127 戻った記憶2
「光が消えた後、蛇の像は土に還って消えて無くなりました」
乳母の答えを聞き、ケイトは「やっぱり」と言ってうなずいた。
「きっと蛇から溢れ出た光は、カミラ様から奪われていた記憶だったんだわ」
乳母は更に続けて、蛇が姿を消した後を語った。
「蛇が消えて身体が動くようになって、私はすぐに坊ちゃまへ駆け寄り、抱き上げて無事を確かめました。幸いどこにも怪我など無くてホッとしましたが、カミラ様は地面に倒れていて、シモーヌさんが必死に声をかけていました」
「カミラは一旦気が付いたんですよね。その時何て言っていたか、覚えていますか」トムが尋ねた。
「全部思い出した、とおっしゃっていました。私には誰の事か分かりませんが、‘’あいつ‘’と一緒にした事を全部思い出したと」
トムとケイトが揃って深刻な顔で黙り込んだので、乳母は自分が何か悪い事を言ってしまったのかと困り顔になった。
そこへレイモンドを抱いたトーマスがやって来て「レイモンドがもう眠いらしい。昼寝をさせて貰えるか」と乳母に頼んだ。
見ると父母が帰ってきて安心したのか、まだ早い時間なのにトーマスの腕の中のレイモンドが船を漕いでいた。
「かしこまりました」乳母はホッとしてレイモンドを受け取り、そそくさと部屋へ下がった。
「トーマス様、カミラ様の記憶が戻ったんですか」
黙って皆の話を聞いていたローズが、隣に来て気づかわし気に尋ねた。
「ああ。そうらしい。俺もさっきオリバーに聞いたばかりで、まだ本人には会っていないんだが。オリバーが言うには、元のカミラ、君の知っているカミラに戻っているというので、トムとケイトさんが会う前にその事を教えたんだ。今から三人でカミラに会いに、部屋に行こうとしていた」
「蛇から溢れ出た光はカミラ様の記憶で、だから元のカミラ様に戻ったんですね。私達が蛇を倒したのと同じ頃ですから、きっとレイモンドが像を作ったのも偶然ではないのでしょう」
「俺達はカミラの様子を見に行くが、君はどうする?元のカミラに戻っているなら、君に不愉快な思いをさせるかもしれない」言いづらそうにするトーマスを安心させる様に、ローズは微笑んだ。
「そうですね。私が一緒にいたらカミラ様も気づまりでしょう。私は部屋に戻りますので、もし治癒や浄化が必要になった時は呼んで下さい」
「そうか。その時はお願いする。ありがとう、ローズ」
「ローズさん、ありがとうございます。もし何かあれば、私からもお願いします」ケイトも申し訳なさそうに言うのにうなずいて、カミラの部屋へ向かう三人をローズは見送った。
ドアをノックするとシモーヌの声で返事があり、扉が開けられた。
シモーヌはオリバーから皆が帰って来たと聞いていたので、そろそろこの部屋へ誰かが来るだろうと思い待っていた。
彼女はまずトーマス達に向かって、無事の帰還への喜びを述べた。
「皆様、お元気に戻られてよろしゅうございました。悪魔を無事滅ぼす事が出来たと聞いて、心から安堵しております」
「シモーヌ、君も留守を守っていてくれてありがとう。お陰で安心して行って来られた」トーマスはまず礼を言ってから「カミラの記憶が戻ったと聞いたが、どんな様子なんだ」と声を潜めて尋ねた。
カミラは寝室にいる様で、部屋に入ってすぐの居間には姿が見えなかった。
複雑な表情を浮かべたシモーヌも小さな声で答えた。
「カミラ様は記憶を取り戻され、元の通り立派な淑女として振る舞っていらっしゃいます。お身体は昨日眠っておられる間に医師に診てもらい、怪我や病気ではないそうです。
ただ記憶が戻ったばかりのせいか本調子では無く、目を覚まされてからは頭痛や眩暈があるので、ベッドで休んでおられます」
「今は眠ってはいないのかな」
「はい。先ほど飲み物をお持ちした時は起きていらっしゃいました」
「では我々が来たと伝えてくれるか。もし良ければ、そちらへ行って顔が見たいと」
「かしこまりました」
シモーヌが寝室へ姿を消し、トーマス、トムとケイトは黙って立ったまま居間で待っていた。
寝室の方で少し物音が聞こえて、しばらくするとシモーヌに支えられたカミラが居間に姿を現した。
「皆様、無事に帰られてようございました」
衣服は簡素だが整えられ、髪は以前の様にきっちりと結い上げ薄く化粧をして、出来るだけ背筋を伸ばして立つカミラは、トーマス達に向かって言った。
