37 決心
トーマスはローズから面と向かって礼を言われ嬉しく思いながら、今後の事を話さなければと気を引き締めて切り出した。
「俺が少しでも君の力になれたのなら良かった。今まで君の為に出来た事は少ないが、これからも君とレイモンドを幸せに出来る様に頑張るつもりだ。だから、これからの話をしたいと思っている」
「はい。私とレイモンドの将来の話ですね」
「うん。君が自由になりたいと思う気持ちはずっと感じていたし、今の話を聞いて理由もはっきり分かった。俺は本心を言えば、クラウスが生まれてレイモンドが後継者から外れても、君たちと一緒にいたかった。だが、君を愛しているならシュタイン家から解放するべきだいう結論に至った」
トーマスはこれは自分で思い至ったのではなく、アランから教えられた事なんだがね、と言って「マーガレットがとても君を心配していた。俺は彼女には軽蔑されてしまったな」と寂しそうに笑った。
「トーマス様。私を解放するのが愛だと考えて下さって、とても嬉しいです。そしてこれからの私たちの為に、領地と邸を用意して頂いた事もすごく感謝しています。もしレイモンドの土魔法が発現しなかったら、私たちは将来を心配せず、好きな道を選べたのだと思います。トーマス様は精一杯の事をして下さいました。だから、ご自分を責めないで下さい」
ローズは、以前トーマスの愛は自分を犠牲にしない愛だと思っていた。だからトーマスにいくら愛していると言われても、心に響かなかった。
けれどトーマスが、自分とレイモンドを何とか自由にしようと動いてくれた時、彼が自分の幸せよりもローズ達の幸せを考えてくれた事が分かり、心を動かされた。
今回突然王都へ来た理由もレイモンドの魔法を喜ぶ為ではなく、迫る危険を案じての事と知ってトーマスを信頼する気持ちが固まった。その信頼が、マーガレット以外誰にも話した事の無い自分の生い立ちを、トーマスに打ち明けさせたのだった。
「ローズがそう言ってくれて、とても嬉しいよ。俺は、今までずっとどっちつかずだった。君を妾に取ったのもカミラに決められた事だと言い、自分にはさも責任が無い様な顔をして君に愛を告げていたんだ。
自分は良い人間だと、罪は無いのだと思い込もうとしていた。だけどそこに自分が含まれている限り、一人だけ何も背負わず我関せずなんてあるはずは無かった。カミラとも真剣に向き合わなかったせいで、あんなものが…」
そこまで話して、トーマスはローズには怪異について何も知らせていないと思い出し、止めようとした。
するとローズが「あんなものと言うのは、蛇の事ですか?」と尋ねた。
「何でその事を」
「マーガレット様が手紙で知らせてくれました。実は以前、マーガレット様が私に聖魔法を籠めたハンカチを下さった事があるんです。そのハンカチはアマンド男爵夫人に取り上げられてしまったのに、いつの間にか離れに戻っていて、魔法の籠められた刺繍の部分が真っ黒になっているのを見つけました。
その事をマーガレット様に伝えたら、新しいハンカチを手紙に同封してくださって、その手紙に葬儀で起こった事も書いてありました」
「そうか…。ローズにも悪意が向けられていたんだな」考えてみればすぐ気づけたはずだったのにと、トーマスは自分の不甲斐なさを嚙み締めた。
「私は学院時代マーガレット様と一緒に過ごしていたので、聖魔法についてと人の悪意がどんな風に見えるのかを、マーガレット様に聞いて知っていたんです。マーガレット様は黒い物がその人から出て、蛇みたいにからみついて来ると言っていました。
私はマーガレット様に刺繍を教えて差し上げる為に、お会いする様になったんですよ。マーガレット様がハンカチに聖魔法を籠めた刺繡をして、アラン様に贈りたいとおっしゃったんです」
「そうだったのか。マーガレットは刺繍が苦手だったのに、ある時から急に上手くなったから驚いていたんだ。でも、ローズは学院でクラブに入っていなかっただろう。どうやって学年の違うマーガレットと知り合ったんだい」
