25 閑話 カミラと蛇のはなし2
その返事を聞いたカミラは水の底へ行きたくて、必死になってその丸い石を持ち上げようとした。最初は他の岩と同じ淡いピンクに見えたその石は、カミラが力を籠めるにつれどんどん赤味が増していき、最後には真っ赤な石に変わった。
その頃には、カミラの小さな手は充血して真っ赤になり、力を込めている腕は震えていた。
「もうダメだよ」音を上げそうになった時、すごい勢いで石が持ち上がり、反動でカミラの身体は後ろに倒れた。幸い倒れた場所には草が生えていて怪我はなかったが、空を見上げる形で仰向けに倒れているカミラの上に、何か大きい影がかかった。
(なんだろう)正体は分からないのに、すごく寒くなって恐怖心が沸き上がってくるその影は、カミラの上に覆いかぶさりクツクツと笑っている様だった。
『なんでお前がここに来たのか分かったぞ。お前、とても哀れな子どもなんだな』
言われている意味は分からなかったが、馬鹿にされた様に感じたカミラは、影に向かってどなった。
「もう帰る!王子様なんて嘘なんでしょ」
すると影はまた笑い『嘘じゃ無いさ。ちゃんとお前に水の底で王子に会わせてやる。お前が俺の器に相応しい物になるには、それが必要だからな』と言い、そのまま消えてしまった。
怖くなったカミラは全速力で小径を駆け戻り、湖の乳母とトムの所へ戻った。
湖畔に戻ると、乳母が必死になってカミラを探している所だった。
その姿を見てカミラが慌てて駆け寄ると、泣きそうになっていた乳母はカミラをしっかりと抱きしめてくれた。
「お嬢様。心配しました。どこに行っていたんですか」
乳母の腕の中で暖かさに包まれていると、カミラはさっきの冷たい影の恐怖が治まっていくのが分かった。
「ごめんなさい。小径の先に行ってたの」影に会った事は何となく言い出せず、カミラは言葉を濁した。
「トムも、お嬢様を探しているんですよ。湖に落ちたんじゃないかって」
乳母はトムにカミラの無事を知らせようと、湖に目を走らせた。しかし、トムの姿は見えない。カミラの手を引いた乳母は、湖に向かって小走りに近寄った。
「トム!トム!」名前を呼びながら湖畔を進んでも、トムの明るい茶色の髪は見当たらず、二人の焦燥は募った。
『ちゃんとお前に水の底で王子に会わせてやる』その時カミラの頭に、さっきの声が聞こえた。カミラは尚も進もうとする乳母を引き留め、恐る恐る湖の中をのぞき込んだ。
するとどこまでも澄んだ水の底に、何か光るものが見え、目を凝らすとそれがトムの金髪に似た髪の毛だと分かり、カミラは「トム!」と叫び声を上げた。
同時にそれに気づいた乳母は、握っていたカミラの手を振りほどき、即座に湖の中に飛び込んだ。
「待って!」カミラの伸ばした手は乳母には届かず、彼女はそのまま深く深く湖の底の息子に向かって沈んでいく。トムを助ける為に飛び込んだのは分かっていたが、湖は深く、冷たく、乳母の服は水を吸って重くなり、彼女が泳げるのかすら分からない。
カミラに出来たのは、急いで邸に戻って助けを呼ぶ事だけだった。
庭師のベンは最近産まれた子犬を厩から外に出して、そろそろ乳母がカミラとトムを連れて帰って来るのを待っていた。あの子ども達はいつも子犬と遊びたがるから、ここにいたらきっと喜ぶだろうと思ったのだ。
(それにしても、カミラお嬢様はお気の毒だ。生まれた時から乳母しか付けられず、平民同然に暮らしている。家令もメイドも、ご主人様がお嬢様に関心が無いからと言って、気づいていても何もしないのはどうかしてるだろう。いい加減家庭教師が付けられるだろうが、こんな暮らししか知らないお嬢様が、それについていくのは大変だろうな)
