17 王都での日々
トーマスは王都にいる間何かとローズを誘い、今まで邸に閉じ込めていた罪滅ぼしの様に色々な所へ連れて行った。ローズが劇を見た事が無いと言うと王都で人気のある演劇の券を取り、初めての観劇にも連れて行ってくれた。
レイモンドはそうしてローズがトーマスと出かけている間、すっかり懐いた乳母と共に良い子でお留守番してくれたので、ローズは解放された新鮮な日々を楽しむ事が出来た。その反面自分の立場を考えると、手放しで喜んでいてはいけないという気持ちも募っていた。
「トーマス様。もしお知り合いの方に会ったりしたら、困る事になりませんか」
心配になったローズが、遂にはっきりと聞いた時「その時はその時だ。ローズは何も気にする事は無いよ」トーマスは笑って答えた。
領地にいる時のどこか自信が無く、逃げ腰のトーマスとは別人の様な頼もしい態度に、ローズは少なからず驚いた。
「私の事は、皆に秘密にしているんじゃないんですか」
「ここは領地とは違うからね。王都にはうるさい目も無いし、皆気ままに過ごしているんだよ。人の詮索などしないものさ」
実際、妾などはっきりした形で無くとも、結婚相手以外と付き合って関係を持つ貴族は、男女問わず多かった。
トーマスの友人でもアランの様に妻一筋という男の方が珍しく、恋人を持つ男は大勢いた。だからもし劇場やレストラン、宝飾店で誰か知り合いに会ったとしても、お互いに見なかった事にするのが暗黙の了解だった。
トーマスにとって王都での暮らしは、カミラを気にせず自由気ままにローズと過ごせる貴重な時間だった。
トーマスは沢山の宝飾品をローズに買い与え、それを着けたローズを連れて王都の華やかな場所に出向く時、自分が爵位にふさわしい力ある大人だと感じられて、自信を持って振る舞う事が出来た。
(ここでの俺は自分の意志で自由に動ける。領地にいる時はカミラの意志に支配され、彼女を恐れて身動きが取れなかった。一体どうして、俺はそんな風になったんだろう。あのおかしな魔力を向けられた時からか…?
ローズに出会えてレイモンドを授かった事は幸せだが、とどのつまり、それもカミラの提案に押し切られた結果だ。今度もまたカミラの思惑通りに、ずっと出来なかった彼女との子が出来た。これからどうなるのか、迷い道に入り込んでいる様で恐ろしい)
トーマスはカミラと離れ王都で暮らす内に、この二年間の生活が自分を疲弊させていた事を実感した。今のうちにカミラの闇の魔力や、ローズとレイモンドの将来の事も誰かに相談したかったが、いつもならその相手として真っ先に考えつくアランには、どうにも相談しづらかった。
前回アランの訪問の折にローズの存在を隠し、レイモンドの誕生さえ秘密にしたままでいる後ろめたさもあったし、カミラが異常な執着を向けるアランを、自分達の問題に深く巻き込むのも何かためらわれた。
加えてトーマスが今まで意識しない様にしてきた、アランに対しての長年の劣等感も打ち明け話の邪魔をしていた。
昔から二人でいても人々が注目し好意を寄せるのはアランだったし、自分の婚約者のカミラでさえ、一目会った時からアランに強い好意を抱いたのが分かった。
その時はさすがにアランという気持ちがよぎったが、やはりトーマスにとってアランは大好きな親友で、ずっと一緒にいたいと思っていたからそれは出来なかった。
アランを賛美するカミラに対しても、将来自分と結婚する人なのだから良い関係でいたいと思い、三人で平穏に楽しく過ごせるよう『人の良いのんきなトーマス』として振る舞い、許容してきた。
それなのに、今こんな袋小路に入ってしまっている。
互いに思い合うマーガレットと幸せな家庭を築き、カミラにも相変わらず崇拝されているアランに、この情けない自分の現状を打ち明けるのは辛かった。
(ローズとレイモンドは、確かに俺にとって大切な人達だが)
ローズにとっては契約上の関係、むしろ人生を捻じ曲げられた不本意な関係であり、嫡男として伯爵位を継ぐはずだったレイモンドは、カミラの出産後は貴族にすらなれない、ただの非嫡出子にさせようしている。幸せにすると約束したけれど、その道筋をつけるのは困難だと理解出来ているトーマスは、八方塞がりで孤独な男だった。
王都に来て二週間が過ぎた朝食の席で、今日は植物園にでも行ってみようかと話しているトーマスへ、家令が一通の手紙を持って来た。
「領地の本邸からでございます。持って来た者が、急ぎと申しておりました」
