102 遺言3
レジナルドの手紙を読み終わったマーサは、驚きと憐れみと怒りという、複雑に入り混じった感情のままフリードの顔を見た。何から話したら良いのか分からず、考えた挙句に「フリード。この手紙は少し前に、おじい様に教えられて見つけていたんでしょう。この事を私にも黙っていたのは何故?」と尋ねた。
フリードは辛そうな顔をして答えた。
「これを読んだら、あまりに父上が可哀想だと思ったからです。父上は自分の咎では無い事で、幼い頃から虐げられてきた。自分が本当の子ではないと疑われていると、気が付いていたかもしれない。おじい様のして来た事のせいで、友人の一人も作れずに、誰にも愛されずに大人になったんです。
僕さえこの手紙を無かった事にすれば、父上は何も知らず、少なくとも子爵家を継げる。色々考えて僕に継がせようと決めたおじい様には悪いけれど、父上にはもうそれしか残っていないと思ったから」
「だけど、気持ちが変わったのね」
「はい。おじい様の手紙にある様に、父上はもう人として壊れ過ぎている。ローズを自分の妻にして、僕に見せつけようと考えるなんて、とても父が子にする事と思えません。…僕が子爵家を継いで、カラバン子爵家の闇を晴らします。父上の事はこれからの様子を見て、どうするか考えていきたいと思います」
「そうね。私もあなたがこの家を建て直す事を夢見ている。でも、この事はおじい様の言う通り、時が来るまではフランクに知られない様にしないといけないわ。これを知ったら、あの人はあなたの命を奪おうとすると思うから。きっとお義父様もそれを分かっているのね」
フリードとマーサはその日から大きな秘密を二人で共有し、来るべき時に備えて準備をしながら、フランクには知られない様に心を押し隠して日々を過ごした。
フリードは、ローズと人生を歩めるかもしれないという甘い夢を失ったが、おぞましい父親の存在と、祖父の遺言書という爆弾を抱えた今、むしろ彼女をこの家に巻き込まずに済んだ事を感謝し、彼女が卒業後にどの家に行かされるのかだけは知りたいと思った。
(カラバン子爵家の申し込みを断ったという事は、もっと良い申し出がアマンド男爵家にあったんだろう。それが男爵夫妻にだけでなく、彼女にも良い申し出である事を願う)
何も知らないフランクは、アマンド男爵家から婚姻を断られ、計画を台無しにされた鬱憤を晴らすように、以前に増して娼館に入り浸っていた。子爵の仕事はほとんど全てマーサに丸投げして良い気味だと思っていたが、それはマーサとフリードの二人には好都合で、フランクにとっては自分の首を絞めているだけだった。
フリードはレオンに、アマンド男爵家との婚姻にまつわる全てを打ち明けた。レオンが自分の恋の為に色々してくれた事に感謝していたし、自分一人で抱えきれないおぞましい出来事を、誰かに聞いて欲しかった。
カラバン子爵家が送った婚姻申し込み書に、アマンド男爵家から断りの手紙が来た事。それを読んだフランクが怒りに任せて本心を口走り、結婚が承諾されたらマーサを離縁して、自分がローズを娶ろうと計画していたと話すと、レオンは身震いした。
「…だから、結婚は断られてしまったけど、彼女の為を思えばそれで良かったと思うんだ。レオンには沢山手伝って貰ったのに、良い知らせが出来ず申し訳ない」
レオンはそう言って頭を下げるフリードをじっと見ていたが、深く息を吐いてこう言った。
「フリード。俺は以前からお前を尊敬していたが、この話を聞いて一層その気持ちが深まった」
「何を突然言い出すんだよ」フリードは話している間フランクへの怒りが蘇り、感情が荒ぶっていたのだが、急に褒められ力が抜けた。
「だってそうだろう。フリードはどれだけひどい目に遭っても、自分から相手を陥れたり、全てを諦めて悪に走ろうとしないじゃないか。俺がお前なら、何をしたって悪く言われるんだから、一つや二つの悪事を働いているさ。
お前の父親みたいに、性根が腐ってしまってもおかしくないだろう。なのにお前は、いつでも真っすぐ前を見て、物事の良い面を探してる。そしていつも努力を惜しまない姿を見せるから、俺みたいな噂に惑わされた人間にさえ、真実を悟らせてくれたんだ。
今回だってお前は自分が失恋した事より、彼女が巻き込まれなくて良かったと言ってるじゃないか」
「それは母と幼い頃面倒見てくれた乳母が、僕の心を守ろうとしてくれたからだよ。二人がいてくれなければ、きっと僕もとっくに壊れていた」