「男爵家は貧乏だったので、街の雑貨店で刺繍の仕事を貰っていたんです。そこに卸したポーチを見て、マーガレット様が店にいらして偶然知り合いました。マーガレット様は、刺繍を教える私に授業料を払って下さいました。最後の方は教える必要が無いくらい上達されていたのに、私がお金に困っているのを知っていたから、まだ習いたい事があると言ってくれていたんです。結局マーガレット様が卒業されるまで、ずっと続けて下さいました。二人だけで秘密で会う為にカフェの個室も借りて下さって、そこで食べさせて貰えるケーキもとても嬉しかったんです」懐かしそうに、ローズは語った。
突然トーマスはローズの手を握りしめ、額に押し当てた。それは何か懺悔をして許しを乞うている人の様に見えた。
「君は、懸命に生きていたんだな。俺は本当に君を自由にしてやりたいと思う。けれど、すまないローズ。今は無理だと言わざるを得ない。レイモンドの魔法は、本当に危険だ。レイモンドに誘拐の危険があるだけでなく、言う事を聞かせる為に君も誘拐され人質にされる恐れがある。だから俺は君たちの安全の為に、今は解放してやる事が出来ない。それを明日の話し合いの前に、君に言っておかねばと思った」
ローズはその言葉を聞いて、自分の手を取るトーマスの髪をそっと撫ぜた。
その髪はレイモンドとそっくりな黒いくせ毛で、見た目よりずっと柔らかいのも同じでローズを優しい気持ちにさせた。
「トーマス様。分かっています。今日皆さんと話しているのを聞いて、そうだろうと思っていました。私も土魔法を発現したレイモンドと一緒にシュタイン家を出る事は、難しいだろうと分かっていたんです。土魔法がシュタイン家にとって大切だというのを知りましたし、それ以上にあの子の力は特異なものだとも感じていました。人に存在を知られていない私一人なら、どこかに行く事も出来るのでしょうが、レイモンドを置いてはいけません。
…けれどこれからの私たちの人生を、自分の意志で選ぶ道は全く無いのでしょうか」
「その道が無いとは思わないよ。これからレイモンドが成長して力が強大になって、その力を表舞台で使うなら、王家が必ずあの子に近づいて庇護下に入れるだろう。
何と言っても土魔法は戦争の時に有効な魔法だから、他国に行かれたりしたら困るからな。もちろん土木工事にも多大な貢献が出来るから、国としては大きな助けになる。そうやって王家の庇護下に入れば、国内ではどんな貴族でもあの子に手出しは出来ないし、強力な護衛もつく。あの子の力が必要な者は、正攻法で助けを求めるしかない。そうなった後は、概ねやりたい様に生きていけると思う。だからそれまで何とかして、君たちの安全を守らねば」
「そうですね。ではこれから成長してレイモンドの力がどうなるのか、まず見極めなくてはいけませんね…。今はどんな事を用心しなければいけませんか」
「まだ幼いレイモンドは、自分の身を守る知恵も力も無いし、追われても走って逃げる事さえ出来ない。だから最も警戒すべきなのは誘拐だ。今のうちにあの子を誘拐して、洗脳して支配下におけば、大きくなって力を持った暁には、思いのままに操って金を稼げると考える輩がいてもおかしくはない」
「あの子が誰かの道具にされる可能性があるんですね」
「そうだ」
「それならトーマス様。私はあの子を守る為なら、自由なんて無くて構いません。
本当はあの離れに二人きりで籠っているのが、一番安全だったんでしょう。
けれどもうそういう訳にはいかないし、このタウンハウスの者は皆あの子の魔法を知ってしまいました。聞き取りの結果によっては、ここも離れた方が良いですよね」
ローズには一切の迷いは無く、レイモンドを守る事だけが大切な事と理解し、最善を尽くすと決めていた。
「そうだな。明日父上とも話すが、最終的にはどこかに身を隠す事もあると思う」トーマスがうなずくと、ローズは「それから、さっきトーマス様は私が人質になるかもしれないとおっしゃいましたね」と続けた。
「ああ。君を使って、レイモンドや我々に言う事を聞かそうとする場合もある」
「その時は、私の事は捨ててください。私の為にレイモンドを犠牲にする事だけはしないで下さい」
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