第2章 6:ヴァーラナ襲撃
1516年、秋。ロムル帝国とオゥテム・テォルカ王国との国境にある都市、イェルサーラ。数世紀に亘ってダラハーン教の《聖地》であり続けたその都は、再びカリァスタ教の《聖地》となった。
都内の至る所でロムルの兵士達が祝杯をあげている中、騒がしさから離れた城壁の一角で、ナァセは複雑な心持ちを抱えていた。
「浮かない顔だね。」
酒を片手に、カーラナが隣に座った。
「都を追い出された人たちのことを思ったら、喜ぶことなんてできないよ…追い出す必要なんて、あったの?」
「これからはカリァスタ教の《聖地》として、主にロムルの民が住むことになる。都内での無用な争いを避けるためにも、仕方あるまい。」
すぐ傍に佇むウォルナードは、城壁内の賑わいに目を向ける。
「同じ《聖地》って言っても、実際に縁のある場所は都の中の別々の場所で、それも、いい具合にそれぞれの国の側に寄ってるんだから、“譲り合い”だってできたはずだよ。」
「…城壁で囲まれていなければ、或いはそれも成ったかもしれん。だが、《カリァスタ教》が《帝国》の『国教』になった頃には、既に城壁が築かれていた。加えて、《帝国》は元々1つの小国から始まって、周囲の国土を奪い或いは併合することで徐々に大きくなってきた歴史がある。今更、『城壁で囲まれた都の一部を譲り受ける』などという考えにはなるまい。」
ナァセは何も言えない代わりに、口を尖らせる。
「まぁ、そりゃ納得できないよな。」
カーラナは、笑ってナァセの頭をくしゃくしゃ撫でた。
「てゆーか、納得なんてしなくていい。“領土”とか“我が家”とか、“自分の領域”ってモノにこだわるのが〈男〉って生き物だ。アタシだって、理解できん。」
「なんでオレを見て言うんだ⁉オレだってずっと“根無し草”なんだ。“縄張り意識”とは無縁だぞ。」
カーラナに目を向けられたデァグはバツが悪くなり、つい自己弁護してしまう。
「お前の気持ちも解るが、彼等の前では口に出すな。大いに喜んでいるところに水を差すこともあるまい……居心地が悪いなら、早々に帰るか?“裏方”の我々が同席する必要も無いしな。」
「…うん。」
ウォルナードの申し出に、ナァセは即答して立ち上がる。
「…アドムは?」
立って辺りを見回して、改めて彼がその場にいないことに、ナァセは気付いた。
「アイツは、こういうバカ騒ぎが好きなんだ。その辺で飲んでる。一応声は掛けて行くが、1日くらい遅れて来ても問題は無い。」
ウォルナードの目配せを受け、デァグは上空からアドムを探す。
「中央広場の、噴水の所にいる。それより、城門にラスォルが来てる。」
「は?」
想定外の名前が出たことに、カーラナだけでなく皆が訝る。
「俺はアドムの方に行くから、そっちは任せる。」
ウォルナードはすぐに動いた。デァグはオゥクルの存在に気付かせることで少年を城門に待たせ、ナァセ達と共に向かう。
「ラスォル、どうした?」
「あれ?隊長さんは?」
カーラナの問いに答えずに、ウォルナードの姿が無いことを気にする少年に、
「急ぎの用なんだろ?いいから話して。」
カーラナは急かした。
「あ・うん…なんか、50人くらいのダラハーン兵が突然やって来て、みんな戦ってる間に船に火をつけられちゃって…ぼく、戦いでは役に立てないから、とにかく急いで知らせに来たんだ。」
「50人ほど…確か、一昨日の夕刻、戦局劣勢と見て逸早く戦線を離脱した小隊がいたな。」
「ぅえっ⁉」
ウォルナードが急に話に入ってきたことに驚いてラスォルは変な声を出してしまうが、
「ベァラタの港とここの往復は、急げば2日足らず…間違いないな。」
カーラナやナァセ達は特に驚かない。
「とにかく急ぐぞ。」
何はともあれ、ウォルナードは素早く動く。
「おっさんは?」
「今のアイツは役に立たん。」
「…どんだけ飲んでんだ…」
