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いつかあなたを  作者: Jun
悪の作る世界

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106/129

106 悪魔の覚醒

 それからマーサはタミーとクラウスに注意を払いながら日を送り、ひと月が過ぎた。フリードと話した通りタミーを洗濯場の下女として配置したので、マーサ自身が邸内でタミーに会う事は無かったが、出来るだけ庭に出た際に洗濯場に回り、陰から彼女の働きぶりを確認した。そんな時タミーはいつも、背中にクラウスを背負って懸命に手を動かして洗濯物を洗っていた。一緒に働いている下女達とも和やかに会話をしているし、赤子のクラウスも皆に可愛がられている様子だった。

(この分なら、問題なさそうだわ)

 マーサは自分がとんでもない間違いを犯したのではと心配していたので、心からホッとして息を吐いた。


 最初にタミーを案内させた古参のメイドに聞いてみても、真面目に働いていますと言うばかりなので、いつしかマーサは自分が何故タミーを雇ったのかという疑問を抱かなくなった。

 そんなある日、タミーが庭に出ているマーサを見つけると寄ってきて、ある頼みを口にした。それは、自分と下男の朝食についてだった。料理人を含めほとんどの使用人は通いの為、家族の分の朝食はマーサが用意していたが、住み込みの下男の分は、前日に料理人が残り物や何かを厨房に置いておき、それを勝手に食べている形だった。

 今まではそこにタミーも加わっていたのだが、今後は下男と自分の朝食を厨房で作りたいと頼んできたのだ。


「今までクラウスが食べる物を、料理人にお願いして別に作って貰っていたんです。けれど私が使用人の朝食を作れば、その時に一緒に作っておけます。だから少し材料を頂いてしまうのですが、私に朝食を作らせて頂けませんか」

 それを聞いたマーサは、良い案だと思い快諾した。

「そうね。赤ん坊には特別な物を作らなければいけなかったわね。すっかり昔の事で忘れていたわ。勿論構わないわよ。あなたが下男達の朝食を作ってくれたら、あの人達も温かいものが食べられて嬉しいでしょうし。材料は、必要な物を料理人に頼んでおいてちょうだい」

 マーサの返事にタミーは笑顔でお礼を言ってから、おずおずと尋ねた。

「ありがとうございます。…あのう、それとお聞きしたいのですが、もしかしたら奥様も朝食作りをされていらっしゃるのですか」


 マーサはその質問を受け、少々気まずげな表情になった。何と言っても、貴族家で女主人が朝食作りをしているなどありえない話だったからだ。

「ええ。少し事情があって、そうしているの。不思議に思うかもしれないけど、不便は無いから気にしないで」

「そうですか。もし宜しければ、私が皆様の分の朝食もお作りします。勿論、私達使用人の分とは別に、きちんとしたものをご用意出来ます。もうお気づきと思いますが、長年貴族家に勤めていたので、どんな朝食を皆様が召し上がるか分かりますので」


 タミーはマーサが喜ぶと考えていた様だったが、マーサはその申し出を断った。

「気持ちは嬉しいけど、それは結構よ。あなたは自分の仕事があるでしょう。他の事は気にしないで、洗濯場の仕事をしっかりやってくれたらそれで良いのよ」

 そう言われたタミーは「分かりました。それでは、明日から自分達の分だけ作らせていただきます」と頭を下げて洗濯場へ戻って行った。その時タミーの背中に背負われていたクラウスが、自分の方を見ている気がして、マーサは一瞬ぎょっとした。クラウスは二人が話している間声一つ上げなかったので、マーサは(良く寝ているのね)と思っていたのだが、本当は起きていたのかと驚いたのだ。

(いいえ。きっとタミーが急に動いたから、目を覚ましたのよね。起きているのに、あんなにぴくりとも動かない赤ん坊がいるはずが無いわ)

