114 対決2
悪魔は掘り返した跡すら元に戻された共同墓地の前で、女神の奇跡に感謝する人々を見つめていた。目の前で獲物を奪われ、女神による奇跡を見せつけられた怒りで、悪魔の金色の瞳は揺らめき、闇の力が渦巻いていた。
何とか力を取り戻しこの場を支配しようと、悪魔はあがいて言葉を紡いだ。
「お前達、馬鹿馬鹿しいと思わないか。今さらあいつらが救われたからと言って、何が変わるというんだ。お前ら人間は皆、女神の気まぐれに付き合わされているだけと分からないのか」悪魔は一人一人と目を合わせて力を送り、それぞれの心を揺さぶろうとした。
「お前は幼い頃実の母親が死んで、信じていた乳母にも騙されただろう?母親が病に倒れた時、お前は女神に救いを求めなかったか? 女神が祈りを聞き届けなかったから、母親は助からなかったんだろう?」
アランに狙いを定め、放った悪魔の言葉は一蹴された。
「母は悔いなく生きた女性だった。強いて言えば俺が心残りだったろう。だがそれは俺が次に母に会えた時、胸を張っていられれば良い話だ」
「お前は、女神の采配を恨まなかったか? いつも人々に称賛され注目されるのは、隣にいるその男だった。お前は生まれた時からそいつと一緒で、惨めな思いをしてきただろう。ずっとその男の影で生きてきたお前も俺を頼れば主役になって、これからは思うままに振る舞えるぞ」
悪魔はアランと見比べながら、トーマスを誘った。
「俺はアランの影ではない。隣に並ぶ友だ。俺はそう言える今の自分が好きだし、お前のせいでカミラの様に別人になりたいとは思わない」
トーマスはそう言ってから「カミラも以前の彼女の方が、生き生きとして自由で、幸福そうだ」と付け加えた。
アラン、トーマスと思った様な反応が無いのに苛立った悪魔は、ローズとトムからは忌々しそうに視線をそらすと、マーサに向かって言い聞かせる様に話しかけた。
「おい、良く考えてみたらどうだ。女神がこの世界を作って、世界を支配しているのに、何故不幸が絶えないのか。あの女達だって、死んで埋められるまでに女神が助ければ良かったじゃないか。残酷な老人を、死んでから罰しても意味が無いと思わないか」
そう話しながら、悪魔はマーサにより一層強い力を注いだ。
「このお目出たい奴らの中では、お前が一番この世の理不尽が分かるだろう。お前は親によって、この家に捨てられたも同然だ。この家の中で長年虐げられていたのは、お前も一緒だろう? 何でお前が罪悪感を感じて女達に謝り続け、女神に祈らなければならないんだ。謝らなければならないのは女神の方だろう。女達が虐げられている間放っておいて、今さら天に召してどうする。
なあ、お前はそれでも女神に感謝して祈るのか?俺に従えば、俺は生きている間にお前を助けてやるぞ」
悪魔に見つめられたマーサは、今しがた包まれた清浄な空気が消え失せ、頭の中に靄がかかり始めるのを感じた。それと同時に、彼女が胸の中に秘めていた怒りや恨み、願望が、蓋を開けて出てこようともがき始めた。
(そうよ。何故両親は私を見捨てたの。あの人達は、私がこの家で苦しんでいるのを気づいていた。私が嫁いでから、どれだけお義父様とフランクに打たれ、痛めつけられたと思っているの。イブリンだって、ここに売られる前に女神様が助けていれば、恋人と幸せに生きていたかもしれないじゃない)
ふらふらと立ち上がり自分の方へ向かいかけるマーサを、悪魔は瞳を輝かせ、ニンマリと笑って見つめた。
しかしその時マーガレットのハンカチに籠められた聖魔法が、マーサの曇った思考を晴らし、足を止めさせた。
(違う、それは私が、人々がそれぞれの道を選んだ結果なんだ)
「私はここで起きた悲劇が女神様の采配とは思わないし、女神様が私たちを助けるべきとも思わない」マーサは、自分を操ろうとする金色の瞳をまっすぐに見返した。
「この世で起きている全ての良い事も悪い事も、私達人間が選んだ道が繋がって、時には絡まって起きている事よ。女神様は私たちの選択を助けることは出来ても、何を選ぶかは決められない。
決めるのはいつも自分だから、私は心に恥じない道を選べる自分でありたいと願った。だから彼女達を助けられず、何も出来ない自分を恥じて嘆き、祈り続けたの。今、女神様が彼女達に手を差し伸べ天に召して下さったのは、私たちにとって恩寵であり奇跡なのよ」