アドムの事を訊いたデァグだが、ウォルナードの返答だけでそれは容易に想像できた。
翌日、午前中には一行はベァラタに着いた。
敵の姿が既に無いことはオゥクルの眼を通して前もって分かっており、“朱影”専属船「シァルカ号」を視認できる距離まで来て、
「帆が無い…のか?」
ウォルナードはその異変に気付いた。
「ご苦労だったな、ラスォル。そんで、済まねぇ、ウォルナード。見ての通りのザマだ。」
ルクァンが甲板から声を掛けた。
「一戦交えてる間に帆に火を点けやがって、そしたら戦いもそこそこに、帝国の船を2隻かっぱらって、何処ぞへ行っちまいやがった。」
「どういう事だ?」
カーラナもデァグもワケが分からず顔を見合わす。
「自軍の“敗北”を早々に確信した連中だ、腹癒せに帝国の“何処か”を襲撃する可能性は十二分…ベァラタでないとすると…」
ウォルナードが考えを巡らせ始めると、
「その船、どっちに行ったの?」
「…南だな。」
ナァセに訊かれ、ルクァンは船の去った方角を見た。
「北の手近な所を攻めるなら、最初から陸路にするはず…帝国の船を奪い、残りはすぐには追って行けない状態にしたとなると―」
「わざわざカッサドラを迂回して、エィギア海かアデーラ海に…?」
ウォルナードの推測に、ナァセが続けた。
「態々迂回はしたとしても、その先は、なるべく近い所にするだろうな。」
「エィギア海なら、陸路を行けば間に合うか?」
「カッサドラを横断して、か?どちらかと言えば友好国とはいえ、安全とも言えん。それに、2度山を越える必要もある。」
カーラナの提案を「現実的ではない」とウォルナードは却下。
「けど、シァルカ号の修理だって、まだかかるんだろ?」
「帆を作るほどの布が、すぐには用意できんからな…あと1日以上は要るだろうよ。」
デァグに訊かれ、帆柱を見ながら、船長は答えた。
「小さい帆船がある…」
ナァセは、港の一点を見る。
「わたしとデァグなら、あれで行ける。」
「帆船…て、オレ⁉」
「厳密には、オゥクル。速く正確に進むのに『眼』が要る。」
「つまり、オレだな。」
「…わかった。だが、無茶はするな。」
一瞬躊躇いを見せたが、ウォルナードは許可した。
「お嬢!これを持ってきな!」
帆船に乗ったナァセにルクァンが中身の詰まった大きな袋を投げ、デァグが受け取った。
「大して無ぇが、二人なら10日分ぐれぇにはなる。」
食糧のようだ。
「ありがとっ!」
短く礼を言って、ナァセは船を出す。
「あまり飛ばすなよ。速く進めても、力尽きたら意味が無ぇ。」
帆を調整しながら、デァグが忠告した。
「わかってる。」
まだ見えぬ船影を追うため、ナァセは水平線を見つめる。
小舟の身軽さもあって、10日後には、エィギア海への入り口、クレゥタス諸島に差し掛かる。
「ここに来るまでに追いつけると思ったんだけどな…」
未だに船影を捉えられていないことに、ナァセは少し焦りを覚える。
「帝国の船も性能がいいからな。操船術に長けてる連中だとしたら、割と速く進んじまう可能性もある。」
魚の干物を食べながら、デァグはオゥクルにも切って与える。食わず寝ずで長時間操船に集中することも度々あったので、食糧はまだ十分にある。
「そろそろ、お前にも働いてもらうぞ。」
デァグはオゥクルの頬を指で撫で、空へと放った。
「お…」
十分な高さまで昇ったオゥクルと“繋がった”デァグは、早速目当ての物らしき影を遥か前方に捉えた。
「帝国の船、2隻…間違いないな。」
「何処?」
「まだまだ沖だ。真っ直ぐ北上してる。」
陸もまだまだ先なので、一旦オゥクルを降ろした。
数時間後、漸く水平線に船を2隻視認できたので、再びオゥクルを空へ放ち、おおよその進路を見る。
「まだはっきりしないけど、十中八九、バルガッサは避けるだろ。あそこは、沖から見ても明らかに“城塞都市”だからな。」
