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いつかあなたを  作者: Jun
光差す世界

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119/131

119 林檎

 マーガレットの突然の質問に、ローズは焦って言葉を返した。

「どうして。何故私が、彼に加護を与えたなんて思うの。マーガレットも知っている様に、私が聖女として覚醒したのはあちらの世界に行ってからでしょう。戻って来てからカラバン子爵家との接点は勿論、彼に会う機会など無かったのは、あなたも知っているじゃない」

 マーガレットはそれに対して「だから私も、夫人から悪魔が言っていた言葉を聞いた時、この世界に聖女はいないはずだからおかしいと言ったのよ」とうなずいた。

「あなたがこの世界に戻って来てから私達とずっと一緒にいて、どこにも行っていないのは勿論分かってる。学院を卒業してすぐにシュタイン家に入り、そこでしか過ごしてなくて、カラバン子爵家とも彼とも関係が無いのは知っているわ。だけど学院時代、私が卒業した後のあなたの一年間は知らないわ。

 その一年間にあなたが誰かと親しくなって、林檎の刺繍を刺したハンカチをその人にあげて、刺繍に籠めた想いの強さのお陰で、受け取った人に聖女の加護が授けられたのかもしれないなんて、分からなかったわ」


 悪戯っぽく微笑むマーガレットに、ローズは「どうして、林檎の刺繍だと知っているの」とつぶやくと「もう何年も前の話で、彼だって忘れているわ」と俯いた。

 ローズの金色の長い髪は俯く彼女の顔を覆い、その表情を隠したが、マーガレットは前を向いてローズの顔を見ずに話した。


「彼が目を覚ましてから、蛇に殺されなかったのは奇跡だっていう話になったわ。ケイトさんはとても不思議がっていてね。彼に、何かお守りの様な物を持っていないかと尋ねたの。そうしたら、昔人に貰ったハンカチを持っていると答えたのよ。名前も知らない誰かが刺繍してくれたハンカチを、いつも身に付けているって。

 ケイトさんに見せて欲しいと頼まれた彼は、ためらいながらそれを胸ポケットから出したの。私はその刺繍を見て、すぐにあなたが刺したのだと分かった。林檎の刺繍が真っ黒に変わっていたから彼はとてもショックを受けていたけれど、それは刺繍があなたを守った証だと教えたのよ」


 黙ったまま話を聞いているローズの肩が震えているのに気づいて、マーガレットはそっと肩を抱いた。

「ねえローズ。この世界で辛い事ばかりだったあなたにそういう思い出があって、相手はあなたを今も大切に思っていると分かって、私は嬉しかった。

 それぞれアマンド男爵家とカラバン子爵家だったから、あの頃は全ての歯車が狂って上手くいかなかったのだと思う。だけどもし話し足りていない事があるなら、話しておいたらどうかしら。トーマス様には悪いけど、私はあなたに悔いを残して欲しくないし、あなたが望むなら何だって力になるわ」


 その時ケイトが浴室から戻って来た。彼女は二人の雰囲気が何となくおかしいのを察してか、さっさと寝支度を整えると「先に休みます」と言いおいてベッドに潜り込んだ。

「マーガレットも、お先にどうぞ」とローズが譲ったので、マーガレットは「じゃあ先に入らせてもらうわ。さっきの話は、ちゃんと考えてね」と浴室へ向かった。

「ええ」と返事をしたローズは、そのまま物思いに耽っていた。

 部屋の中には沈黙が満ちて、ローズついた微かなため息がそれを破った時、眠っていると思ったケイトが小さな声でローズを呼んだ。

 顔を上げてケイトのベッドを見ると、彼女は布団から顔をのぞかせてこちらを見ていた。

「ローズさん。あの方の持っていたハンカチ、ローズさんが差し上げたものなんですね。名前も知らない令嬢に貰ったとおっしゃるから、不思議に思っていたんです。その方も聖女だなんて、そんな事があるのかって。でも、それがローズさんだったのなら、分かります。聖女の魔力だから似ているのかと思いましたが、あれは、ローズさんの魔力と同じでした。あの方、ハンカチを胸元に入れてらしたんですよ。私に見せるのも気が進まなそうにされる程、大切にされていました。あのハンカチが黒い魔力を吸い取って、間違いなくローズさんがあの方を救ったんです」


