35 前伯爵の謝罪
「ローズ様。旦那様と前伯爵リチャード様が到着され、ローズ様とレイモンド様にお会いになりたいとおっしゃっています。もしローズ様が、リチャード様にお会いになるのは気が進まない様でしたら、レイモンド様だけ私がお連れしますのでご遠慮なくおっしゃって下さい」
自室でレイモンドと遊びながらトーマスと前伯爵の来訪を待っていたローズは、玄関で人々の騒めきが聞こえてきたので二人が到着したのだと分かったが、部屋に留まり迎えには出ないでいた。
トーマスだけの訪れなら玄関ホールまで出向いたが、今朝家令から前伯爵も共に王都へ来ると聞いたので、自分には会いたくないだろうと思い遠慮したのだ。
トーマスの妾になって以来、一度も前伯爵夫妻に紹介される事は無かったし、領地の邸に前伯爵夫妻が訪れる際は、いつもレイモンドのみを使用人が迎えに来て本邸へ連れて行っていた。
その為今回もレイモンドの迎えが来るまで、一緒に絵本を読んで過ごしていた所だった。
「私に会いたいと、前伯爵様がおっしゃっているのですか」
何故今になってそんな事を言い出すのか、やはりレイモンドを取り上げようというつもりなのかと、ローズはいぶかし気に尋ねた。
王都で過ごす間、かなり親しくなっていた家令は「私にはご事情はよく分かりませんが」と前置きして「大旦那様は、レイモンド坊ちゃまを産んで下さったローズ様にお礼を申し上げたいとおっしゃっていました。トーマス様は今更だと咎めておられましたが、大奥様もお亡くなりになって、大旦那様も思う所がお有りなのではないでしょうか」と言って「大旦那様は本来は、私たち使用人にもお優しい方です」と付け加えた。
(私は日陰者としてシュタイン家に買われた身だから、前伯爵夫妻からいない者として扱われても構わなかったけれど。トーマス様の言う通り、本当に今更だわ。でも、ここで私が行かないでレイモンドだけを行かせれば、知らない所で何かを決められてしまうかもしれない。魔法を見てこの子だけシュタイン家に留め置かれ、私だけ出されるのも困る。それなら前伯爵に会って、出来る限りの事をしなければ)
「分かりました。私も行きます」ローズの答えを聞いて家令は微笑んだ。
「それではレイモンド坊ちゃまは私が抱いて参ります。ご一緒に参りましょう」
ローズとレイモンドを連れた家令は、トーマスとリチャードの二人が一息入れてお茶を飲んでいる居間へ赴いた。
ノックをして扉を開けると、二人は険悪な雰囲気を隠さず雑談の一つもしないで黙って座っていた。しかしそこへ現れた面々を見た途端、仏頂面を崩し笑顔を浮かべて思い思いに言葉を発した。
「ローズ!元気そうで良かった」
「おお、レイモンド。少し見ない間にまた大きくなったんじゃないか」
二人共同時に立ち上がりローズとレイモンドに近寄ろうとして、顔を見合わせきまり悪そうな顔をした。
家令がそんな二人を見て苦笑していると、抱いていたレイモンドが下に降りたそうにしたので、注意深く床に立たせた。レイモンドはそのままローズの方へと歩いて行って、スカートに抱き着いた。
すいすいと一人で歩いているレイモンドに、リチャードは驚き涙ぐんだ。
「シャーロットが寝付く前に会った時は、まだやっと数歩歩き始めたばかりだったのに、もうこんなに上手く歩けるのか。シャーロットにも見せてやりたかった」
それを見たローズは、自分の足にまとわりつくレイモンドと手をつなぎ、リチャードの方へと近づいた。
「初めまして。シュタイン前伯爵様。ご存知だと思いますが、私は元アマンド男爵家で、今は家と絶縁し平民となったローズでございます」と自己紹介した。トーマスはそんなローズとリチャードを気遣わしげに見つめていた。