「そうなると、次は…ヴァーラナ…」
ナァセ達にとって馴染みの深い港町だ。
「ようやく衛兵が置かれたとはいえ、兵士50人相手はさすがに厳しいか…」
「飛ばすよ。」
言うが早いか、ナァセは帆に追い風を孕ませる。
船はどちらも夜通し進み、翌日、日が高くなるまでにはナァセ達も港を視認する。
ヴァーラナの港や町に警鐘が鳴り渡る。
「間違いないのか⁉」
衛兵長は部下の報告に耳を疑った。
「はい!船は確かに帝国の物ですが、乗っているのは異国の兵どもです!」
「どういう事だ…いや、とにかく全員を港に集めろ!」
テォルカ兵の入港から5分以上遅れて、漸くナァセとデァグも港に入った。射程に入るなりデァグは弓で加勢し、ナァセも氷の刃を放つ。それにより、ヴァーラナの衛兵は二人の到着に気付いた。
「お前達は…!済まない、少し討ち漏らした。ここは我等に任せて、そちらを頼む!」
「わかった!」
「お願いします!」
お言葉に甘えて、デァグとナァセは町へ向かう。
「デァグ、何処?」
当然、オゥクルの眼を頼りに、ナァセは訊く。すぐに返答は無かったが、
「…教会の方が危なそうだ。そっちを頼む。」
言われた通り、ナァセは丘を目指す。
「さぁ、早く中へ!」
避難してくる町民を教会へ迎え入れ、最後の1人が入るのと、異国兵が近付いて来るのを確認して、神父は教会の扉を閉め、先に入った者達が準備していた閂を通した。
3人のテォルカ兵が、門扉を押したり蹴ったりを何度か繰り返す。
「クソッ閂でも掛けやがったか⁉」
「裏口を探せ!」
「裏口だ?オマエら、さっきから何やってるんだ?」
松明を手に傍観していた4人目が、変なコトを訊く。
「何って、お前…何言ってる?」
「あのな、“邪教の徒”どもがわざわざ建物に集まって閉じ籠ってくれてるんだ。丸ごと焼いちまえば済むだろうが。」
とんでもない事を吐かしやがる、という反応を示す者もいるが、
「ああ、そりゃそうか。」
あっさり賛同する者もいる。
もう1人松明を持っていたので、二人で左右に分かれて次々と火を点けていく。
幾らか火が大きくなると、
「ぉおい、ウソだろ⁉ヤツら、教会に火を…⁉」
中の人々が気付き、悲鳴も聞こえる。火を点けた二人は実に面白そうにその様子を眺め、他の二人も呆れるだけで特に止めようともしない。
そこへ突然、渦巻く『水』が教会を包み、炎は一瞬で消えた。
中からは先刻とは違った驚きの声や、勿論安堵の声も聞こえる。
「よかった…みんな無事?」
いつの間にか扉の前に立つナァセが、中に問い掛ける。ナァセの声に気付き更に安心して、神父は全員の無事を伝えた。
「もう少し待っててね、こっち片付けるから。」
すでにテォルカ兵に対面しながら、ナァセははっきりと告げた。
「オマエが火を消したというのか…?だが、幼い姿に惑わされはせんぞ、邪教の〈魔女〉め!」
突然の出来事にしばし立ち尽くしていただけの兵士が、漸くそんな事を宣う。
「馬鹿言わないで。あなた達の神官が使う《ヰンヌ》と同じで、自然の力を借りてるだけよ。」
「フザケるな!邪教徒が《ヰンヌ》を操るというのか⁉」
「“似たようなモノ”だってば…それに、成り行きで帝国に属してて、ここの人達とも親しくしてるけど、わたしはカリァスタ教徒じゃない。あなた達にも今のところは恨みも無いから、おとなしく退いてくれれば、何もしない。」
「『何もしない』だと?小娘が、我等を相手に何ができるというのだ⁉」
“魔女”扱いしたかと思えば今度は“小娘”…忙しいヤツだ、とは思うが、ナァセは敢えて触れず、
「あなた達の戦う“気力”も“能力”も殺げる。」
真っ直ぐ、はっきりと言い放った。
そして、一瞬で片は付く。四人の手や足に正確に適度な傷を負わせ、武器を持てず立てない状態にした。
「もう大丈夫だよ。」
ナァセは教会の中に呼び掛けた。
出てきた人々が口々に礼や再会の挨拶をする中、
