16 王都へ
アランはシュタイン家から届いた手紙を読み、眉をひそめた。
そこにはカミラが懐妊し、あと三ケ月で最初の子が誕生する予定だと書かれていたからだ。
「マーガレット、トーマスの所から手紙が届いたんだが、何かおかしい。君の友人は子を孕んでいたはずだが、どうなっているんだろう」
二歳を過ぎたステファンの子供部屋で、一緒に絵本を読んでいたマーガレットはその言葉に顔を上げた。
乳母にステファンを預けて、アランから手紙を受け取って目を通す内、彼女の顔色も段々と悪くなった。
「これじゃあ、ローズと産んだ子どもがどうなっているのか分からないわね」
アランもうなずき「俺の両親も昔からシュタイン家と付き合いがあるから、それとなく前伯爵に聞いてもらったんだが、妾と子どもについては何も言っていなかったらしい。家ぐるみで秘密にしている様だったが、いずれ何らかの形で後継ぎとして発表されるのだと思っていた。だがカミラに子が出来たとなると、君の友人と子どもがどうなるのか気になるな。トーマスは何も話してくれないし、どうしたものか」
「懐妊中に押し掛けるのは迷惑だろうし、カミラ様が子を産んだ後は尚更しばらくは伺えないし、困ったわね」
「ああ。俺が王都に行く時に、トーマスもうまい具合に王都にいる事があれば、二人で話せるんだが。トーマスに手紙を書いて、近々王都に行く事が無いか聞いてみるよ」
「そうね。トーマス様も、それが一番話しやすいかもしれないわね。アラン、何とかうまく聞き出してみて」
マーガレット達が邸でそんな心配をしている頃、ローズ、レイモンド、そしてトーマスは王都に向かう馬車の中にいた。
この馬車は以前アランが風魔法をかけてくれた最新式の物で、全く揺れない事にローズは驚嘆していた。
「トーマス様。この馬車は本当にすごいですね。私が男爵家の馬車でシュタイン家まで来た時は、ずっと揺れていて気分が悪くなって大変でしたが、この馬車はまるで滑るみたいに走りますね」
二年振りに外へ出たローズは我知らず興奮し、邸から追い出される悲しみを微塵も感じない様に、頬を紅潮させてトーマスへ語りかけた。
ローズへの後ろめたさと申し訳なさでぎこちなかったトーマスは、久しぶりに見るローズの明るい表情を見て(そうだ、ローズはまだ二十歳なんだ)と改めて思った。
そしてローズの明るい表情につられ、自分も自然な笑顔で「ああ。元々振動の少ないバネを使った馬車だが、アランが風魔法をかけてくれたからね」と答える事が出来た。
ローズだけでなくトーマスも邸を出る時は重かった心が、領地を離れるにつれて不思議な位軽くなるのを感じ、三人での王都行きがやがて楽しみになっていた。
「お帰りなさいませ」到着した王都のタウンハウスでは、使用人達がうやうやしく三人を迎えてくれた。今まで住んでいた離れでは、妊娠期間中を除きほんの数人のメイド、それも半分平民に近い少女達としか接しなかったローズは、気後れしてトーマスの後ろで顔を俯けたまま立っていた。
レイモンドを抱いたトーマスは、使用人達に鷹揚にうなずいた。
「出迎えご苦労。連絡を入れておいたが、こちらは俺の…大切な人であるローズと、息子のレイモンドだ。領地で過ごしていたが、これからはこのタウンハウスで暮らす事になった。レイモンドについては故あって公にしていないが、まぎれもなく俺の長子だ。皆、丁重に接して欲しい」と二人を紹介した。
(大切な人…)その言葉に動揺し、ローズは何も言わず使用人達に頭を下げるにとどめた。
何故なら王都でもローズは存在を隠され、元男爵令嬢と言う低い身分もあって使用人に軽んじられる事を覚悟していたので、そんな風に紹介されるとは思ってもみなかったからだ。
少なくともレイモンドは、トーマスの実子でそっくりな子どもなのだから、きっと皆大切にしてくれるはず、それだけで十分だと思っていた。
