103 開かれた道と交わる道
フリードはあの頃を思い出すと、未だに胸が痛い。シュタイン家に行ってから、ローズがどうなったのかも分からない。卒業して半年以上経った頃、レオンからの手紙で一度消息を聞いただけだ。
『王都に用事があって出向いた時、俺の見間違いで無ければ、ローズ・アマンドと思われる女性を見かけた。彼女は黒髪で茶色の瞳の男性にエスコートされていて、おそらくあれはシュタイン伯爵だと思う。俺が見たところ、伯爵は彼女に優しくにこやかに接していて、二人は名の通った宝飾店に入って行くところだった。彼女は、学生時代よりも健康的で元気そうだったよ。
シュタイン領で暮らしているはずの彼女が、何故王都にいたのかは分からない。だが少なくとも虐げられたり不幸そうではなかったと、君に教えておこうと思う。シュタイン伯爵夫人がどんな方かは分からないが、今の彼女の暮らしは安心出来るものらしい』
レオンからの手紙を読んだフリードは、学院時代のローズの昼食を思い出した。小さなパンを二つだけ、それがいつも彼女の食事だった。あの頃美貌だが心配になる程痩せていた彼女は、今はきちんとした昼食を取っているのだろう。彼女が幸せに暮らしていてくれたら、それ以上自分が望むことはないとフリードは思った。
フランクの精神状態はあれから回復せず、そのままレジナルドのいた部屋に軟禁状態になった。フランクが暴れると危険なので、メイドではなく住み込みの下男が、彼の世話を担当した。
フリードとマーサは領地の運営の傍ら家の中の改革も始め、まず最初にシャーロットをこの家から解放する事にした。フリードは彼女の異母弟のダニエルに手紙を書いて、シャーロットがカラバン子爵家から出た際に、ダニエルの家に戻れそうかを確認した。
ダニエルはシャーロットが自由になれるのをとても喜んでいたが、男爵家に戻ってくるのは止めた方が良いという返事を寄越した。
『フリード。
今まで長い間、俺と姉さんの橋渡しをしてくれてありがとう。姉さんが遂に自由に生きられると聞いて、本当に嬉しく思っている。
姉さんが男爵家に戻る事についてだが、あの父親が未だ当主である以上、止めた方が良いと言わざるを得ない。俺は一日でも早く家督を継いで、家を建て直したいと働きかけてはいるが、父はなかなか当主を譲ろうとしないんだ。
今の状況で姉さんが帰って来れば、良くて家のメイド、悪くすると又どこかの老人へ売り払われてしまう可能性がある。君の手紙には姉さんはまとまった額の給金を貰えると書いてあったが、それは間違いなく父に全て取り上げられるだろう。
だからその金は姉さんが自分の財産として持って、どこかで働きながら自由に暮らすのが一番良いと思う。俺の心当たりのある先は父親も関係する所ばかりなので、心苦しいがそちらで良い働き口があれば、紹介して貰えないだろうか。
俺は学院で自分には何の罪も無い様な顔をして八つ当たりをし、君に嫌な思いをさせ、後々まで迷惑をかけた。そして姉さんが自由になる知らせを貰えた今も、結局何も役に立てず、君と君の母上の情けに縋らせてもらおうとしている。本当に情けなく申し訳ないが、どうか許して欲しい。俺達に助力してくれて、心から感謝している。 ダニエル』
フリードからダニエルの返事を聞いたマーサは、シャーロットの行く先として一つ考えていた場所に打診をし、了承の返事が来てから彼女と話をした。
マーサはまずシャーロットの長年の労働への対価として、しかるべき金額を支払う事と、その上でこの家から解放され、自由になれるのだと告げた。
シャーロットは自分の手に入る金には驚き感謝したが、自分もダニエルから手紙を貰って男爵家に帰るのは止められていたので、自由と言ってもここを出てどうしたらいいのか分からないと心細そうに話した。
「このままこの家で働かせて頂く訳にはいきませんか」
そんなシャーロットに、マーサは言った。
「それは勿論構わないし、助かるわ。だけど私はあなたに、嫌な記憶しか無いここを出て、自分の人生を味わってみて欲しいと思っているの。そうは言っても、いきなり外に放り出されるのが不安というのも良く分かる。万一騙されてお金を取られてもいけないから、私から一つ行く先を提案させて貰えるかしら」