「なぁ、セォドラを見かけなかったか?」
宝石店の隣人が、店主の安否を問う。
「テセロさん?…わたしは港から真っ直ぐこっちに来たから…」
「あいつ、『店を守る』って言ってたけど、本当に残ったんじゃ…逃げてくる前に家から見た時は、異国兵7~8人はいたんだが…」
それを聞いて、ナァセは町の様子を確認した時のデァグの返答の“間”が気になった。
「わたし、見てくる!」
不安に駆られ、ナァセは宝石店の方へと駆け出した。
道は殆ど通らず、建物の上などをほぼ一直線に宝石店を目指し、
「デァグ!」
姿が見えたので駆け寄る途中、店の前を通る時、視界の端に“好ましくない”情景が映った。
「―っ!」
勢いを弱め数歩で止まり、しばし佇む。
一仕事終えて、呼ばれたためにナァセが来たことに気付いたデァグは、振り返り、彼女を見るが、掛ける言葉が見つけられない。
逆にその事実が、ナァセに“最悪の事態”を確信させる。
意を決し、数歩戻って、ナァセは宝石店の中を窺う。
「あぁ、やっぱり、ナァセだったか…」
店主テセロが、やや蒼白な面持ちながらも、笑顔で話す。
「他の皆はどうなったか、知ってるかい?教会へ逃げたようなんだが…」
「うん、大丈夫。みんな、無事だよ。」
「そうか、よかった…まぁ、私はこんな事になってしまったが…なぁ、正直に答えてくれ…私は、助からないか?」
玻璃の棚に凭れて床に座っているテセロの胸部には、テォルカ兵の物と思われる短剣が刺さっている。
「…今は、じっとしてるから殆ど出血してないみたいだけど、動いたら、たぶん…剣を抜いたら、確実に…」
必死に感情を抑えながら、ナァセは悲惨な事実を告げた。
「やっぱり、そうか…」
テセロは苦笑を浮かべる。
「テセロさん、どうして…みんなと逃げてれば、こんな…」
「どうしてかな…商品を守りたかったわけじゃない。そんな物、くれてやっても良かったんだが…生まれ育ったこの家、色んなモノの詰まったこの場所を、他人に荒らされるなんて嫌だったんだ。何としても、守りたくて、ね…ハハ…それで、このザマだよ…ちょっと、カッコ悪いな…」
「そんなコトない。テセロさん、ちゃんと守ったんだもん。奥さんやルッキアだって、きっと誇りに思うよ。」
涙を堪えながら、ナァセはなるべく笑顔に努める。
「ありがとう…」
テセロはゆっくりと右手をナァセに伸ばし、ナァセは優しく包むように両手で受ける。
「短い間だったが、君も…ナァセ、私の自慢の娘のように思っていたよ…できれば、その指輪がぴったりな君を見たかった…」
ナァセが首に提げている“蛍石の指輪”を見つめるテセロ。
「それなのに…酷な頼みで申し訳ないんだが、最期は、ナァセ、君が一思いにやってはくれないか?」
「…ぇ…?」
何を言ったのか分からなかったわけではなく、ナァセは素直に理解したくはなかった。
「“異国の男に殺される”より、その方がずっといい…済まないが…」
すぐには応えられないナァセだが、
「…うん、わかった…」
心を決め、先ずは右手をテセロの頭に添える。
「テセロさんは、眠ってて。痛くないようにするから…」
「…あり、が…と…」
笑みを浮かべながら、『安眠』術により、テセロは目を閉じた。
「テセロさん、良い夢を…どうか、安らかに…」
祈るように囁き、ナァセはテセロの胸から静かに短剣を引き抜いた。
ナァセの手から落ちた短剣の無機質な音が、店内に短く響く。
ナァセはテセロの左手を取って胸元で右手と合わせ、その温かさの失われる両手を自身の両手で包み、静寂に身を委ねる。
何分経ったか、或いは1分も経っていないかもしれないが、降り始めた雨音が静寂を搔き消す。背後に歩み寄るデァグの足音も聞こえた。
「…あの時、視えてたんでしょ…?」
少し頭を上げはしたが、ほぼ俯いたまま、ナァセは訊ねる。
「…ああ、視えてた。」
