21 疑惑
混乱の中誰かが走って、待機していたシュタイン家のメイドや使用人達が呼び寄せられた。彼らは数人がかりで、カミラを揺らさない様気を付けながら馬車まで運ぶと、大急ぎで邸へと戻った。既に別な使用人が馬で先回りして、医師が呼ばれているらしい。
トーマスは母親の葬儀を抜ける訳にはいかないからと、一緒に来ていた家令にカミラを任せてその場に残った。正直言って棺から飛び出した蛇を目の当たりにした後、一人カミラに付いて行く勇気をトーマスは持てなかった。
カミラが運び出され墓地に静けさが戻ってくると、残された人々は本来やるべき事を思い出し、皆で棺に向き直った。
リチャードは尻餅をついた事ですっかりトラウザーズが汚れてしまったが、この場を立ち去り着替える事など微塵も思いつかず、妻の棺が穴の底に安置されるまで見守り続けた。そうしてじっと棺を見つめていると、リチャードの心の中にぬぐえない疑惑が広がっていった。
(アランの奥方のお陰で、シャーロットが亡くなる間際まで苦しめられた蛇から、解放する事が出来た。これで彼女は真に安らかに眠れるだろう。マーガレットには感謝してもしきれない…。しかし私は、シャーロットが蛇に巻き付かれたと訴えていた時、病の為に幻影を見ているのだと思い込んでしまった。あの時アランに頼んで奥方に来て貰っていれば、もしかしたらシャーロットは助かったのかもしれない。
それにしても、シャーロットはカミラに会いに行った日に蛇に憑りつかれ、蛇が消えた途端にカミラは産気づいた。これはただの偶然なのか。
トーマスも蛇の話が出てから、ずっと様子がおかしかった。トーマスは本当は、何か知っているんじゃないか)
リチャードが蛇への疑惑で頭をいっぱいにしている間に、無事に棺は安置され掘り出された土が元に戻された。最後に墓石を設置し、司祭がその上に聖水をかけながら聖句を唱えると葬儀は終了した。
墓石にはリチャードの名前を刻む分が空けてあり『互いの愛を信じ尊敬を持って生きた二人、ここに眠る』という言葉が記されていた。これは、以前二人で話し合って決めていた言葉だった。
シュタイン前伯爵夫妻は、多くの貴族同様政略で婚姻した夫婦だったが、共に時間を過ごす間に心を通わせる事の出来た、稀有な幸運に恵まれた夫婦だった。それだけにリチャードは、一度生じた疑惑をうやむやにしておく事は出来なかった。
先ほどの怪異を見た参列者達は、葬儀が終わってからも知り合い同士ひそひそと話し合っていたが、これ以上気味の悪い場所に残るのも気が進まなかったので、リチャードに挨拶をして一人また一人と帰って行った。
アラン達は前伯爵夫人の葬儀で起こった怪異の話は、すぐに社交界中に広まるだろうなと思ったが、最早どうしようも無かった。
リチャードは参列者達に謝意を告げ見送った後で、改めてマーガレットに礼を言った。
「ガードナー伯爵夫人、今回の事を深く感謝する。君のお陰でシャーロットは、安らかに眠る事が出来ると思う」
「そんな。私はただ、アランのハンカチに刺繍を刺しただけです。それを奥様の棺に入れようと思われたのは、シュタイン前伯爵ですから。きっと、奥様への愛がそうさせたのだと思います」
「そうかもしれないが、やはりお礼を言わせて欲しい。本当にありがとう。…それで、重ねての願いで図々しいのは百も承知だが、この後私の邸を二人で訪ねては貰えないだろうか。トーマスにも同席して欲しいが、カミラの出産があるから無理にとは言わない」
「それは、さっき見た蛇の事ですか」アランが尋ねると、前伯爵はうなずいた。
「ああ。シャーロットが亡くなる前の出来事を、君たち、特に聖魔法を持つ夫人に聞いてもらって意見が欲しいんだ。私は、このまま黙って独りで抱え込んではいられない」
マーガレットは分かりましたと返事をして、決心した様子で口を開いた。