「ケイトさん、私、どうしたら良いでしょう。マーガレットはあの人と話しをした方が良いと言いますけど、今更あの人が私と話をしたいのかも、私が何を言えば良いのかも、分からないんです」ローズは迷い、悩んだ者の目で尋ねた。

「私達は、互いに名前すら名乗り合わない間柄でした。あの頃の私にとって、あの人との時間が唯一の救いであり癒しだった。だからこそ、忌まわしいアマンド男爵家の名を出して、嫌われたくありませんでした。私、自分が名乗りたくないのに、あの人に名前を聞かれないのを、興味がないからだと思って苦しんでいたんですよ」ローズは、その頃の自分を思い出して悲し気に笑った。

「本当にいつまでもこのままでいられたらと思っていました。けれど、シュタイン伯爵…トーマス様の妾になる事が決まって、もうあの人に会えない、会いたくないと思って姿を消したんです」


「きっとあの方もご自分の家のせいで同じ様に思って、名前を言わなかったんでしょうね。今顔を合わせても何もおっしゃらないのは、ローズさんが元気で幸せそうにしているから、今更自分が出る幕は無いと考えているんでしょう。

 私はローズさんはレイモンド坊ちゃまが一番大切だと知っていますし、シュタイン伯爵への気持ちもあるのも分かっています。けれどマーガレット様のおっしゃった様に、あの方と一度きちんとお話をするのも良いと思います」お二人共、ずっと忘れずにいた様ですから、とケイトは微笑んだ。


「そう…そうですね。せめてあの頃のお礼を言って、名乗り合いたいとは思います。昼食の時、いつも彼が私に林檎をくれました。あの頃の私は昼食も満足に食べられなかったから、それが分かっていた彼は、私の為に林檎を持って来てくれていたのだと思います。あの林檎は本当に美味しかった。甘くて、爽やかな酸味のある林檎なんです」

「だから、ハンカチの刺繍は林檎だったんですね」

「はい」ケイトに答えたローズは、もう迷っていなかった。

 ただあの頃の幸せで、けれど苦い思いをフリードに話して、ちゃんとお礼を言えたら良いと思った。そして出来たら、自分も彼の為に何か助けになれたら良いと願った。


 マーガレットが浴室から帰って来た時ケイトはもう寝入っていて、ローズはソファに座ったまま布を広げて熱心に刺繍をしていた。

「ローズ。こんな遅くに刺繍をしているの?早くお風呂に入って寝た方が良いわ。明日は使用人達の浄化をするんでしょう」

「ええ。もう少しで終わるから、そうしたらお風呂に入って寝るわ」

「そんな事を言って、目の下に隈が出来そうよ。今日は本当に疲れているんだから、もうやめた方が良いわ」

 布に目を落として刺し続けているローズに、マーガレットは呆れた様に言った。


「マーガレットだって、このところずっと、夜遅くまで刺繍をしていたじゃないの」

「私はローズみたいに大きな聖魔法を使えないから、その代わりお守りを沢山作ろうと思って刺繍していたのよ。それで、一体何を刺してるの」

 マーガレットはローズの手元をのぞき込むと、真っ赤な林檎の刺繍が見えた。

「もしかしたら、それはカラバン子爵令息にあげるの?」

「ええ」ローズは刺し終えて糸を留め、うなずいた。

「前にあげた物はもう真っ黒になってしまったから、これを上げて持っていて貰おうと思って」

「そう」何か聞きたげなマーガレットに、ローズは微笑んだ。


「マーガレットが言ってくれたように、明日これを渡して少し彼と話をしようと思っているの」

「ローズ。もしあなたがまだ彼を思っているのなら」

 言いかけたマーガレットに、ローズは首を振った。

「そうじゃないの。確かにあの頃の私はあの人が大切で、自覚は無かったけど、恋をしていたのだと思う。だけど私は、何も抵抗せず運命に従ったわ。嫌われるのが怖くて面と向かっては名前すら名乗らず、ただ黙ってあの人の前から姿を消した。今思うと、それが答えだったと思うの。恋をしていたけど、それだけで良かった。あの時間に救われたのは確かだから、明日お礼を言ってこの林檎を渡して、あの人が健やかに、幸せに生きていく様に祈るわ」


読んでいただき、ありがとうございます。


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