 マーサは何となく冷え冷えとした空気を感じ、無意識に腕をさすると邸の中に戻って行った。


 翌日から、言っていた通りタミーは朝食作りを始めた。通常マーサが厨房に入るより前に彼らは姿を消していたが、ごくたまに入れ違いになる事があった。

 そんな時彼らは「おはようございます。奥様」と言葉少なに挨拶をして、タミーも廊下の脇に除けて「おはようございます」と頭を下げるのが常だった。しかし時が経つにつれ、下男達は何も言わず虚ろな目つきで通り過ぎるだけになり、タミーだけが男達に囲まれて大げさに「奥様、おはようございます」と挨拶をする様になった。マーサは下男達の不気味な態度に、以前の門番の時の様な異常なものを感じた。

(下男達は今までも上品で礼儀正しいという態度では無かったけれど、平民としてのわきまえは持っていた。タミーに何か言われて態度を変えたのかしら)


 マーサはタミーに対して忘れていた不審感が蘇り、以前フリードが言っていた『平民が働きやすい神殿や商家への紹介』をした方が良いと思い始めた。

 そんな矢先、事件は起こった。

 マーサがいつもの様に、フランクの為の朝食を北棟の軟禁部屋に持って行った時、フランクの見張り役の下男が部屋の前にいない事に気づいた。

(何か急用でも出来たのかしら。鍵がかかっているとは言え、誰もいないのはまずいわ。他の下男を呼ばなければ)


 マーサは一旦朝食を持って帰り、下男を呼んで来ようと考えていると、部屋のドアが少しだけ開いていて、中から声が漏れているのに気づいた。

(何かあって部屋に入っていたのね)そう思いドアの隙間からのぞき込むと、部屋には思った通り下男とフランクが、そして思いも寄らなかった人物、タミーがいた。

(どうしてタミーがフランクの部屋にいるの?)激しく動揺したマーサは、思わず朝食の盆を揺らし、食器がカチャカチャと音を立てて鳴った。

 その音に気づいて、下男、フランク、タミーが一斉にマーサの方を振り返った。

 マーサは思わず気圧されて隠れたくなったが、私がびくびくする必要は無いと自分に言い聞かせて三人を見返し、部屋の中に入ってテーブルに朝食の盆を置いて問い質した。


「これはどういう事かしら。タミー、何であなたがこの部屋に入ってるの」マーサが厳しい目を向けると、無表情の下男がまるでタミーを守るかのように立ちはだかった。

「お前、どういうつもり。私がこの家の女主人なのよ。タミーに従って、私に従えないなら、辞めて貰う事になるわよ」マーサが目を怒らせて言うと、男の後ろでタミーが声をかけた。

「良いわ、どいて。そろそろこの人にも分からせてやらなきゃいけないから」

 男が黙って脇へどくと、タミーがうつろな瞳のフランクに寄り添っているのが見えた。


「タミー、あなた、この人の妾にでもなるつもり?生憎だけど、この人は何の力も持っていないのよ。しかも今は正気を失っているのが分かるでしょ」マーサが言い聞かせると、タミーは口角を上げて「この人に力が無いですって?」と馬鹿にした様に言った。「この人は、うんと力を持っていたわ。おかげでクラウスがこんなに大きく育った」タミーが目をやった先、粗末なソファの上に十歳位の黒いくせ毛で茶色の目の男の子が座っていた。


「クラウスって、あなたがクラウスだと言うの?あの子は赤子だったじゃない」マーサが喘ぐように言うと、少年の姿のクラウスが嗤った。

「こいつ、フランクだったか?これ程大きな恨み、怒り、憎しみを持っているとは素晴らしかったぞ。全て俺の力に変えさせて貰ったから、今はお前の言う通り何の力も持たない、抜け殻になったが。だが安心しろ、殺しはしない。

 この家にはまだまだ力が残っているし、いずれ俺がカラバン子爵家当主になる為に、こいつは生かしておく必要がある」


 マーサは恐怖に駆られて、フランクの部屋を飛び出した。

(フリード、私が間違っていた。あんな奴らを家にいれたらいけなかった)


読んでいただき、ありがとうございます。


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