14 変わりゆく運命
レイモンドは元気で活発な男の子だった。
ローズは幸い乳の出が良く、元より他にする事は何も無い身の為、乳母を置かず自分一人でレイモンドを慈しみながら育てていた。
産み落とす前のローズは、カミラからの干渉の激しさに耐えられず、早く子どもを渡して自由になりたいとさえ思っていた。
しかし子が腹の中で段々と育つ中で気持ちが変化し、大変な思いをして産み落としこの手に抱いた時、愛しいという気持ちがはっきりと生まれた。
直後、ローズはカミラの冷酷な表情を目の当りにし、この子をせめて数年は自分で育てたいと、我を忘れてトーマスに懇願していた。
今はそれが本当に正しい事だったと思える。
この離れの小さな世界で、レイモンドはローズの愛で、全てになっていた。
すくすくと育っているレイモンドは、シュタイン家の嫡男になるはずが正式に誕生の通知も出されず、関係する家への発表も無い状態のまま、ローズ同様に隠された存在として扱われていた。
トーマスの両親が訪ねてきた時は本邸に連れて行って引き合わせ、トーマスそっくりだと大喜びしていると聞いたが、それきり他の誰にも紹介されないまま、間もなく生まれてから一年になろうとしている。
ローズとしては、そんなレイモンドの立場が不安で仕方無かった。
最初に聞いた計画では、ローズが無事嫡男を産んだらすぐにカミラの妊娠を発表し、カミラが人前に出る事をやめて半年後位に、誕生を王家と関係する家へ報告する事になっていた。通常赤ん坊を家族以外に見せるのは少なくとも一歳を過ぎてから、しかも遠目に短時間の事なので、実際は半年早く生まれたレイモンドでも気づかれないだろうというのが彼らの目論見だった。
それなのに未だカミラの懐妊は発表されないまま、レイモンドはもうすぐ一歳になってしまう。
(いくら何でもこれ以上は誤魔化しきれないと思うのに、どうするつもりなんだろう)
あの時カミラは、レイモンドの髪色を見てあからさまに落胆していた。後から瞳の色が茶色だった事も聞いただろう。まさか、それでこの子を見限って棄てるつもりなのかと、ローズは危惧していた。
(もしそんなつもりなら、私はこの子を連れてここを逃げ出す)
幸いトーマスは、ローズに何かある度にジュエリーを贈ってくれる。どこにも出かけられない自分にこんな物を贈っても仕方ないのにと思っていたが、逃げ出す時には大いに役に立つはずだ。
ローズはメイドに隠れて少しずつ荷物をまとめ始め、いざという時すぐに持ち出せる様に、ジュエリーも自分の手元にまとめて置くようにした。
出産後は、カミラから派遣されていた監視役のメイドは本邸に帰り、今は見習いの少女の様なメイドが二人いるだけで、彼女達も夜は本邸の使用人部屋に帰って行く。
夜中、レイモンドと二人で逃げ出す機会はいくらでもあると、ローズは腹をくくった。
そんなある日、トーマスが離れにやって来た。
トーマスは流石にレイモンドの事が気になるのか、一時は遠のいていた離れに、今は週に二、三度訪れるようになった。
やって来るとひとしきりレイモンドと遊んで、ローズには必ず不自由が無いかと聞き、そして何か言いたげな顔をするが、結局何も言わず本邸に帰って行く。
今日もトーマスと遊んでいたレイモンドがお昼寝に入ったので、そろそろ帰って行くのだろうと思っていると、子供用のベッドにレイモンドを寝かせたトーマスが戻ってきた。
そして疲れた様子でローズの対面に座り、何か言いかけては止めている。
「トーマス様。何かありましたか。とても疲れている様に見えます」
ローズが遂に我慢できずに尋ねると、トーマスは重い口を開いた。
「ああ。実は母の具合が悪くて、ここのところ寝たきりになっているんだ。今日も一度見舞いに行ってきたが、思わしく無いんだよ」
「まあ。何か悪い病気にでもなられたんですか」
「いや。本人は風邪だと言うんだが、医者に診せても何も分からなくてね。喉がひどく痛むらしい」
「それはご心配ですね。早く良くなるとよろしいですね」母親の病気で疲れているにしては、自分に対しての態度がおかしいのは何故だろうと訝しんでいると「ローズ。君に話さなければならない事がある」トーマスがやっと話し出した。
その暗い目を見たローズは、レイモンドに関する事だと確信して続きを待った。
「実は、カミラが妊娠している。数か月後に生まれるはずだが、ここに君達にいて欲しくないと言うんだ」
その時のローズの気持ちは、何と言い表せば良いのだろう。
歓喜、怒り、開放感、焦燥、失笑、屈辱…相反する思いが渦巻いて、自分がどうにかなりそうだと思う中で、最初に浮かんだのはレイモンドを心配する言葉だった。
「ここにいさせたくない…ですか。それではレイモンドはどうなるんですか」
ひとつ口にすると思いが溢れ、次々に言葉が出る。
「レイモンドは、後継ぎとしてここで育ち、いずれはシュタイン伯爵になるはずでした。その為にあなた方は私を買ったじゃないですか。あれだけ後継ぎをしっかり産めと言われ、私はそれに応えました。レイモンドには何も瑕疵はないでしょう。元気で健康な男の子です。あなたにそっくりな、この家の長子です」
トーマスを責めながら、ローズは自分でも気付かない内に涙が溢れていた。
(別に、私は伯爵家も爵位もどうでもいい。私が用済みなら捨てれば良い。けれど、レイモンドをゴミみたいに捨てるのは許せない。あの子の人生を何だと思っているの)
トーマスの身体は一回り小さくなり「すまない、ローズ」と何度も繰り返した。
「君の言う通りだ。レイモンドは紛れもないこの家の長子だし、君はその母親だ。何度も言った様に、俺はローズの事を大切に思って愛している。それは信じて欲しいんだ」気づけばローズの足元にトーマスはひざまずき、手を握り懇願していた。
そのレイモンドと同じ癖のある黒い髪を見下ろしていたローズは、何とか心を静めてトーマスに尋ねた。
「それでは、ここを出て私たちはどこへ行く事になるのでしょう。それとも、もう用済みだから解放してくれるんですか」
トーマスが傷ついた様な顔でローズを見たが、ローズが無表情で見下ろすと諦めたように「君達には、王都にあるシュタイン家のタウンハウスに移って貰いたい。懐妊したとはいえ、カミラの子が無事に生まれた訳では無いし、今現在レイモンドが唯一の子であるのに変わりは無いんだ。決して悪い様にはしない。頼むから、俺を信じてくれ」
何の根拠も無く信じろと言うトーマスに、ローズはしばらく黙って考えてから条件を出した。
「カミラ様が順調に出産されて新しい後継者が生まれれば、トーマス様が何とおっしゃっても私達は邪魔な存在になるでしょう。カミラ様の子どもが一人だけの間はレイモンドが必要でも、もう一人子どもが出来たら身一つで追い出される事もありえます。悪い様にはしないとおっしゃるのなら、私たちがここを追い出されても暮らしていけるだけの物を下さいませんか」
それを聞いたトーマスは、自分がローズ達への愛を叫んだところで何も意味を為さない事を痛感した。(俺はシュタイン家の当主でありながら、何一つ自分で決める事が出来ない。どうしてこんな風になってしまったんだろう)
「分かった。今すぐに何をどう上げられるか決める事は出来ないが、必ず俺の個人資産から君達が生きられる物を用意する。だから、今はひとまず王都へ移ってくれないか」
「分かりました。レイモンドと一緒に王都へ参ります」ローズは答えた。
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