「そうか。俺も、微力ながらお前の力になるからな。まずはアマンド男爵家が、どこの家と話をまとめたのか調べてみるよ」
「それは助かる。彼女が図書室に来たら、今度こそ話をしようと思っているんだが、図書室どころか、学院にも来ているのか分からなくて」
「分かった。任せておけ」
レオンにローズの行く先を調べてくれる様頼んでからも、フリードは変わらず昼休みに図書室へ向かった。
あの時の様に林檎を持ってローズの訪れを待ち続けたある日、フリードはいつもの席に一つの包みが置いてあることに気づいた。
誰もいないテーブルに置いてある包みは気味が悪く、教師を呼ぶか届けて処分してもらうのが普通なのに、フリードは一目見て、それはローズが自分に宛てて残して行ったものだと信じられた。
その包みの良く見える位置には、赤い林檎の刺繍がされていたのだ。
フリードはテーブルに近寄って、震える手で包みを手に取った。結び目をほどいて広げると白い布はハンカチで、中から「黒髪黒い瞳のあなたへ」と書かれた手紙が出てきた。
(僕の事だ)フリードはよろよろと椅子に腰かけ、封を開けると手紙を読んだ。
『この席で、あなたとお話出来て楽しかったです。
林檎も、ありがとうございました。とても美味しかった。
このハンカチは、林檎のお礼です。私が刺繍しました。あなたがこのハンカチを使う時、ほんの少し、私を思い出してくれたら嬉しいです。
私はもうあなたに会えませんが、私はあなたを忘れません。
この図書室の時間が大好きでした。ありがとう』
綴られた便せんの最後の行に「私の名前はローズです」と書かれているのを読み、フリードは耐え切れず涙を流した。
(ローズ、ローズ。君の顔を見て名前を呼びたかった。僕の名前はフリードだと君に伝えていたら、君は僕の名を呼んでくれただろうか)
ローズからの手紙を受け取ってから数日後、フリードはレオンからローズの行先を聞いた。
「フリード、ローズ嬢の行先が分かったんだ」
フリードは胸の内ポケットに入れている、ローズのハンカチを無意識に押さえ「どこの家だい?」と尋ねた。
「それが意外というか…。およそ考えつかなかった家なんだよ」
「それは、どういう意味だ。彼女にとって悪い場所という事なのか?」
顔色を変えるフリードにレオンは困惑を隠さず、どこの家だったのかを教えた。
「それが、シュタイン伯爵家なんだ」
フリードはシュタイン伯爵家の事を、何も知らなかった。その家がどうして考え付かない家なのか皆目見当がつかず、レオンに更に尋ねた。
「レオン、済まない。僕は全くシュタイン伯爵家の事を知らないんだが、その家の何がそんなに意外なんだろう」
レオンは相手が伯爵位だから、俺もそこまで情報が無いんだが、と前置きして「まず、相手はまだずいぶん若い。数年前に学院を卒業したばかりで、しかも評判も良い男なんだ。妻も健康で同い年、夫婦仲も悪くは無いらしい」
「そんな家にどうしてローズが売られるんだ」
「本当のところは分からんが、まずアマンド男爵家はシュタイン伯爵家の傘下だから、そのつながりはあるだろう。それとシュタイン伯爵夫妻は結婚して五年程経つが、まだ子どもがいない。これが原因だと考えるのが妥当かと思う」
「ローズはその人と子どもを作る為に、売られたという事か」
仕方ないと分かっていたのに、目の前が暗くなる思いでフリードはつぶやいた。
林檎を食べて「美味しい」と笑った彼女の顔が思い浮かび、レオンの前なのに不覚にも涙がこぼれた。
「フリード。辛い気持ちは分かる。だけど相手が若くて、その上良い人間という評判なのは、彼女にとっては幸運だ。お前にはこの意味がよく分かるだろう」
そう言われたフリードは、自分の家にいるダニエルの異母姉シャーロットを思った。今までダニエルもシャーロットも気の毒には思ってきたが、結局自分には他人事だったんだと痛感した。今ローズの境遇を思うと、フリードの胸は引き裂かれた。
「レオン、よく分かるよ。だからこそ彼女がうちに来ないで済んで良かったと、心から思う。だけど理解するのと、心が痛むのは違うものなんだな」
涙を流すフリードの肩を抱き、レオンはそのまま黙って横にいてくれた。
読んでいただき、ありがとうございます。
続きが読みたいと思っていただけたら、ブックマーク、評価(下の方にある☆☆☆☆☆)、いいねで応援してくださると嬉しいです!