何の事かは分かるので、デァグは正直に答えた。
「じゃあ、なんで⁉」
涙と感情の溢れた目を、ナァセはデァグに向ける。が、改めて彼の姿を見たことで、感情は何処かへ追い遣られる。
先刻はテセロの方に意識が向いていたので気付かなかったが、降り出しの雨では洗い流せないほどに、デァグは血に塗れていた。
「悪ぃ。けど、あの時点で、もう…」
雨を少し含んだ長めの前髪によって表情は判りづらいが、頬の血が幾筋か洗い流されている。
「それに、その人にとって“自慢の娘”であるお前の手を、汚させるわけにもいかないから…」
少しだけ、笑みを浮かべる。
「…そんなの…」
“要らぬ気遣いだ”とでも言いたかったが、ナァセはそれ以上何も言えなかった。
強くなった雨音が、妙に煩い。
3日後。テセロの葬儀も終わり、ナァセとデァグは少し焼けた教会の修繕を手伝っていた。
「お、やっと来たか。」
壁面上部を塗装するナァセを屋根から縄で支えていたデァグが、坂を駆けて来るカーラナに気付き、それによってナァセも視認する。
「降りるね。」
縄の輪に腰掛けていたナァセは、デァグに一声掛けてから輪を抜け、飛び降りた。数歩歩み寄るナァセに対し、
「わぷ」
カーラナはほぼ勢いを落とさず、そのままナァセに抱きついた。
「よかった無事で…話を聞いて耳を疑ったけど、町の人達の入ってる教会を焼こうとするなんて、とんでもない連中だな。それに…聞いたよ、テセロさんの事…」
より一層強く抱くカーラナだが、傍目には力加減を間違えているのは明らかだった。
「放してやれぇ~窒息するぞぉ。」
上からデァグが教えてやる。
「あ、ゴメ…大丈夫?」
カーラナはすぐに開放してやり、ナァセは息を整えながら、
「ちょと…危なかった…」
「あ・うん、てゆか…大丈夫?」
カーラナは改めて訊く。その意味を、ナァセも察し、
「…うん、なんとか。」
そう言って見せた笑みが、取り繕ったようにも見える。
「いつも通り、準備のために1泊はするんだろ?」
相変わらず屋根の上から、デァグが確認する。
「アタシらもゆっくり休みたいから、今回は2泊するって。」
「そっか、じゃあ、わたし達はとりあえず、このままこっち手伝ってるね。」
「ん…じゃ、いつもの宿だから、夕飯までには戻りな。」
「うん、後で。」
軽く手を振って、ナァセは作業に戻る。
少し様子を見てから、カーラナも港へ戻った。
西の空が赤くなり始め、その日の修繕作業を終わりにした頃、珍しい男が珍しい服装で丘へ登って来た。
「船…ちょ…?」
いつもと違いすぎてナァセにもすぐには判らなかったが、黒一色で服を整えたルクァンだった。
「ちょうど切りがついたようだな…一緒に、来てもらっていいか?やっぱ一人じゃ気まずいっつうか…」
手に持った花束を見て、何の用事かは察しがつく。
「気にすることないと思うけど…いいよ。」
ナァセは快諾する。デァグは先に宿に向かった。
「…“本人”は?」
目的の場所へ向かい始めてすぐ、ナァセが問う。
「…生きてりゃ、無理矢理でも引っ張ってくるんだがな…生憎、ベァラタの土の中だ。」
「…そっか、あの人も…そんな強引にじゃなくても、言えばちゃんと来たと思うよ。『いつか、ちゃんと謝りたい』って言ってたから。」
「アイツ、お嬢にはそんな事を…」
墓地に入ってすぐ、ナァセは立ち止まり、
「ほら、あそこ。お花がたくさん供えてあるトコ。」
そのお墓を指差す。
「わたしは、ここで待ってるから…」
「ああ、ありがとう。」
そこから先は、ルクァン一人で向かう。
その墓標に刻まれた名は「セォドラ・テセロ」。ルクァンは花を手向け、深々と頭を下げた。
夜、ウォルナードは宿の自室に“朱影”班を集めた。
「皆には言ってなかったが、今回の任務の結果次第で、次の任務が皇帝より約束されていた。そして、当人は不本意なようだが、此度の“聖都奪還”、陰の一番の功労者は、ナァセだ。」
