11 トーマス・シュタインの葛藤
トーマスはアランの来訪の折に何度もローズの存在について話そうと思ったが、結局出来なかった。ローズのお腹には自分の子どもがいて、あと数か月もすれば生まれてくる。だがその事を知っているのはカミラと両親だけだ。
両親は自分達が妾を勧めた癖にカミラがローズを選んでくると、あの男爵家は良い噂が一つも無いと言って難色を示した。その様子を見たトーマスは、両親はカミラの言った通り自分達が選んだ令嬢を連れて来て、自分に宛がうつもりだったのだと悟った。
しかしローズが早々に妊娠した事を聞いた二人は、アマンド家に難色を示した事も忘れて、これでトーマスの実子が家を継げると手放しで喜んだ。
「良かったな、トーマス。カミラさんは立派な伯爵夫人だと思っていたが、彼女の決断のお陰でシュタイン家の後継ぎは安泰だ。お前は養子などと言っていたが、これで何一つ欠ける事は無くなったな」
「本当にね。トーマスときたら妾はいらないって言い張っていたのに、彼女が来た途端に考えが変わった様で良かったわ。
私たちがその娘に会う事は無いけれど、あなたはせいぜい大切にしてあげなさいな。子どもが一人では心許ないから、もう一人は産んでもらわないと」
トーマスは母に嫌味を言われたと分かったが、その通りなので言い返せずに黙りこくった。
カミラにはローズが妊娠してから「もうあなたの仕事は離れでは無いわ。本邸でやるべき事をなさってちょうだい」と言い渡され、大量の仕事を回された。
その上「これからは私がローズさんを監督しますから、あなたは彼女を煩わせないように」と離れに行く事さえ遠回しに禁止された。
トーマスは『カミラが離れに行く事で、ローズが辛い思いをしていなければ良いのだが』と考え心配は募ったが、自分が離れに入り浸っている間にますますカミラとの仲は冷えていたし、ローズを愛している自覚もある為、カミラへ罪悪感と引け目を感じて、離れに行く事が出来なくなった。
しかし自分が離れに行かなくなってもカミラの機嫌は悪いままだったし、子が出来た途端寄り付かなくなった自分をローズがどう思うか考えると、トーマスの焦燥は募った。
そんな日々への助けの糸の様に、アラン来訪の知らせがもたらされた。
「カミラ、アランが王都の帰りにうちに寄りたいと言ってきた」
一言告げた途端、カミラはここ最近能面の様だった顔に笑顔を浮かべ、瞳を輝かせた。
「アラン様が?いついらっしゃるの」
「明後日だ。今回は、マーガレットは領地で用事があるから一人で来るそうだ」
そう告げるとカミラの機嫌はより一層良くなり、あれこれと準備をする為足早に部屋を出て行った。
(以前からカミラはアランへ気持ちがあったが、ここまであからさまでは無かった。俺に妾を勧めて拒否すれば怒り、ローズとの仲が上手くいけば機嫌を損ね、身重の彼女を冷遇する。それなのに自分は全て望みを叶えてやりたい放題か。アランはマーガレットの事しか見ていないっていうのに、哀れな事だ。…以前の俺も、同じように哀れだったが、今は違う。俺には愛する女と子が出来たんだ。そうだ。アランの来訪をローズにも知らせた方が良いだろう。彼女に離れから出ないように言いに行かなければ)
トーマスが久しぶりに離れを訪ねると、ローズは東屋に座り一人茶を飲んでいた。
「ローズ、最近はこちらに来られなくてすまない」まず謝ったトーマスにローズは「寂しかったですけど、カミラ様からお仕事が忙しいと聞いていましたから」と言ってくれた。
カミラが離れに行かない様釘を刺しておきながら、ローズには仕事が忙しいと言っていたと知り、トーマスはうんざりした気持ちになった。
「カミラが頻繁に来て大丈夫か、嫌なことはされていないか」尋ねてみたが「カミラ様には良くして頂いています」と答えるのみで、ローズは決してカミラの悪口を言わない。
飲んでいる茶も、妊婦に良いとカミラが届けてくれたと言うが、漂ってくる香りは決して美味しそうな匂いでは無かった。
茶の一つも好きな物を選ばせて貰えないローズが可哀想で、何かあったら自分にすぐ話す様に言えば、彼女は「はい」と言って微笑んだ。だがその諦めた様な微笑に、ローズはきっと何も求めないのだろうという気がした。
トーマスはそれがまさか、自分が既にローズに見限られているせいとは思わず、あくまでもローズの控え目な気質と、カミラへの遠慮の故だと思い込んだ。
そしてここへ来た本来の目的を思い出し、明後日ガードナー伯爵が訪ねて来るが、本邸は気にせず離れでゆっくり過ごして欲しいと伝えた。ローズは「ここで静かに過ごさせて頂きます」と身の程を知っている様子で素直にうなずいた。
ローズの置かれた環境が不憫になったトーマスは、せめてアランにだけでも会わせて紹介しようかと思ったが、今までアランに会った女性達の態度とカミラのアランへの熱狂ぶりを考えると、万一の事を想像してその勇気が出なかった。
その後機嫌の良さそうなカミラに、それとなくローズをアランへ紹介した方が良いか尋ねた時「妾の存在をわざわざアラン様へ知らせるなんて、正気とは思えないわ。アラン様の耳に入れるとしたら、後継ぎが生まれたという事だけよ」と、冷え切った目で言われたのも後押しし、最後までアランに何も伝えなかった。
こうしてトーマスは、マーガレットがローズの友人で、アランには既に全てが知られているとも知らず、その日を居心地悪く乗り切った。
もしその日トーマスがアランにだけでも事の次第を打ち明けていたら、アランもおそらくマーガレットとローズの話をトーマスに教え、マーガレットと共に彼の助けになってくれた事だろう。
しかしその機会は失われ、これから進んで行く迷路のような年月を、トーマスは一人進んで行く道を選び取った。
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