トーマスが思いもよらず自分を大切な人と紹介してくれた事で、ローズは少しだけ王都の生活に希望を持った。カミラの事を思うと手放しでは喜べないが、ここで生活しながら、これからの事をしっかりと冷静に考えていこうと思えた。
一方のトーマスは、大切な人と言ってからバツが悪くなってローズの様子を窺った。
彼女が嫌な顔をしていないか心配だったが、驚きながらも心なしか嬉しそうに見えて、こう言って良かったのだとほっとした。
うかつな事にトーマスは、この場に来るまで彼女を皆に何と紹介するか考えていなかった。ローズと相談して事前に決めておけば良かったと後悔しながら、とっさに飛び出したのが『大切な人』という言葉だった。言ってから少し気恥ずかしかったけれど、彼女が良しとしてくれるなら、トーマスはこれで満足だった。
(何と言っても、これは俺の正直な気持ちだから)
それから関係のない使用人は持ち場へ戻り、残った家令がローズ付の侍女と、レイモンドの乳母をそれぞれ紹介した。レイモンドには、今まで乳母をつけていなかったので、ローズは驚いてトーマスに言った。
「レイモンドの乳母ですか?こちらでも私が育てて良いのかと思っていました」
「君がレイモンドと一緒にいるのは構わない。だが、もうレイモンドも一歳だから乳をやる必要も無いだろう。王都では君も外出しても大丈夫だから、その間乳母が付いている方が安心だ」
「え、私、外出しても良いんですか」
ローズが驚いている姿に、家令を始め侍女も乳母も内心で動揺した。
(この女性は、領地で外出も許されていなかったのか)
同情の気持ちが沸き上がり、皆心の中でローズに親切にしようと思い始めた。
「それでは、夕食の時間までゆっくりお過ごしください」
家令が去って、トーマスとローズは居間でくつろいでいた。
レイモンドは馬車が快適だったとはいえ、やはり王都まで数時間の道のりに疲れた様でむずかり出したので、乳母になった女性がローズの私室に置いたレイモンドのベッドへ寝かせに行ってくれている。
「しかし、ローズ。レイモンドにも部屋を用意しておいたのに、また一緒の部屋で良いのかい」
「はい。あんなに広いお部屋ですから、レイモンドと二人の方が寂しくありません」
「そうか。俺の部屋と続き部屋なら、いつでも会えるんだが」
「そのお部屋は奥様の部屋です。トーマス様、滅多な事をおっしゃらないで」
ローズはトーマスを諫めた。そして、さっきの言葉にも一言いわなければと思い出した。
「さっき使用人の方達に私を大切な人とおっしゃって下さった事、ありがとうございました」
「あ、いや、それは正直な気持ちだから」トーマスは照れたが「けれど、あれではカミラ様に申し訳ないです」続いたローズの言葉に真顔になった。
「レイモンドなら構いません。あの子はまぎれもなくトーマス様の長子ですから。けれど、私の様な妾を大切な人と呼んでは、今お子を身籠っておられる正妻のカミラ様が悲しみます」
トーマスはそれを聞いてゆっくりとうなずいた。
「ローズの言う通りなんだろうね。俺はどうも物事に鈍感らしい。君を困らせてしまったならすまない。これからは気を付けるよ。…ただ、ああ言った気持ちは真実だから、それは覚えていて欲しい」トーマスは、ローズの髪を撫ぜ、一束すくって口づけた。離れでは、もう長い事こうして二人きりでいる事も、触れる事も出来なかった。
「トーマス様」ローズが自分の名前を呼ぶ、やんわりとした拒絶の響きに、トーマスは「もう少しだけ、こうさせて欲しい」と願い、彼女を抱きしめた。
この先の二人の関係は、今までと同じ形で続いてはいかないと分かっていたが、トーマスはやはりローズを手放したくなかった。
カミラの意向に逆らう事も出来ないのに、この先はどう進んでいけばいいのか、考えても分からないまま、ただローズを抱きしめて出来るだけ長く王都にいたいと願っていた。
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