27 閑話 カミラと蛇のはなし4
蛇の入り込んだあの日から、カミラは全く違う少女になった。
それは、あの三人で過ごした美しい記憶が無ければこうなっていたであろう、カミラの姿だった。
メイドに用意させた粗末な服を着たカミラは、生まれて初めて父親と面会していた。
「初めまして、お父様」蒼褪めた家令と、顔を強張らせたメイドを引き連れ、みすぼらしい姿で現れた娘を見て伯爵は驚いた。何故急に自分に会いに来たのかも分からなかったし、何故こんなにひどい服を着ているのかも分からなかった。
彼は娘にではなく、突っ立っている家令に質問した。
「ライアン、何故この子が私に会いにきた。このみっともない服装は何だ」
家令が口を開く前に、カミラが答えた。
「お父様。私がお父様に会いに来た理由は、私がこの様な服しか持っていないからですわ」娘の子どもらしい小さな口から、大人が話している様に流暢な言葉が出てくるのを聞いて、伯爵は目を見張った。
(愚かでマナーがなっていないと家令は言っていたが、全く違うじゃないか。五歳とはとても思えん。十五歳と言われてもおかしくない物腰だ)
「カミラ、それはどういう意味だ」伯爵は初めてカミラを名で呼んだ。それに対しすうっと目を細めて、カミラは答えた。
「お父様、私の為の予算はございますか」
「もちろん。お前は伯爵家の娘だ。社交はまだしていないから大した金額ではないが、最低限の金額は取ってある」
「それはどの様に使われて、まだ残っているのでしょうか。残っていたらお願いしたい事がありますわ」
「ふむ。確かめてみよう。ライアン、帳簿を持って来い」
伯爵に命令された家令は「いや、しかし伯爵様。お嬢様はまだ五歳です。予算の事に口を挟んで、お願いなど教育上宜しくありません」などと抵抗したが、伯爵に再度「取ってこい」と言われ、ノロノロと退出した。
一緒に出て行きたそうにしていたメイドは、カミラと目が合うと顔色を悪くしてその場にとどまった。
伯爵はその様子を不思議そうに見ていたが、やがてカミラに尋ねた。
「さて、お前は何が言いたい。家令の横領に気付いたとでも言うのか?」冗談とも思えない口調で聞く伯爵に、カミラは困ったような笑みを見せた。
「おうりょう…。すみません、お父様。それは私には分からないですわ。
ただ先ほど家令から、私に家庭教師が付けられると聞きました。家令は、私に伯爵家の恥にならない様にと注意してきましたの。私はもちろん一生懸命勉強するつもりですけれど、家庭教師の方に会うには、ちゃんとした服装で無いと伯爵家の恥になるでしょう。それでお父様に会って、予算があれば服を買って頂きたいと思ったんです」
「伯爵家の恥になるなと、お前にライアンが言ったのか?そこのメイド、お前はそれを聞いたか」メイドは首を横に振り、カミラが代わりに答えた。
「メイドはおりませんでした。その時は私の寝室に二人きりで、ライアンさんはベッドに寝ている私に向かって、大声で話しかけてきました」
「あいつは眠っている伯爵令嬢の部屋に一人で行って、大声を出したのか⁈」
「はい。そこにいるメイド…あなたが来た時、私の部屋にはライアンさんだけでしたよね?」
「はい…。お嬢様とライアンさんの二人だけでした」メイドの答えを聞き、伯爵はうめいた。
(カミラがまともな扱いをされていなかったのは乳母達の事故で分かったが、何故ここまで非常識な扱いをされているんだ)
それは全て自分と夫人が原因なのに、伯爵は全く気付かず、ただ驚くばかりだった。
「お父様。そういえば、初めてお部屋にベルが置いてあったんですが、ベルって余り役に立たないんですね。着替えをする為にベルを鳴らしたけど、誰も来なかったんですもの。何十回も鳴らしたら、この人が来てくれましたの。何度も鳴らしてごめんなさい、メイドってとても忙しいのね」
