120 旅立ち1
翌朝早起きしたケイトは、まだ眠っているマーガレットとローズを残して部屋を出た。
きっとマーサが自分達客人の為に、朝食の準備をしてくれているのではと考えたのだ。
ケイトは階段を降りて厨房に向かいながら、カラバン子爵邸の中の空気が、昨日訪れた時に比べて清らかに澄んでいるのを感じた。
貴族の邸の造りから言って、きっとこちらの方だろうと当たりをつけた一画へ進むと、案の定一つの部屋のドアから良い匂いがして、マーサが忙しく立ち働いているのが見えた。
「おはようございます」ケイトが声をかけながら入室すると、マーサが振り返り「おはようございます」と返事をしながら「すみません、まだ朝食の準備が整っていないんです」と慌てて付け加えた。
「準備をお手伝いに参りました」ケイトは「私は、元はシュタイン伯爵夫人の乳母だったんですよ。あちらの世界でも神殿で下働きをしていましたから、大人数の食事の準備は慣れています」と言ってにっこりと笑った。
「そうだったんですか。それでは、せっかくですから手伝って頂けますか」
ケイトはマーサに指示された通りに、てきぱきと準備に取り掛かった。
やがて美味しい朝食が出来上がる頃眠っていた面々も目を覚まし、ぞろぞろと階下に降りてきた。フリードが皆を昨夜の食堂に案内してから、トムと一緒に厨房に顔を出した。
「おはよう、母さん」「おはようございます。母上」
二人の息子は朝食の給仕を引き受け、忙しく立ち働いていた母達を食堂へ先に向かわせた。
「フリード。あなた、給仕なんて出来るの」マーサが心配するのに、フリードは「僕だって何年も朝食を食べていたら、さすがにどうすれば良いか分かりますよ」と答えて、トムが「確かにな」と言って笑った。
マーサとケイトが食堂に入ると、皆が揃ってお茶を飲んでいた。
「あら、お茶をお出ししていなかったのに」と驚くマーサをアランが席までエスコートして、同じようにケイトをエスコートしたトーマスが「ローズが淹れてくれたんですよ」と教えた。
ローズは新たに二人分のお茶を用意しながら「私も平民ですから、これ位は出来るんです」と笑顔を見せた。
そうして温かいお茶で喉を潤していると、トムとフリードが朝食を運んで来て、にぎやかに食事が始まった。
「それでは、皆さんの浄化をさせていただきます」
朝食が終わるとローズは真っ先に、昨日から意識の無い、深く操られていた者達の部屋へ向かった。万一の為にトム、アラン、トーマス、フリードが付き添い、まずは下男達の部屋へ向かった。
部屋に入ると下男達は目覚めてはいたが、ただ虚ろに天井を見上げているだけで、反応を何も示さなかった。
「自分の意識が押し込められて、深く沈んでるな。浄化をかけたら、重石が取れてきっと正気に戻るよ」とトムが言ってローズを見た。
「そうね。じゃあ、やってみる」ローズは最初の一人の肩に触れて、身体の中の穢れを払うべく浄化をかけた。
一時ローズの金の髪が輝き、その輝きが肩に触れた指先から男へ伝わると、男の瞳にも光が灯った。声が上手く出せないようで何度か喉を動かして、やっとの事で「おれ、どうして」と言葉になった。
「もう大丈夫だ。水を飲め」トムが水差しからコップに注いだ水を渡すと、男はごくごくと一気に飲み干した。まだ現実に戻り切っていない様子の男に、フリードが近寄って「具合はどうだ」と尋ねた。
「わ、若旦那様」主の登場に驚いている姿を見て、フリードは「もう大丈夫そうだね」と言って「お前は悪い者に操られていたんだ。まだ身体が本調子じゃないだろう。今日は一日寝ていると良い」と労わった。
そのまま数人の下男達を同様に浄化し、最後にタミーの番が来た。
トーマスはタミーの顔も良く覚えていなかったが、そう言えばカミラの近くでよく見かけた女だったと思い出した。
(いつもビクビクしてカミラの顔色を窺っていたが、あれはカミラの中に入り込んだ悪魔を恐れていたんだな)