マーサは「それからあの老人、お義父様が報いを受けているのなら、それもあの人が自分で選んだ道であり、犠牲になった人々にとっては救いになる。だから無意味なんかじゃない。私は女神様に感謝するわ」と強く言い切った。
トムがマーサの横に進み出た。
「この人の言う通りだ。女神様は人の世に手出しはしない。人が始めた事は、人が終わりにしなければならない。それにうっかりお前の力を借りたら、自分が欲しいものが何かも知らないまま死んでいくだろう。生きている間お前に助けて貰うという事は、死ぬまで自分を見失うという事だ」
そういうと、トムは悪魔に向かって歩み寄った。
悪魔は力を使ってトムを押し留めようとしたが、トムは一笑した。
「残念だが、俺にはお前の力が効かない。俺は女神様では無く、お前の気まぐれに付き合わされたお陰で、この力を手に入れた。…お前が封印されていた湖畔で、カミラを操る為に湖に沈めた子どもを忘れたか?」
「お前、あの時湖に消えた子どもか⁈」
「ああ。幸い母さんの祈りが届いて、女神様の力で二人共逃げ延びた。母さんは女神様から、カミラに溜まる黒い魔力を取り除く力も賜った」
「だからか。だから、あいつの魂を食い破れなかったのか」初めて理由が分かった悪魔が、憎々し気に叫んだ。
トムが手を伸ばして悪魔を捕まえ、ローズに聖女の力を使えと叫ぼうとした時、悪魔から全ての闇の力が解き放たれ、それまでの十歳の子どもの姿から巨大な蛇に変化した。
さっきまで霧雨だった天気はいつの間にか暴風雨に変わり、カラバン子爵家の上空は真っ黒の雲に覆われ、稲妻が光っていた。
「もう許さん。聖女共々俺と一緒に道連れにしてやる」猛り狂った蛇がマーサへ迫った。「生意気なお前からだ」
「危ない」
身を縮めてうずくまったマーサをトーマスが庇い、覆いかぶさって土壁を作ろうと呪文を唱えた。アランも蛇に向かって炎を放ち援護したが、蛇のひと息でかき消されてしまった。トーマスが何とか作ろうとしていた土壁も途中で蛇の尾に打ち払われ、遮るもののない三人の前に黒い巨体が迫っていた。
ローズが聖魔法の光の矢を放ち、矢は一直線に蛇に向かい突き刺さった。
「やった!」それを見てトムが喜びの声を上げ、ローズも安堵の息を吐いた。
ところが、矢が刺さった所から身体が崩れ始めているのにも関わらず、巨体は止まらず黒々とうごめき、未だ三人へ向かって行った。
「ざまあみろ!」悪魔の大声が辺りに響き渡り、蛇が三人を飲み込もうとした時、ローズの持っていたレイモンドのダリアが宙を飛んで、蛇と三人の間に現れた。
「レイモンド」ローズは呆然としてダリアを見つめた。
宙に浮かんだダリアの花は輝きながら大きくなり、花びらを開いて固まっている三人を包み込むと、また守る様に花弁を閉じた。
花が閉じると同時に、蛇の牙が花びらを襲った。
「レイモンドの花は、壊れないわ」ローズがつぶやくと、トムが大きな息を吐いてローズにニヤリと笑った。
「さあ、俺があの蛇をぶん殴って弱らせる。君はその隙に女神様に与えられた力を全部ぶち込め」
「分かった」
二人は狂った様にダリアを攻撃している蛇の所まで走った。レイモンドのダリアは時折光る稲妻に照らされながら、少しも傷つかない姿で静かに輝いていた。
蛇の間近で速度を上げたトムは、勢いのままに突っ込み、渾身の力でその身体を殴りつけた。ローズの聖魔法の矢で崩れ始めていた胴体は、衝撃で穴が開いた。
そのまま何度も拳を振るうトムへ蛇は破壊出来ないダリアから標的を変え、向き直った。
トムを追って後から走って来たローズは、蛇の金色の瞳と目が合った時、あちらの世界の神殿で女神像に授けられた清浄な魔力が、身の内に力強く湧き上がるのを感じた。
『この力を汝に預ける。この力を用いてあちらの世界の悪魔を滅ぼしなさい』
「聖女の力で悪魔を滅ぼせ!」トムの叫びにローズは我知らず微笑みを浮かべると、自然に唇が動いて、知らなかった言葉を声に出していた。
「女神の理に従い、聖女が命じる。悪しき者、汝我が光にて滅びよ」
ローズから溢れる女神の力が無数の光の矢に変わり、蛇の身体中を貫き吸い込まれると、悪魔の蛇は塵となり消え去った。
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