「うん、それはホント、嬉しくない。」
ナァセは正直な気持ちを漏らす。
「…解るが、皇帝の前では顔にも口にも出すな。話がややこしくなる。」
「だろーね…ってオイッ⁉それって…」
そのようになることを容易に想像して笑ったカーラナだが、一瞬遅れてその事に気付き、
「十中八九、謁見を許される。」
ウォルナードはすんなり認めた。皆一様に啞然として言葉を忘れるが、
「…そんなに驚くことなの?」
ナァセだけがその重大さを解っていない。
「基本表に立たない諜報機関の中で、直接皇帝と話ができるのは幹部連中ぐらいで、皇帝直属とはいえ隠密機動隊では隊長唯一人。オレらなんざ、どデカイ手柄を立てたところで、許されるかどうか、ってトコロだからな。」
アドムがざっと説明した。
「今回の功績もあるが、“次の任務”に於て、ナァセが《要》だからな。その事は皇帝も既にご承知だ。」
「…どういう事?」
ナァセには話が全然見えてこない。
「お前は今、父方の姓として『ウェスタフェルト』を名乗っているが、それは世を…〈敵〉を欺くための、偽りの名。真の名は『ローウェンハルト』。」
「…『ローウェンハルト』って、百年以上前に滅んだ『レゥオン王国』の王家と同じ…」
「すぐにそこに思い当たるのは、流石だな。その『ローウェンハルト』だ。」
「はぇ?…ぇええ~~~っっ⁉」
「お、いい反応だな。」
一瞬間の抜けた声の後に大仰なまでに喫驚するナァセに対し、デァグたちはしっかり落ち着いている。
「ぇっ…もしかして、みんな、知ってた?」
驚いているのが自分だけなので自然とそう思うが、
「ああ。」
「ま・ね。」
知ってたようだ。
「でも、そんな素振り、一度も…」
「まぁ一応、最初は『どう接したものか』とも思ったけど…ねぇ?」
カーラナはデァグに目を向け、
「思いの外“野生児”だったからな。」
少々意地悪っぽく、デァグは言う。
「話を続けるぞ。」
ウォルナードが変わらぬ口調で言うと、何故か皆、背筋を伸ばす。
「何故『ローウェンハルト』の血を引くお前が《要》となるか、次の任務地が『モルトーヴェル』だと言えば、察しはつくな?」
「モルトーヴェル…レゥオンを滅ぼした《魔法王国》…なのは解る…けど…」
「やはり、今知ったばかりで“亡き祖国のために”と言われても実感が湧かぬか。」
「…湧かない、かな…」
何故だか申し訳なさそうにナァセは笑みを浮かべるが、
「だが、『理不尽に奪われた家族のため』であれば、話は別だろう。」
その言葉には、僅かに目の色を変えた。
帝都、皇宮。ウォルナードと共に、ナァセは皇帝に謁見する。
「其方が、そうか。」
皇帝は、しばしナァセを見据え、ナァセも、真っ直ぐ見つめ返す。
「想っていたより大分幼いのには少々驚いたが、それ故に誰も警戒しない、という事だな。其方の働きぶりは、ウォルナードから聞いた。褒美を取らせたいが、何を望む?遠慮無く申してみよ。」
「誠に光栄に存じます、皇帝陛下…それでは―」
深々と頭を下げたナァセは徐に上げながら、
「楽器を1つ、所望いたします。」
薄らと冷ややかにも見える微笑を浮かべて答えた。
「…そのような物で良いのか?邸の1つや2つ、望んでも良いのだぞ。」
「…今は、伯父と共に“定まった住処”を持たない身ですので、それは勿体無いかと。それに、ただの楽器ではありません。伯父方の故郷の、伝統や趣きのある、とても特別な物なのです。そして、その楽器を是非、カルデゥン王の御前で奏でたいと思っております。」
「ほう…“カルデゥン王の前で”か。」
その名を聞いて、皇帝は興味を示す。
「それは粗相があってはならんな。嘸かし美しい音色なのであろう?」
何やら意味を含めたような皇帝の物言いに対し、
「王が息をなさるのもお忘れになられるよう、努めます。」
ナァセも遠回しに応えた。




