24 閑話 カミラと蛇のはなし1
ウィルソン伯爵家の持つ領地は、古くから建築物に使われる岩の産出が盛んな土地だった。ウィルソン領で採掘された岩は、近隣の領や都市に運ばれ、城や聖堂、貴族の邸を作るのに重宝され、領地は潤っていた。
採掘場周辺の土地はごつごつした岩肌に囲まれていたが、ウィルソン領には他に森林や湖も沢山あって、その湖畔の一つに森を背景にしてウィルソン伯爵邸は立っていた。
伯爵夫妻は前年結婚したばかりで、カミラは夫妻の初めての子、長女として生まれた。
カミラを産み落とした伯爵夫人は、産婆に「元気なお嬢様です」と言われ、疲れた顔をしかめて「それじゃあもう一回はこれをしなくてはならないのね」とがっかりした様子で目を閉じた。
夫人はそのまま寝息を立て始め、子は産湯を使ってすぐ、控えていた乳母に託された。書斎にいた伯爵は家令から知らせを受け、生まれたのが女児と聞いて「美人か?」と尋ねたが「お可愛らしいと思いますが、赤子のお顔はすぐにははっきりしないものですから」と曖昧に答えられ、すぐに興味を失った。
彼はそのまま紳士クラブに出かけてしまい、自分の色と同じダークブロンドにダークブルーの瞳に生まれたカミラを見に行く事さえしなかった。
こうして産まれたその日から肉親の愛を受けられなかったカミラは、使用人達の手によって成長する事になった。しかしメイドや他の使用人達は、赤子に興味を示さない主人夫婦を見て、積極的に赤子に関わり世話しようという意欲をすぐに失った。
その為カミラを守り、世界との窓口となってくれるのは乳母だけだった。
彼女は心根の優しい女性だったので、見捨てられたカミラを可哀想に思い、自分に出来る限りの手間と時間をかけて育ててくれた。そして子を産んだばかりで乳の出る女性である彼女自身も、幼い息子を持つ母親だった。
彼女は伯爵家ゆかりの男爵家令嬢という触れ込みで乳母として雇われたのだが、実は男爵が手を付けたメイドであり、本当の身分は平民の女性だった。
男爵家には既に正妻の産んだ子が五人もいて、彼女も子どもも不要だと追い出されそうになっていた時、当の男爵が伯爵家で乳母を探しているという話を聞いてきた。さすがに後ろめたい気持ちがある彼が、メイドを自分の養女の男爵令嬢として、伯爵家へ送り込んだという経緯があった。
男爵家に居場所の無い息子も伯爵家へ連れて来る許しをもらった乳母は、カミラとその子を共に育てた。
普通なら乳母の子どもと主家の令嬢は明確に区別されるべきだが、伯爵夫妻だけでなく他の使用人もカミラに無関心で侍女もいない状態だった為、乳母一人で二人の子を育てるにはそうするしかなかった。
加えて元々平民のメイドである乳母に、伯爵家の令嬢の育て方など分かるはずも無く、二人に分け隔てなく愛情込めて接するのが、彼女なりの精一杯の献身だった。
彼女の知っている貴族の礼儀作法というのは男爵家で見聞きしたものだけで、男爵家自体が貴族の末端で裕福でもなかったので、彼女の貴族家に関する知識は無に等しかったのだ。
こうしてカミラは、衣食住に不自由は無いが貴族らしくない生活の中で、優しい乳母と息子のトムと三人で家族の様に育った。
カミラが四歳になる頃、伯爵家に嫡男が誕生した。
産婆から「元気な男の子です」と聞いた夫人は、今度は「男の子で嬉しいわ。見せて頂戴」とその子を腕に抱き、初乳さえ与えた。伯爵と同じ色のカミラと違い、赤子が自分とそっくりな銀髪なのを知り夫人は喜び、瞳が開くのも楽しみに待った。そして瞳まで同じ緑だった事で、夫人の嫡男への溺愛は決定した。マークと名付けられたその子を、夫人はつきっきりで慈しむ様になった。
そうなるとますますカミラの存在は忘れられたが、誰にも気にされない自由の中でカミラはトムと二人、犬の子の様にじゃれ合って遊んでいた。
その頃のカミラは、乳母が読んでくれる絵本の中で特にお気に入りの本があった。
その話の舞台は海の底で、金髪に青い目の王子が出てくる物語だった。
地上に住む女の子が海に落ちてしまい、海の底で王子と出会い、助けられ、一緒に冒険をし、やがて二人の活躍で海の国が救われて二人は結ばれるというお話だった。
カミラのおもちゃや本は、ほとんど乳母が邸の物置から見つけて来てくれた古い物で、その絵本の中の王子もかなり色褪せていたけれど、彼はカミラの憧れで初恋になった。そしてカミラは密かに、トムと王子は似ていると思っていた。トムは美しい乳母に似て確かに整った顔で、金に近い茶髪に青い目の少年だった。
「ねえ、トム。私も海の底の国に行って、王子に会いたいな」話をすっかり覚えてしまった絵本をめくりながら、その日もカミラはトムにいつもの願いを繰り返した。
「僕も行きたいけどさ、海はここら辺には無いだろ」
「でも、湖はあるよ。あそこにも国があるかも」
「じゃあもしあそこにも国があったらさ、いつかカミラを連れてってやるよ」
トムはカミラに約束してくれた。
五歳になった二人が少し遠くまで歩ける様になったので、乳母は料理人に頼んで弁当をこしらえてもらい、三人で裏手の森の湖畔に出かけるようになっていた。
そこで大きな毛布を敷いて、遊んではお昼寝をし、お昼を食べてはまた遊び、陽が翳る頃に乳母を真ん中にして手をつないで邸まで戻るのだ。
カミラは虫を取ったり、湖の魚をトムと二人で見たり、乳母に教わって花冠を編むのが大好きだった。
四歳のカミラは父母の顔も良く知らなかったが、乳母とトムがいつも一緒で、庭師のお爺さんと飼われている動物達が時々現れる世界の中で、とてもとても幸せだった。
その日もいつもの様に三人で湖畔へ行って、思い思いに遊び、乳母は木陰の毛布に座って編み物をしていた。カミラはふとトムと離れ森の小径を一人で奥に進むと、開けた場所に今は使われていない岩の採掘場が現れた。
ウィルソン領で取れる岩は花崗岩なので、その場所はピンクの平らな岩場が広がっていて、カミラは何だか楽しくなった。
(本にあった海の底の岩場に似てる)
ピンク色の岩の上をフラフラと歩いていると、岩の凹凸につまづいてカミラは転んだ。
泣き出しそうになったが、ちょうど転んだ目線の先にまん丸の石が置いてあるのに気づいて、起き上がって近寄ってみた。
(こんなに丸い石、見たこと無い。トムに見せたら面白がるな)
持って行こうと手を伸ばしたが、その石は小さいのにびくとせず、カミラは諦めて二人の所に戻ろうとした。その時、誰かの声が聞こえてきた。
『あと少しだ。もう少しで動く』
誰の声かも、どこから聞こえるのかも分からず、カミラは辺りを見回した。
『ここだ。この石の下だ』
そう言われ丸い石をじっと見ると、何だか細い物が石の下に挟まっている様に見える。
『お前がこの石をどけてくれたら、お前の望みをかなえてやるぞ』
「のぞみ?」
『ああ。水の底に行って王子に会いたいんだろう』
それを来たカミラは、意気込んで声に尋ねた。
「本当に、水の底で王子様に会えるの」
『会えるとも。お前がこの石を持ち上げられたら』
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