126 戻った記憶1
トーマス達一行は皆の疲労を考慮して帰りは無理をせず、途中の街に一泊してシュタイン領へ戻ってきた。
邸を離れていたのは結局は三日間という短い期間だったが、起こった出来事が余りに濃密だった為に、皆もっと長い時が過ぎた様に感じていた。
だから遠目に邸が見えて来た時ローズはとても懐かしく感じたし、玄関先に乳母に抱かれるレイモンドが見えると居ても立っても居られなくなった。
玄関ポーチに馬車が停まるとアラン、トーマスが先に降りて、それぞれマーガレットとローズが降りるのに手を貸した。
ローズは馬車から降り立つと、そのまま乳母に抱かれているレイモンドへ駆け寄って受け取ると、しっかり胸に抱きしめて頬ずりした。
「レイモンド、ただいま。レイモンドのダリアが大活躍したのよ。お陰で、皆無事に戻ってこられたわ。どうもありがとう」
「かあちゃま」満面の笑みでローズの胸に頭をこすりつける、黒いくせ毛の柔らかさを感じながら、ローズは大好きな幼子の匂いを堪能した。
「母様も、ちゃんと悪魔を倒せたの。もうこれでレイモンドの未来には悪魔はいなくなったわ」
続いて到着したもう一台の馬車からトムとケイトも降りてきて、全員揃ったところで邸に入ろうとすると、家令のオリバーが最後を歩くトーマスにそっと近寄り、何かを囁いた。
トーマスはそれを聞くと驚いて目を見開いたが、その場では皆には何も告げず、オリバーにだけ「分かった」と返事をして歩き出した。
その時ローズはレイモンドとのお喋りに夢中だったし、マーガレットはケイト達から、新型の馬車のお陰で楽に過ごせて助かったとお礼を言われていて、トーマスの様子には気が付いていなかった。
ただ一人アランだけは家令に話しかけられたトーマスに気が付き、足を止めて振り返って待っていたので、トーマスが驚いた表情を見ていた。
皆に何か言うかと思ったトーマスはそのまま黙って歩き始めた為、アランは自分からは何も聞かず、気づかなかった振りをして皆に続いて邸に入った。
(オリバーがトーマスにだけ教えた所を見ると、シュタイン伯爵家の内輪の話だろう。だがあの顔を見る限り、余り楽しい話では無さそうだ。困った事があったら俺にも言ってくれれば、力になるんだが)
夕食の時間まで各々するべき事やしたい事をして過ごす事になり、ローズはレイモンドの作ったオブジェを見ようと庭へ、アランとマーガレットはガードナー家から届いている手紙を読んで返事を書く為、部屋へ引き上げた。
トムとケイトは、カミラが自分達を迎えに出て来ないのを不思議に思いながら、カミラに会いに行こうとしていた。
「カミラは元気にしているかな。どうして玄関に来なかったんだろう」
「そうね。シモーヌさんがいるから大丈夫だと思うけれど。もしかしたら悪魔が消え去って、何か影響が出ているのかもしれない」
「そうだとすると心配だ。すぐにカミラの部屋へ向かおう」
そこにトーマスが来て、二階へ行こうとする二人を引き留めた。
「すまないが、ちょっとこちらへ来てもらえますか」
二人がトーマスに導かれて小さな部屋へ入ると、彼はドアを閉ざしてソファへかける様勧めた。
とまどった面持ちで二人が腰かけると、トーマスは自分も座って重い口を開いた。
「実はカミラが一昨日の夕方倒れ、その直後に記憶を取り戻したそうです。その後すぐ意識を失いましたが、今朝がた目を覚ましました」
二人の間に緊張が走った。トムは椅子から前のめりに身を乗り出し、トーマスに質問した。
「記憶を取り戻しても、俺達の事も変わらず覚えているんですよね?カミラとは今話せますか」
「カミラは頭痛や眩暈がするのでベッドに寝たままだが、話は出来る。ただ目が覚めたカミラは、君が知っているカミラとは変わってしまっている」
「変わったって、どんな風に?記憶が戻っても、昔のカミラが消えてしまった訳ではないでしょう?」トムが不安そうに言うと、ケイトも「カミラ様の記憶が戻ったというのは、どうして分かったんですか」と尋ねた。
「一昨日の夕方倒れた直後、カミラ本人がシモーヌに全てを思い出したと言ったそうです」
トーマスの答えを聞いたケイトが、ある事に思い当たり、もしかしたらと口を開いた。
「一昨日の夕方はローズさんとトムが、ちょうど悪魔にとどめを刺した頃です。悪魔が消え去った事でカミラ様から奪われていた記憶が戻り、そこなわれた魂が修復されたんじゃないでしょうか」