「私の行く先ですか?是非聞かせてください」
「私の友人で、ミシェルというフリードの乳母だった女性が、街で雑貨店を営んでいるの。そこで住み込みで働いてみない?前もって彼女に聞いてみたら、ぜひ一緒に働いて欲しい言ってくれているのよ。その人はこの家の事情が分かっているから、あなたは言いたくない事を説明する必要も無いわ」
シャーロットはそれを聞いて顔を明るくしたが、またすぐに心細そうな表情を見せた。
「でも雑貨店の仕事なんて私に出来るでしょうか。今まで下働きしか、やった事がありません」
マーサは明るく笑った。
「大丈夫。出来るわ、きっと。あなたは人の気持ちの分かる優しい人だから、きっとミシェルとうまくやれるし、お客様にも好かれるはずよ」
「それなら、是非やらせて下さい。…私、自分の事を自分で決められるなんて、生まれて初めてです。奥様、ありがとうございます」シャーロットは不安そうにしながらも、希望を抱いた人特有の輝きを持つ瞳で、マーサに感謝した。
マーサから連絡を貰ったミシェルは、ほぼ十数年振りにカラバン子爵邸を訪れた。
結局ミシェルが乳母を辞めてから一度も会えていなかったので、マーサは再会を、胸躍らせて待ちわびていた。フリードが五歳でミシェルが乳母を辞めた時は、まさかレジナルドもフランクも支配しない邸で再会出来るとは、夢にも思っていなかった。
「ミシェル!」「奥様!」応接室に通されたミシェルに、マーサはドアを開けるなり駆け寄って抱き合った。それからお互いの顔を見て随分歳を取ったと言い合い、こうやってもう一度無事に会えた事を祝った。
「奥様。奥様も以前よりお元気そうですし、お邸の雰囲気も明るくなった様な気がします」
レジナルドがフリードへ遺言で家督を譲り、それを知ったフランクが正気を失った事を、マーサは手紙でミシェルに伝えていた。
「旦那様の為さった事には驚きましたし、若旦那様はお気の毒ですが、この家と奥様、坊ちゃまの為には本当に良かったと思います」
そこでミシェルの来訪を聞いたフリードが、応接室を訪れた。
部屋に入って来たフリードを見たミシェルは口元を手で覆い、言葉にならない様子で目を見開いた。彼女の乳を飲んでいた赤子が、今は優しい黒い瞳で自分を見下ろしていた。
「ミシェル、久しぶり。手紙は交わしていたけど、また会えて本当に嬉しいよ」
「坊ちゃま。私も坊ちゃまがこんなに立派になられて嬉しいです」
昔はすっぽり自分の腕の中に入っていたフリードを見上げ、ミシェルは涙が止まらなくなった。
フリードはミシェルを抱きしめると「ミシェルと母上のおかげで僕は大きくなって、今も正しく生きていられるよ」と感謝を告げた。
「辛い事も沢山あったけど、いつも手紙で励ましてくれてありがとう」
「私こそ。坊ちゃまの成長が私の生きる力で喜びでした」
それからひとしきり三人で再会を喜びあい、落ち着いてからシャーロットを部屋に呼んで、顔を合わせた。
「初めまして。シャーロットと申します」おずおずと入室して挨拶する彼女に、ミシェルは笑顔で挨拶を返した。
「初めまして。私がミシェルです。これから一緒に働いてくれると聞いて嬉しいです。よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願い致します。…あの、ご存知だと思いますが、私は本当に下働きしか経験がありません。ご迷惑をおかけすると思いますが、一生懸命努めますので、どうぞご指導ください」
「私もほとんど経験の無い所から始めたの。だからあなたも大丈夫よ。今まで何もかも自分でやっていて、最近は手が回らなくなって困っていたの。
シャーロットさんには、店番から始めて貰おうと思ってるわ。うちにいらっしゃるお客様は良い方ばかりだし、ここで何年も働いて来られたんですもの。きっとうまくやれますよ」
「ありがとうございます。頑張ります」
マーサの思った通り、気性のまっすぐな優しい二人はお互いをすぐに受け入れ、カラバン子爵家という試練を潜り抜けた者同士心が通じた様だった。
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