29 クラウスの不思議な力
産まれた子はクラウスと名付けられた。レイモンドの時はカミラが既に名前を考えていたが、今回は「トーマスが考えてくれる名前が良いわ」と言われ一任されたトーマスが、シュタイン家を発展させた何代か前の当主の名前に決めた。
「本当に、俺が考えた名前で良いのかい」念のためにお披露目の前にも確認したが、「クラウスって良い名前ね」とカミラは微笑みながら答えた。
前伯爵リチャードにも了解を得た後で、トーマスは王家へクラウスを爵位継承者として届け出をし、誕生を知らせる手紙を関係のある家へも送った。こうして名実共にクラウスがシュタイン家跡継ぎとなると、ローズとレイモンドの処遇をどうするのか、はっきりと決断して伝えておかなければ不誠実だと、トーマスは思った。
いずれは二人を自由にして、叔母から貰った領地と邸を譲るとは決めた。
しかし、それをいつどの様にするのかは、カミラに相談せずトーマス一人で話を進める訳にいかなかった。
しかし不用意に話をしてカミラの気持ちを乱れさせては、また蛇が出現するかもしれない。その為トーマスはしばらく黙ってカミラとクラウスと共に過ごし、気持ちが落ち着いて話せそうだと思ったら、切り出すようにしようと考えた。
出産の時心に誓ったように、今までの事を謝罪して、カミラとの関係を再構築したいとも思ったのだ。
とりあえずトーマスは、母親の具合が悪いと領地に帰って以来放ってしまっているローズに宛て、母親の葬儀とカミラの出産、マーガレットがローズと友人であると知った事、そして自分がローズとレイモンドに叔母の領地と邸を譲り、いずれシュタイン家から解放するつもりだと認めた長い手紙を書いた。
カミラの産んだ子はクラウスと名付け、跡継ぎとしてのお披露目をした事も、包み隠さずに記し、手紙の最後に『君の事を愛していたのは本当だが、こうなった以上私は当主として、カミラとクラウスを守っていく心づもりでいる。まだ具体的にどのように君達を自由に出来るかは言えないが、この約束は必ず守る。待っていて欲しい』と書いて封をした。
同時にタウンハウスの家令へ、前伯爵夫人の葬儀が無事終わったが、カミラの出産が早まった為王都へは帰らず領地でしばらく過ごすつもりなので、ローズとレイモンドをよろしく頼むと書いた手紙を出した。
『領地へ帰る際にも命じたが、ローズとレイモンドにはくれぐれも不自由の無い様取り計らってくれ。ローズがやりたいという事は、止めないで自由にやらせる様に。ただし外出時安全を確保する事は、十分気を付ける様に』
二通の手紙を書き上げ家令に早便でと渡してから、トーマスはふと書斎の窓から庭を見た。樹木の間から離れの青い屋根が見えた時、突然頭の中にローズに初めて出会った日の事が蘇った。
『男爵家と縁を切らせてください』と顔を紅潮させ、力をこめた目に涙が浮かんでいたローズ。あの時自分は彼女に魂を揺さぶられ、彼女を守りたいと思った。
しかし今、カミラとクラウス、シュタイン家を守る為、彼女を自由にしようとしている。
「俺はどちらの気持ちも嘘じゃない。しかし君は、自由を望むんだろうな」トーマスは独り言ちていつの間にか涙を流していた。
カミラはクラウスと過ごす日々に満ち足り、初めてかもしれない幸せを感じていた。
クラウスはカミラだけを頼りにしている生き物だと感じ、小さな手を握るとでカミラの指を握り返してくれた。これほど自分を必要とする愛しい者がいるのを、カミラは全く知らなかった。
それに、皆が知らないカミラだけが知っている素晴らしい事もあった。
あの出産の日に見たクラウスの髪の色、輝く金色はカミラにのみ見える色だと気づいたのだ。
普段周りに人がいる時は、クラウスの髪は黒いくせ毛で瞳は茶色、正にトーマスにそっくりだ。しかしカミラと二人きりになると、クラウスは金髪に青い目になる。