「お前、なぜベルが鳴ってすぐカミラの部屋に行かなかった」
「今まではお嬢様にメイドはいなかったので、担当が決まっていないからです。仕えていたのは乳母一人だけで、メイド長も家令もお嬢様には呼び鈴も与えていませんでしたから、まさかお嬢様が呼んでいるとは思わなかったんです」
聞いていた伯爵のこめかみに青筋が立ち、メイドに向かって間髪入れずに宣告が下された。
「そうか。お前は、今日限りでクビだ。荷物をまとめろ」
「そんな!お許しください。私は家令とメイド長の指示に従っていただけです」
ちょうとそこに帳簿を持った家令が入って来て、メイドの言葉を聞いて声を荒げた。「私の指示だと⁈お前達が勝手に仕事をさぼっていただけじゃないか。第一メイドの責任はメイド長にある。私に押し付けるな」
カミラはしばらくの間楽し気に泥仕合を見ていたが「早く帳簿をお父様にお見せして」と声をかけた。ハッとした家令は、おずおずと伯爵に帳簿を差し出した。
「服飾費、玩具や絵本の費用、乳母の費用と、なぜ専属侍女の費用も遣われている?」
伯爵は家令をにらみつけた。家令は俯いて震えながら「侍女については、メイド長にお聞きください。私は存じ上げません」と答えた。
「服飾費で今着ているこれと平民服を買ってくれたのかしら。玩具も絵本も、私が持っているのは乳母が物置部屋から探してきた物だけですから、新しい物はどこに仕舞ったの?ずっと同じ本を読んでいるから、早く新しい物が読みたいわ。…お父様、予算はほとんど使われていないのでしょう?私が伯爵家の恥にならないドレスは、買っていただけるかしら」
「カミラ。ドレスや本の事は手配するから安心しなさい。ライアン、お前が伯爵家の恥だ。メイド長共々、処罰は免れないと思え」
その日から、カミラを軽んじる者はウィルソン伯爵家にはいなくなった。
伯爵は予想もしなかった娘の聡明さに感銘を受け、そうなると自分とよく似た面差しで同じ色を持つカミラを可愛く思う様になった。
カミラに付けた家庭教師からも、子どもとは思えない落ち着きと貴族らしい成熟した態度を賞賛されると、伯爵は家の為の結婚の駒としての価値を見出し、ますますカミラに重きを置いた。
そうなると夫人も、夫の手前マークにばかり構っていられなくなり、カミラがもう少し大きくなると自分の社交の場にも連れて行って、手のひらを返して「礼儀正しい自慢の娘」として扱う様になった。
「うちのカミラは、淑女の鑑となろうと努力しておりますの」母親が自慢げに笑い、周囲の夫人達の間に妬み、恨み、悪意が漂い、そんな社交の場に身を置く時カミラはこの上ない心地良さを感じ、いつも満ち足りた気持ちで微笑んでいた。
ただ、庭師のベンが毎年誕生日に一輪の花を贈ってくれる時、カミラは「ありがとう」と受け取りながら、どうしてか泣き叫びたい気持ちになった。そして庭の裏門を見るとたまらなく外へ駆け出して行きたいと、そうしたらいつかあなたに会えるかもしれないと、心の中で何かが揺れ動いた。
しかしどこかからクツクツという笑い声がすると、カミラは何事も無かった様な気持ちで邸に戻った。邸内に入ると即座に、ベンに貰った花を「捨てておいて」と付き従う侍女へと渡し、清々した気持ちになる。
今夜はカミラの誕生パーティーで、婚約者のつまらない男、トーマスもやってくる。
(ああ、アラン様も来てくれたら良いのに)
カミラは、もうあの古い絵本は読まない。どこに仕舞ったのかも分からなくなってしまった。けれど、海の底にいた王子は本当にアランだったのだろうか。
何一つ思い出せないまま、暗い廊下を進んで行く。
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