令に相談する事も出来たはずだろう?だが術で思考が鈍った状態だったから、まともな判断が出来なくなっていたんじゃないかな」
しばらくしてシモーヌが戻り、トーマスは実家であるウィルソン伯爵家でのカミラの様子、とりわけ幼い頃のカミラについて話を聞きたいと頼んだ。
「昨日君が言っていた事で気になったんだ。カミラは五歳までとその後で、性格が変わったのか」トーマス達はカミラが突然大人びた少女に変わった理由を、悪魔の封印を解いたせいではないかと推測していた。
「五歳までのカミラ様は…確かに今とは違いました。私は元々現ウィルソン伯爵であるマーク様の侍女でした。ただ、その頃の詳しい話は、あまり使用人が口外して良い話では無いのです」
礼儀を重んじ、自分の仕事に誇りを持つ彼女らしく、シモーヌはウィルソン伯爵家の過去の話をする事に口が重かった。
「シモーヌ、君がきちんとした人間で、主家の話をし辛いのは承知している。だが、我々は決して興味本位で聞いているのではない。詳しくは教えられないが、父上が亡くなられた襲撃事件や、今のカミラの状態について色々調べるうちに、昔のカミラを知る必要があると分かったんだ。だからどうか、君の知っている事を教えてくれないか」
トーマスの真剣な表情と口調にシモーヌの心は揺れていた。迷いながら無意識に、さっきのハンカチを握り締めると、ほんのりと優しい暖かさが伝わってきた。その暖かさがシモーヌの頑なな心を溶かし、自分の話で力になれるならと言う気持ちに変わった。
「分かりました。幼い頃のカミラ様がどんなお嬢様だったのか、ウィルソン家でどんな出来事があったのか、私が知っている事をお話します」
シモーヌはトーマスとアランに、カミラが伯爵夫妻に顧みられなかった過去と、彼女と共にあったのは乳母とその息子だけだったと話し始めた。
「伯爵様は元々お子様方に無関心でしたし、奥様はマーク様だけを溺愛されていました。ですから使用人もカミラ様を相手にしていなかったんです。だからそれまでのカミラ様は、乳母とその息子こそが家族である様に過ごされていたと思います。
けれどある日カミラ様も一緒に出かけていた湖で、乳母と息子がいなくなってしまったんです」
「カミラが幼い頃伯爵夫妻に放置されていたなんて、俺は全然知らなかった」
トーマスは愕然とし、アランはシモーヌに続きを促した。
「乳母と息子が消えた時何があったのかは分かりませんが、カミラ様は数日意識を失っていました。そして目が覚めると人が変わった様に、大人びた少女になっていたんです。
マナー教育を受けていないのに、完璧な淑女として振る舞うカミラ様に伯爵は驚いて、カミラ様をウィルソン家の令嬢として正当に遇するようになりました。
私もその時に、マーク様の侍女からカミラ様付に変わりました。それまでのカミラ様には、一人も侍女がいませんでしたから」
シモーヌは昔を思い出しながら語り、一息ついたところで付け加えた。
「今お話ししていて思ったんですが…全く教育を受けていなかったのに、カミラ様はどうして完璧なマナーを身に付けられたんでしょう。その時は誰も疑問に思わなくて、私も何も考えませんでした。…不思議ですね」
トーマスもアランも、今まで全く知らなかったカミラの過去を聞き、しばらく言葉が出なかった。自分達の知っていたカミラとは、全然違う少女がそこにはいた。
「マナーの事は確かに不思議な話だが、ともかく五歳までのカミラは伯爵夫妻に顧みられず、可哀想な少女だったんだね」アランが確認するように尋ねた。
シモーヌはそれに対し、少し考えてから答えを返した。
「可哀想、ですか。あの頃はそう思っていたはずなのに、今はそうは思えません。むしろ変わられる前の方が、カミラ様は幸せそうでした」
「どうして。親にも周囲にも相手にされず、伯爵令嬢が侍女の一人もつけられないで、何故幸せそうだと思うんだ」トーマスは幼い頃のカミラが哀れで、自分が抱いて来たカミラへの嫌悪も忘れ、前のめりに尋ねた。
「カミラ様には乳母とその息子が家族の様だったと申し上げましたが、その二人とカミラ様は本当に仲が良かったんです。乳母は自分の息子とカミラ様を、二人共自分の子どもの様に可愛がって育てていました。私は、使用人が主家のお嬢様と自分の子どもを同等に扱うなどありえないと思いますが、三人でいる時のカミラ様は本当に幸せそうでした。その二人がカミラ様をおいていなくなった時から、カミラ様が昔の様に笑うのを見ていない気がします」
「その人たちは、どうしていなくなったんだろう。湖で消息を絶ったと言ったけれど」アランは湖に鍵があると思い、さらに詳しく聞こうとした。
その時家令がドアをノックした。
「旦那様。大変です」焦った声に、トーマスが席を立って自らドアを開けた。
「一体どうしたんだ」
「クラウス坊ちゃまが、昨日話していたメイドのタミーに連れて行かれました」
「何⁈」アランも、シモーヌも驚き、トーマスは「タミーが戻ってきたら邸に入れず、俺に連絡するよう言っただろう。どうやってクラウスを連れて行ったんだ」
オリバーは「それが、奥様が」と口ごもった。
「カミラがどうした」
「タミーが邸の門の前にやって来た時、門番は言いつけられた通り彼女を止めました。彼女も素直にその場に留まったので、自分はタミーを見張り、下男に頼んで私へ連絡しようとしたそうです。ところがそこに、奥様がクラウス坊ちゃまを連れて現れたんです。
門番と下男が見ている前で、奥様はクラウス坊ちゃまをタミーに渡し、そのままタミーは坊ちゃまを連れて、またどこかへ姿を消しました。
門番も下男も、奥様はおかしいと感じながら止める事が出来ず、そのまま見逃してしまったと言っていました。奥様がいなくなってすぐ下男が私の所へ飛んできて、皆で辺りも探したんですが、もうタミーの姿は見えませんでした」
「カミラはそれでどうしたんだ」
「奥様は何事も無かった様にお部屋に戻られて、いつも通りソファに座っておられます」
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