そんな事を考えていると、森へ通じる裏門の方から小さな人が走って来るのが見えた。
(トムか?競争でもしてるのかな)
しかしそれが顔を真っ赤にした髪もぼさぼさのカミラだと気づき、ベンは慌てて駆け寄った。
「カミラお嬢様!」ベンを見つけたカミラは、その場に倒れ込み苦しい息で声を絞り出した。
「ベン。湖にトムと乳母がしずんだの。助けて、おねがい」
それだけ伝え限界を迎えたカミラは、そのまま気を失った。
ベンの知らせを受けて湖に駆け付けた邸の者達は、カミラの言っていた湖の底に沈む乳母とトムを見つけられなかった。
乳母が敷いていた毛布も、昼食の入ったバスケットも、やりかけの編み物もそのままだったが、湖の縁には人の滑った様な跡は無く、水中をのぞいてみても人影は見当たらなかった。
「そもそも、あれだけ深い湖の底に何かがあったって、地上から見えるはずないだろう」ある者が言い始めると、それを聞いた者も「カミラお嬢様は変わっているから、変な夢でもみたんじゃないか」「昼寝でもしてる間に、乳母達にも見捨てられたんだろう」と勝手な推測までする様になった。
ウィルソン伯爵は、乳母とその子どもの行方はどうでも良かったが、自分が忘れていたとはいえカミラの置かれていた環境には驚き、家令に改善を命じた。
「お前の職務怠慢だ。なぜ伯爵家の長女が平民同然の暮らしをしている。侍女もつけずに何をしていた。すぐに侍女を付けて、家庭教師も用意しろ」伯爵に厳しく叱責され、その通りの指摘に反論できない家令は、その不満をあれからベッドに寝た切りのカミラにぶつけた。
「カミラお嬢様。お嬢様のおっしゃる通りに湖を皆で探しましたが、乳母も息子も見つかりませんでしたよ。本当の事を言ってくれませんか。本当はあなたに嫌気がさして、二人でどこかに行ってしまったんじゃないですか」
家令はカミラが傷ついている顔を見ようとしたが、ベッドの上でそれを聞いているカミラの表情はピクリとも動かなかった。
「あなたは置いていかれたんです。これからはあなたにも侍女を付けて、勝手な事が出来ない様に見張りますから。それと家庭教師の先生も来ますから、ウィルソン伯爵家の恥にならないよう、きちんと学んでください」
主家の幼い令嬢に対するとは思えない言葉を次々に投げかけていると、無反応だったカミラの目が突然動いて家令を見据えた。その変化に気付いた家令が言葉を止めると、カミラが五歳の子どもとは思えない声を出した。
「おまえ、何様のつもり」そのままカミラは起き上がり、ベッドから降り立った。
「おまえの言った事、全部お父様に話すわ。お前こそが、ウィルソン伯爵家の恥よ」
呆気に取られて立ち尽くす家令を無視して、カミラはあれからベッドサイドに置かれる様になったベルを鳴らした。
一度のベルでは誰も来ないと分かると、今度は激しく何度も鳴らし、家令に向かって「メイドにも教育が必要ね」と冷たく言い渡した。
何度も鳴らしていると、さすがに根負けして一人のメイドがやってきた。彼女がカミラよりも横にいる家令に驚き「何か御用でしょうか」と型通りの言葉を口にすると、カミラは「遅い」とひと言告げ「着替えさせて。お父様に会いに行くから」と命じた。
メイドが面食らって立っていると、再度「遅い」と叱責され、慌てたメイドはクローゼットに服を見繕いに入って行った。数分後戻って来た彼女は、少し裕福な平民が着る様な服を一着持って「これ位しか、お召し物がありませんでした」と恐る恐る申し出た。それを馬鹿にした様に見据えたカミラは「それで良いわ。お前たちのしていた事、しなかった事を、お父様に知っていただかなくてはね」と薄く笑った。
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