「確かに、言われてみればタイミングが合うな」トムもうなずいた。
「だけどカミラはどうして倒れたんだろう。シモーヌさんはカミラと一緒だったんですよね」
「そうらしい。だが俺もこの話は、さっき家令のオリバーから簡単に聞いただけなんだ。詳しい事が分からないから、これから様子を見に行こうと思っている。カミラと少し話したオリバーが言うには、カミラは記憶を失くす前の貴族らしい彼女に戻っているらしい。
そうなるとあなた方へどんな態度を取るか分からないから、前もって話をしておこうと思ったんだ」
「分かりました。心して臨みます。私達もカミラ様に会わせてください」ケイトが頼み、三人はカミラの部屋へと向かった。
二階へ行く階段の手前で庭に出られる扉に差し掛かった時、三人は開いていた扉の先に見える庭の様子に気を取られた。
「レイモンド、すごい。これは私とトムかしら」ローズが驚きながら、はしゃいでいる声がする。
「これを作る前に読んでいた絵本が、王子様と少女が出て来る本だったんです。その二人の像だと思ったんですが、良く見るとローズ様とトムさんにそっくりですね。
それと最初はここに、絵本で二人が退治した大きなウミヘビも作ってあったんですよ。その蛇はただの像なのに、とても恐ろしかったです」
三人は話の内容が気になり、カミラの部屋に行く前に庭に向かった。
そして、そこにあった二体の像を見て呆気に取られた。
「これは…トムとローズさんね」
「これをレイモンドが作ったのか。本当に規格外の力だな…。いや、それにしても、これはあの時の俺とローズそのものだ。どうしてこんな物を作れたんだろう」
そこに立っているトムの像は何かを押さえつけ、腕を振り上げたポーズを取り、トムの後方に立つローズは両手を突き出し、微笑みながら正面を見ている。ローズの唇は少し開いていて、まるで呪文を唱えている様だった。
「レイモンド!」名前を呼びながらトーマスが近寄ると、レイモンドは振り返り、笑って手を伸ばした。
身をかがめて愛しげに抱き上げると、トーマスはレイモンドへ、自分達を守ってくれたダリアの礼を言った。
「レイモンドの魔法のダリアのお陰で、俺もアランも、マーサ夫人も、皆助かったんだよ。あのダリアが俺達を包んで守ってくれなかったら、今頃は蛇の餌食になっていた。ありがとう、レイモンド」
「とうちゃま」
ニコニコするばかりのレイモンドは普通の幼児に見えて、あれ程すごい魔法が使えるとはとても思えなかったが、現に素晴らしい像を目の当りにすると、トム達はその力を信じざる負えなかった。
トムはつくづく感じ入って、ローズの傍らへ歩み寄って話しかけた。
「ローズ。この景色は、あの時のものだよな。もしかしたらあのダリアが、一部始終をこの子に伝えていたのかな」
「私もそう思うわ。それに乳母の話では、本当はここに蛇もいたんですって」
「蛇が?それなら正にあの時のままだ。でもどうして、今は無いんだろう」
「突然三体とも光に包まれた後、蛇の像だけが内側から崩れて土に戻ったそうよ」
「それじゃあ土で出来た蛇も、光の力で消滅したって訳か。すごいな」
トムが驚いている横で、ケイトが乳母に「その場に、カミラ様もいたんですか」と尋ねた。
「はい。その日はカミラ様が坊ちゃまに、海の底の王国の絵本を読んで下さったんです。坊ちゃまは三回もご本を読んで頂いた後、お庭に出ようとなさいました。もう暗くなり始めていたのでお止めしたのですが、どうしてもというご様子だったので、少しだけならとシモーヌさんと私、カミラ様の四人でここに来ました。坊ちゃまはお庭に出た途端走り出されて、あっという間に魔法でこれを作ったんです」
「最初は蛇もあったんですね」
「はい。その蛇はただの土のはずなのに、真っ黒でとても恐ろしかったです。情けない話ですが、私は膝が震えてしまい動けなくなりました。シモーヌ様も同じで、私達は坊ちゃまの後を追おうとしたのですが、一歩も進めませんでした。けれどカミラ様だけは像を見て無邪気に喜び、レイモンド坊ちゃまの許へ駆け寄りました」
「そうしたら、光が?」
「ええ。どこから来た光なのか、全く分かりませんでした。王子と少女の像は光に包まれ、蛇の像は内側から光が溢れ出てきました。そうして光が消えた後、蛇の像は壊れて土に還り、無くなっていました」
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