下男達より余程長い間操られていたタミーは、浄化にかかる時間がかなり長かった。
それでもローズが「終わりました」と言って、彼女の体内に感じていた穢れが無くなったと宣言した時、タミーは薄く目を開いて、息を一つ吐いた。
今までと同じ様にトムが彼女に水を飲ませようとしたが起き上がれないので、トーマスが背中を支えてやり、やっとあてがわれたコップに口をつけた。
タミーの目つきはまだ少し虚ろで、ここに無い何かに怯えている様だった。
「クラウス、あの子が」つぶやくのに、トーマスが「もうクラウスは消えた。だから安心して良い」と言うと、タミーは再び身体を横たえて目を閉じ涙を流した。
「身体も心もとても消耗しています」ローズが更にタミーへ癒しの魔法をかけると、タミーは深い眠りに落ちた様だった。
「こうして安心して眠っていれば、きっと回復してくるでしょう」
トーマス達は今日にでもシュタイン領へ帰る予定だったが、タミーのことは流石にすぐには動かせないので、フリードに頼んでしばらくカラバン子爵邸で様子を見てもらう事になった。
最後に昨日マーサに暴言を吐いて暴れ、トムに殴られて気を失ったフランクの部屋へ向かった。あれからずっと目覚めないフランクだったが、気を失った時点で既に悪魔の洗脳は解けていたので、おそらく度重なる精神への負担に耐えられなくなったのではとトムは言った。
「元々前子爵の遺言でショックを受け正気を失っていたそうですから、悪魔に感情を吸い取られたり操られたりを繰り返すうちに、魂もすり減って自分が壊れてしまったのかもしれないですね」
部屋の鍵を開けて中に入ると、フランクはまだ眠っていた。
フリードは少し離れた所からその薄汚れている姿を眺め、自分に憎しみをぶつけ、死すら望んでいた父親を思い出していた。
(父上は、結局何がしたかったんだろう。子爵になって、僕と母上がいなくなって、若い妾を取って、おじい様の様に生きれば満足だったんだろうか。おじい様がそれで何一つ幸せを得られてないのを、知っていたはずなのに)
ローズはフランクの魂の在りかを探ろうと彼に触れたが、何も見つけられず、トムに頼んでケイトを呼んで来て貰った。
「ケイトさん。私にはこの方の中に浄化の必要な魂が見つけられないんです。悪魔に沢山の闇の力を吸い取られていたから、もしかしたら代わりに闇の魔力が入っているのか、見て貰えませんか」
そう言われてケイトもフランクに触れたが、しばらくして眉をひそめ、手を離した。
「私も、この方の中に黒い魔力は感じられませんでした。それどころか、何の力も感じられません。悪魔に感情を吸い取られては操られるのを繰り返した挙句、肝心の悪魔が消えた事で、この方自身も一緒に消えてしまったんでしょうか」
「じゃあ、今のこの姿は魂の無い抜け殻ですか」
そんな事を二人で話し合っていると、フリードが口を挟んだ。
「もしもこの男の魂が消えてしまったのなら、その方が僕達カラバン子爵家にとっては良かったと思います。これは僕の父親ですが、彼が僕と母に対して抱いていたのは憎しみだけでしたから。僕もある事をきっかけに、この人を父親とは一生思えなくなりました。ですから、このまま目が覚めないなら、それで構いません。尽力下さって、ありがとうございました」
皆、フリードが初めて見せる暗い瞳に気圧され、カラバン子爵家の闇を思い出して、それ以上は何も聞かなかった。結局フランクにはローズの浄化も、ケイトの黒い魔力の除去も意味を為さなかったので、何も出来る事が無いまま皆は部屋を後にした。
そして最後に、マーサもマーガレットも加わり、全員で『妻達の共同墓地』へと向かった。女神様の力で、あの土地にはもう誰の魂も残っていないと分かっていたが、最後にもう一度穢れが無いかを確認して、花を手向けようと話し合った。
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