何だろうと思い封を開けると、そこには領地の母の容体が悪化し、危ない状態なのですぐ戻る様にと書いてあった。
王都に来てから母の事を思い出しもしなかった自分に気付き、トーマスは罪悪感を覚えながらローズに手紙の内容を伝えた。
「母の具合が悪くなった。すまないが、すぐに帰らなくてはならない」
「お母様が。もちろん、すぐに帰ってあげてください。私達の事は大丈夫ですから」
「母が落ち着いたらまたこちらに来るから、それまで元気にしていてくれ」
短いやり取りの後トーマスはレイモンドの顔を一度だけ見に行き、取るものもとりあえず領地へと向かった。
王都に一人残されたローズは、毎日がお祭りの様なそれまでの暮らしはすっぱりと忘れ、本格的にこれからの自分達の事を考えなければと思った。
その為に最初にした事は、マーガレットに宛てて手紙を書く事だった。
(何をして生きていくにしろ、シュタイン家の血を引くレイモンドを守る為には、同じ位の家格の貴族に力を貸してもらうしかない)
ローズは自分とレイモンドの現状、シュタイン家の様子、これからどうしたいと思っているのか、思いつく事を数枚にわたり書き連ねた。
宛先を書き入れる段になり、ローズは住所を確かめる為、古びたカバンの底から以前マーガレットに貰った手紙を出そうとした。
(この底の方に入れたはずよね。そう言えばあの時見つかったハンカチも、一緒に出しておこう)
手紙と一緒にハンカチをカバンの底から取り出したローズは、ハンカチを見て息を呑み、思わず取り落とした。
マーガレットが聖魔法を籠めた刺繍の部分だけが、真っ黒に染まっていたのだ。
(これは、聖魔法が何か悪い物を祓ったって事なの? マーガレット様が話していた誰かの悪意が、私を、それとも私達二人を攻撃したの? このハンカチが無かったら、私達はどうなっていたんだろう)
ローズは震える指をどうにか落ち着かせ、引き出しに仕舞った便せんを取り出した。
そしてハンカチに起きた不思議な出来事を知らせる為に、マーガレットへ再度手紙を綴り始めた。
その日の午後ローズは、買いたい物があるから街に行きたいと家令に伝えた。
家令はトーマスからローズを出来るだけ自由に過ごさせるよう言われていたので、すぐに馬車を用意して、ローズは侍女と一緒に街に出かける事が出来た。
馬車だまりに馬車を止め、少し歩いて聖堂前の広場に差しかかった時、ローズは侍女に喉が渇いたと言った。
「悪いけど広場の向こうに出ている屋台で、果実水を買ってきて貰えるかしら。王都の学院に通っている時、あれがとても好きだったの。もちろんあなたの分も買って下さいね」と頼んだ。
侍女はローズが領地で軟禁されていた事を知っていたので、久しぶりの王都を楽しみたいのだろうと快く承諾し、ベンチに座る姿を見届けてから急ぎ足で店に向かった。
本当は学院時代のローズはお金が無かったので果実水など一度も買った事は無かったが、その店が人気店でいつも行列が出来ていて、購入に時間がかかるのは知っていた。
侍女が遠ざかり人混みに紛れたところで素早く立ち上がり、ローズはベンチのすぐ裏の通りにある伝書屋へ走った。
そこはローズが学院最後の年に、マーガレットへの手紙を届けて貰う為、何度も通った場所だった。分厚いクルミの木で出来た扉を開くと、あの頃と同じ片眼鏡をかけた店主が、驚いた顔でローズを迎えた。
「お久しぶりですね」自分を覚えている人がいてくれた事に、不思議な程喜びを感じながらローズは手紙を差し出した。
「これをお願いします。前と同じ宛先ですが、お代は変わっていませんか」
宛名を見た彼は懐かしそうに微笑んだ。
「ガードナー伯爵夫人宛ですね。はい、代金は変わっていませんよ」
用意していた代金を支払ったローズは、店主の差し出した預け人名の台帳に‘’ローズ‘’とだけ記入した。それに片眉を上げる店主に「私、平民に戻ったんです」と微笑んで「手紙、よろしくお願いします」と急いで伝書屋を後にした。
ローズが再び走ってベンチに戻り、座って呼吸を整えたちょうどその時、広場の向こうから侍女が果実水を両手に持って、ゆっくり注意深く歩いて来るのが見えた。
「お待たせしました」
受け取った果実水は、走ったせいもあって本当に美味しかった。一瞬でもただのローズに戻れた喜びが、彼女の表情を明るく変えていた。それを見た侍女はローズが嬉しそうで良かったと思いながら、自分も冷たい果実水に口をつけた。
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