15 歪んでいく未来
ローズはカミラの勝手な言い分と、それに唯々諾々と従うトーマスに怒りはしたが、本心ではレイモンドと二人で王都へ行ける事を喜んでいた。
シュタイン邸に来てから生活に不自由は無く、暴力を振るわれる事も無かったが、彼女は事実上ほぼ二年間シュタイン邸に監禁されていたのだ。
外出は勿論、よその人と話す事も、連絡を取る事も許されず、監視され、命令され続けた日々だった。
それが、やっとこの邸の外へ、愛するレイモンドと共に出られるのだ。
(レイモンドまで一生邸に囚われる事になるなら、何としてでも絶対に逃げ出したけれど)
あの時まとめておいた荷物とジュエリーは、今もちゃんとそのままにしてある。
トーマスに話した将来への不安は嘘ではなかったが、二人共自由にしてさえ貰えたら、本当は構わないと思っていた。ローズは元々平民だし、当面の資金は貰ったジュエリーを売れば何とかなるはずだった。しかしトーマスが、本当に自分達に財産を分けてくれるのなら、レイモンドが望めば高い教育を受けさせる事も可能だとローズは安堵した。
貰える財産がシュタイン家の物なら、後から取り上げられる可能性もあったが、さすがにトーマス個人が息子に与えた物を取り上げられはしないだろう。
(トーマス様は、悪い人ではない。そして私を愛していると言うのも、彼の中では嘘では無いのだろう。けれど彼は決して自分を犠牲にはしない)
これまでの短いトーマスとの付き合いの中で、ローズはそういう風に彼の事を考え、その愛は私の知っている愛とは違う、と思っていた。
(ともかく、今はここを離れて王都へ行ける事が嬉しい。あとはシュタイン家を離れてからどう生きるかを、本気で考えなくては。王都へ行ったら、マーガレット様に手紙を出す事も出来るかもしれない)ローズは、こんな歪んだ変化も歓迎し最大限に利用しようと思った。
カミラは自分が跡継ぎを産もうと決心した途端に、ずっと出来なかった子があっさり宿った事に驚いていた。結婚してからずっと、カミラは本当にトーマスとの子を望んでいたとは言えなかった。跡継ぎを作るのは貴族の義務だと理解していたし、実際子が出来ない為に肩身の狭い思いもしていたが、トーマスを愛していないので、彼の子どもを心から欲しいと思えなかった。
だから義父母から妾を取れという直接の圧力を受け、自分の立場の危うさを実感した時、万に一つの願いを込めアランと同じ色の娘を連れてきたのだ。もしかしたらアランと同じ色の子どもが生まれたら、私もその子を愛する事が出来るかもしれない。
そんなカミラの願いも虚しく、ローズは選りによってトーマスそっくりな子どもを産んでしまった。(黒いくせ毛に茶色の目ですって)あの時の失望は大きかった。
その上、妾を取る事にあれほど抵抗したトーマスは、結局ローズとその子に夢中になっている。
このままにしておけばカミラの居場所が無くなり、トーマスと愛するローズ、次期伯爵レイモンドの三人の『家族』が実現してしまう。焦ったが、今回の懐妊で忌まわしい未来を打ち壊す事が簡単に叶い、カミラは自分の強運を喜んでいた。
カミラの懐妊のニュースを聞いた義母は、別邸から早速祝いに訪れた。
最初は「おめでとう、カミラ。身体を大切にして良い子を産んでね」と祝ってくれていたので、カミラもにこやかに相手を務めていた。
しかししばらくすると、そわそわとレイモンドに会いたいと言い出し、離れからメイドがレイモンドを連れて来た。義母は目じりを下げてレイモンドの相手をし、カミラにも「この子は本当にトーマスにそっくりなのよ。可愛いわね」と話しかけ、最後に「本当に、あなたの懐妊がもう少し早ければ良かったのにねえ」とカミラの逆鱗に触れる言葉を放った。
それを聞いたカミラは、どんな順番であれ正妻の自分の産む子が次期当主に決まっているのに、この女は何を言っているのだという怒りでいっぱいになった。
義母が初孫のレイモンドに強く情を移している事は分かっていたが、この時彼女は明確にカミラの敵になり、黒く強い恨みが生まれた。そしてカミラの中に溢れ出た恨みは大きく黒い蛇の姿となり、シュルシュルと義母の首にしっかり巻き付いて締め上げた。
蛇に巻き付かれた義母は急に顔色が悪くなり、具合が悪いと言って早々にシュタイン邸を辞した。翌日トーマスの許に、義母がその晩からベッドに寝た切りで、動けなくなったという連絡が入った。
カミラは、自分から生まれた蛇が義母を病に倒れさせたとは気付いていなかったが、邪魔者が一人いなくなったと清々しい気持ちだった。
そうなると、次は再び離れに足繫く通っているトーマス、次期伯爵になると思われていたレイモンド、また次の子どもを期待されているローズが目障りでたまらなくなった。
それにあの離れに近づくとひどく嫌な気分がして、自分と腹の子が脅かされる様に感じる。
(以前はそんな事は無かったのに、何故か今は離れに近寄りたくない)
カミラは、あの母子をこの邸から追い払う事に決めた。
「ねえ、トーマス。私が今大事な身体だという事は分かっているわよね」
トーマスは、母親の急な病で今日も別邸へ見舞いに行き、疲れた顔で昼食を取っていた。
そこへカミラに意味ありげに話しかけられ、うんざりしながら答えを返した。
「ああ、もちろん」
トーマスはそう答えながらも顔を上げず、パンにバターを塗って口に運んでいる。
その様子を憎々し気に見ながら、カミラが話を続けた。
「同じ敷地にあなたのもう一つの家族が存在して、私が辛い思いをしているのに気づかない?」
「え」さすがに驚いたトーマスは、食事の手を止めた。
「辛いって、しかし、レイモンド達は本邸には来ないじゃないか」
「それでもよ」カミラは腹に手を当てながら「あなたがこの子の事よりも、レイモンドを後継者にしようとしている様な気がして、落ち着かないの」
「それは、最初は勿論そのつもりだったよ。ローズにはその為にここへ来て貰った訳だし、レイモンドは俺の初めての子どもで男子だ。…しかし、君が身籠ったからには、そうはいかないのは分かっている」
「だから安心してくれて良い」と言いながら、トーマスはこういう会話をいつかもしたと思いだしていた。
(そう、妾を取る取らないと言う話をした時だ。あの時も、俺の言葉はカミラには何の意味も持たなかった)
トーマスの考えた通り、カミラは翻意するつもりは無かった。
「このお腹の子が当主になるのは当り前よ。でも、そうしたらあの人達はどうするの。このままここに置いておくと、私とこの子を恨んで何か仕出かすかもしれないわ。一度伯爵になれると期待してしまったら、どこまでも欲が出るのが人間でしょう。あなたもあなたよ。私が身重なのに、離れに頻繁に行くじゃない。それじゃ安心なんて出来るはずがないわ」
「じゃあ、どうすれば良いんだ」投げやりになったトーマスに、カミラは答えた。
「本当なら縁を切って領地の外に追い出して欲しいけど、子どもが一人だけの間はそんな事は出来ないと、あなたも義両親も言うんでしょうね。
すぐに追い出すのは無理なら、とりあえず王都のタウンハウスへやって貰えないかしら。私は当分社交は出来ないし、この子が生まれてしばらくは、ここで立派に育てる事に専念するつもりだから。後の事はまた考えるから、出来るだけ早くお願いね」
こうしてカミラは思い通りローズ母子を邸から追い出し、ローズ達は思いがけなくチャンスを与えられる事になった。
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