「私も、シュタイン家の皆様にお伺いしたい事があるんです。私の友人のローズ・アマンドとその息子レイモンドの事です」
「マーガレット、今それは」
「なんで君が彼女の名前を」
マーガレットをアランが止めようとし、トーマスが驚きの声を上げたのは同時だった。
そんな二人を静かに見つめたマーガレットは、リチャードに視線を移した。
リチャードも、ローズとレイモンド二人の名を聞き、驚きで目を見張っていた。
「ローズは、私の大切な友人なんです。蛇の事は彼女にも重大な影響を及ぼすかもしれません。ですから、もうこれ以上見て見ぬ振りをしていられません。彼女達について、はっきりと話を聞かせて頂きたいんです」
「だがマーガレット。今日はトーマスは無理だ。トーマス、君はカミラの所へ行った方が良い。彼女は一人で心細い思いをしているだろう」
アランは、今まさにトーマスの子を産もうとしているカミラを気遣い、本邸へ帰る様に促した。
未だに呆然としていたトーマスだったが、それを聞き我に返り、はっきりと首を横に振った。
「夫なら、そうすべきだとは思う。しかしカミラが確実にいない今しか、俺がきちんと皆に話をする機会は無いと思う。だから一緒に別邸へ行って、話をさせて欲しい」
トーマスの苦渋に満ちた表情を見て、アランは仕方なくうなずき四人で別邸へと向かった。
本邸へ急遽運び込まれたカミラは、先ほどの出来事と、予定より早い出産にひどく混乱していた。
(あそこで棺から飛び出したのは、何だったの。お義父様が余計な事をしなければ。いいえ、それよりもあんなハンカチを、マーガレットが作ったから。ああ忌々しい、あの女。アラン様もあれを見てどう思っただろう)熱くなった頭で考え続けていたカミラは、ふと自分の思考のおかしさに気付いた。
(…ちょっと待って。何故、私はこんなに焦っているのかしら。私は蛇の事なんて何も知らない…知らないはずよ。お義母様が具合が悪くなったのだって、私のせいじゃない)
その時医師がカミラに声をかけた。
「シュタイン伯爵夫人、出産がこれからどう進むか簡単に説明します。
夫人は破水されましたが、もう既に予定日まで三週間を切っていますから、生まれてくる子に問題は無いと考えています。破水した場合お産は通常より早く進む事が多いですが、初産なのでこれから陣痛が規則的に来るまで、場合によっては半日程かかる事もあります」
「分かりました。赤ちゃんは無事なんですね」
「はい。私たちが付いていますから、夫人は気をしっかり持って、食べられる時に食事を取り、休める時に休んでください」医師はカミラを励ますと、後を産婆に任せて退室した。
医師の話を聞いている間にカミラの混乱した気持ちは治まり、陣痛もまだ始まりそうにないので、やっと葬儀があれからどうなったのだろうと考える余裕が出た。
ベッドの周囲を見回すと、いつも仕えているメイド達は揃っているが、トーマスの姿は見えない。まだ葬儀から帰ってきていないのかと思うが、蛇の事があるのでどうにも気になった。
メイドの一人に「トーマスと参列していたガードナー伯爵はどうしているか、家令に聞いてきて」と命令し、しばらくして戻って来たメイドは家令の返事を言い辛そうにカミラに告げた。
「旦那様とガードナー伯爵夫妻は、大旦那様と一緒に別邸へ向かわれたそうです」
カミラはメイドに「そう。きっとお義母様に先立たれたお義父様を気遣っての事でしょうね」と微笑んで言葉を返した。
メイドは「さようでございますね」と相槌を打とうとしたが、カミラの目が冷たく、笑っていないのに気づき「おそらく今夜中にはお戻りになると、家令は申しておりました」と付け加えたが、カミラは聞いていない様子で天井を見つめていた。
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