初めてローズに会って正面から見つめられたリチャードは、自分の思い込みを恥じる気持ちが沸き上がった。
(アマンド家というだけで、この娘も同じ穴のムジナだと思い込んでいた。強欲で、浅はかで下品な人間だと。だからシャーロットと話して、会う必要などないと決めた。どうせ子どもはカミラの子となるのだし、アマンドの令嬢はしかるべき金銭を得たら、勝手に出て行くのだろうと。しかし彼女は想像していた女性とは全く違う。堂々とこちらを見る目はまっすぐで、凛とした女性だ。トーマスが愛してしまったと言った意味が分かった)
「私がリチャード・シュタインだ。今まであなたに会おうともせず、失礼な事をしていたと後悔している。シャーロット、亡き妻も、あなたを見たらきっと同じ事を言ったと思う」真摯な目で前伯爵に言われたローズは狼狽えた。
「いえ、失礼などと言う事はありません。私の立場は皆さんの前に出られるものではありませんから、気にした事はありません」
トーマスがローズの横に並び立って、優しく肩を抱いた。
「ローズ。君をこういう立場にしたのは、我々シュタイン家の勝手な事情だ。君はそれに巻き込まれただけだ。立場が君という人間を貶めても、君自身は何ら変わらない。俺は、君が強くて美しい人だと知っている」
リチャードの前でこんな事を言われ、ローズは恥ずかしくて下を向き、レイモンドを抱き上げて顔を隠した。急に母親に抱き上げられたレイモンドは、嬉しそうに声を立てて笑った。
その仲の良い様子を見つめていたリチャードは「トーマスの言う通りだ。君を実家や立場でしか見なかった私達が愚かだった。謝らせて欲しい。そしてレイモンドという、シュタイン家の宝を産んでくれた事にも礼を言いたい。どうもありがとう」と頭を垂れた。
「頭を上げてください」ローズは慌て、トーマスにも「父上、それでは感謝以前にローズを困らせます」と注意され、リチャードは顔を上げてぎこちなく微笑んだ。
「さあ、それではレイモンド坊ちゃまも退屈してらっしゃる様ですし、皆で庭へ参りましょう。坊ちゃま、おじい様に坊ちゃまの作られた沢山の作品をお見せしましょう」
家令の声で我に返った一同は、連れ立って庭へと向かった。
庭に出て花々と樹木のあるエリアを通り過ぎると、少し開けた場所に何か沢山のオブジェが見えてきた。
最初に目に入った城のオブジェに、トーマスもリチャードも驚いて言葉を無くした。
「これは、先日坊ちゃまが読まれた絵本に出てきたお城です。絵本にあった通りの形で、我々も本当に感服致しました」家令の説明を受けて、いつのまにかその場に来ていた乳母が、持参した絵本を広げてトーマス達に見せた。
それは城の中で百年眠る姫の物語で、挿絵に描かれた城をオブジェと照らし合わせると、そっくりな事が分かった。
「城を魔法で作り上げたのも素晴らしいが、普通はここまでそっくりな物を作る事は出来ないだろう。この子は自分の見た物をそのまま記憶して、再現する能力もあるんじゃないか」興奮した様子のリチャードに、乳母も我が意を得たりとうなずいた。
「そうなんです。レイモンド坊ちゃまは、見たものをちゃんと覚えていらっしゃるんですよ。あそこの花のオブジェは、この庭園のずっと奥に咲いているダリアなんです。お散歩でダリアの咲いている場所を通り過ぎて、この砂場に来たら突然これを作り上げたんです」
レイモンドの作品を前に興奮するリチャードと使用人達に、トーマスはここに来る前に抱いていた危惧を新たにし、ローズはこの場に水を差す事がためらわれ何も言えず、二人共黙ってその場に立ち皆の様子と沢山のオブジェを眺めていた。
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