最初は自分の目がおかしいのかと、何度もクラウスを見直して確認した。
しかし何度確認しても、自分といる時クラウスの姿は常に金髪碧眼で、他の者といる時は黒髪茶眼なのだと分かったカミラは、これはクラウスが贈ってくれる、二人だけの特別な秘密だと思う様になった。
「クラウス、あなた私の為にこの姿になってくれているのね」
今日もカミラが話しかけていると、突然『そうだよ。母上の願った通りの姿になったんだ』という声が聞こえた。
驚いてクラウスを見ると、青い瞳が光を発し輝いてカミラを見つめていた。カミラも引き込まれる様にその目を見返し、そのまま意識が遠のきそうなところでハッとして留まった。
「クラウス、今話したのはあなたなの」恐れと共にクラウスへ聞いていると、ノックの音がして乳母の声が聞こえた。
「奥様。そろそろ坊ちゃまのお昼寝の時間ですので、お預かりに参りました」
「え、ええ。入ってちょうだい」何かに縋る様に返事をし、再びクラウスへ視線を戻してみると髪も瞳も元の色に戻り、自分の腕の中で眠そうにするクラウスがいた。
乳母がクラウスを抱いて立ち去ると、カミラは放心してソファへもたれかかった。
(今の声はクラウスの出した声なのかしら。どこかで聞いた様な声だった...)
もしかしたら、これも孤独に生きている私の為のクラウスの魔法なのかもと思いながら、しかしこんな魔法は聞いた事が無いと打ち消していると、再びノックの音が響いた。
動揺していたカミラは、誰なのか確かめる事もせずに「どうぞ」と答えると、そっとドアが開いてトーマスが入って来た。
「カミラ。相談があるんだが、少し良いかな」真面目な顔で話すトーマスを見て、カミラは皮肉な気持ちになった。
「何かしら。王都に戻るというご報告なら、相談では無いわね」
我ながら嫌味だと思ったが、きっとローズとレイモンドに会いたいのだろうと思い込んでいたカミラは、そのつもりで言葉を返した。自分には今はクラウスがいる、だからトーマスが王都に行こうと構わないという気持ちだった。それなのにトーマスはカミラの思いも寄らなかった事を口にした。
「カミラ、まずは謝らせて欲しい」
「謝るって、今度は何をしたの」ケンカ腰に問い返すカミラに、トーマスは「今までの色々な事だな。沢山あるが一つずつ言うなら、まずは君が子どもの事で俺の両親から苦しめられていた事に気付かなかった事だ」と話し出した。
「その次は妾に反対していた癖に、ローズを好きになってしまい、君をないがしろにした。君は俺に裏切られた気持ちだったと思う」
「何を言っているの。妾を連れてきたのは私なのよ。子どもさえ生まれれば、あなたの気持ちなんてどうでも良いのよ」カミラが取り乱す様に言うと、トーマスは「分かってる。君には俺よりも好きな人がいるのも知っているし、俺の事を別に愛していないのも知っている。俺たちは政略の夫婦だから、君がそう言うのは当然だ。しかし、それと相手を尊重するのは別だろう。俺はローズにばかりかまけて、君を大切に出来ていなかった」
カミラが黙り込むと、トーマスは続けて「君が正妻として俺に当主の役割と責任を求めたのは当然の権利だった。そして、こうしてクラウスという宝を俺とシュタイン家に授けてくれた。本当にありがとう」
カミラは今さら何を言っているという思いと、これから話がどうなっていくのかという恐怖に似た気持ち、そしてさっきトーマスの口にした‘’俺より好きな人‘’という言葉が気になりその先を聞くのが怖かったが、何かが変わる期待でトーマスの話から耳をそらせないでいた。
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