その瞳は出立前に浮かべていた無邪気な少女の光を失い、その代わりに訓練された貴婦人としての冷たいまなざしに変化していた。
「カミラ。倒れたと聞いたが、具合はどうだ。起きてきて大丈夫なのか」トーマスが心配そうに尋ねると、カミラは一瞬瞳を揺らしたが「はい。ご心配おかけしましたが、もう大丈夫です」とはっきりした口調で答えた。
そして三人に向かい「どうぞおかけください」とソファに座る様促した。
カミラの威厳ある態度にトムとケイトは戸惑いながら、言われるがまま並んで腰を下ろした。トーマスは脇にある一人掛けのソファを選び座った。
皆が席に着くまで、カミラはシモーヌの肩に掴まって待っていた。
記憶を失っていた頃の彼女の表情は幼く、子ども特有の生命力を感じさせていたが、ここに立っている彼女の表情は年齢と教育を経た淑女らしく落ち着いて、けれどひどく疲れた空気を纏っていた。
皆が座ったのを見て、カミラもシモーヌの手を借りながら腰を下ろし背筋を伸ばすと、両手を身体の前で組んだ。ケイトはその姿を見て「カミラ様、本当に記憶を取り戻されたんですね」と独り言の様につぶやいた。
「とてもしっかりされて、マナーも身についた淑女になられているのが、よく分かります」
トムはマナーについては分からなかったが、自分が知っていたカミラでは無い事を感じ、黙って彼女の顔を見つめた。
「カミラ、記憶を取り戻したようで安心した」
トーマスはそう言うと「どこまで覚えているのかな。こちらは君の乳母だったケイトさんと、その息子のトムだ。彼らが戻って来てからの事は分かるかい。君の為に、ずいぶん力を尽くして下さったんだ」と話しかけた。
カミラはケイトとトムの方へ視線を向けずに「はい。お二人にご迷惑をおかけした事は分かっています。私が幼い頃に起こった出来事も思い出しましたし、それからの事も全て覚えています」と答えた。
それを聞いたトムは、カミラに言い聞かせる様に話した。
「記憶が戻って良かったが、一つ間違えてる。俺達は何も迷惑なんてかけられてないよ。
もう皆で悪魔を倒して、お前を脅かすものは無くなったんだ。
母さんも俺もあちらの世界へ戻る事は無いし、これからはずっと一緒にいられる。
もしお前が望むなら、また三人で暮らしたって良いさ」
ケイトが咎める様に「トム」と言った。
「カミラ様が記憶を取り戻されたという事は、伯爵夫人に戻られたという事なのよ。不敬な物言いは止めなさい」
不服そうな顔で黙ったトムを置いて、ケイトが視線を合わせないままのカミラに向かって言った。
「カミラ様。トムが失礼な態度を取ってしまった事、お許しください。女神様が逃がして下さったもう一つの世界では、皆が平民で貴族がいない世界でした。だから幼かったトムには、この世界の仕組みがよく分かっていないのです」
「謝る必要はありません。私の方がお二人を大変な目に遭わせたのは間違いありませんから」
淡々とした口調で返事をするカミラへ、ケイトは続けた。
「カミラ様は全て思い出されたと言っても、私達が湖の底に消えてからシュタイン領の森の中に戻ってくるまでの間、あちらの世界でどう暮らしていたかはご存知ありませんよね。
私たちはあちらでは女神様の神殿に迎えて頂いて、特別な苦労も無く過ごせておりました。ですから、カミラ様がおっしゃる大変な目になど遭っておりません。どうか安心して下さい。
それにあちらの世界へ行ったのも、カミラ様のせいではありません。私が乳母としてきちんとカミラ様に付いていれば、起こらなかった出来事です。私達はあちらの世界でも、ずっとカミラ様の幸せを願っておりました」
カミラはケイトが話し終えるか終えないかで突然席を立ち、よろめいた。
慌ててトーマスが支えたが、カミラはその手を振り払ってケイトに言った。
「もう止めて。私は全て思い出したと言いましたよね。私が勝手に採石場跡へ行き、悪魔の封印を解いたんです。そのせいであなた達が湖の底に沈んで、姿を消す事になったのも分かっているんです」
眩暈のせいで足元をふらつかせるカミラは、尚も手を貸そうとするトーマスにも言った。
「あなたにも何をしてきたのか思い出したわ。私はあなたの気持ちをずっと蔑ろにしてきたし、あなたの両親も、シュタイン家の沢山の騎士も、私のせいで亡くなったの」そう言うとカミラは両手を組み合わせ、身体を縮めて嗚咽を洩らした。
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