第2章 4:始まりの一歩
単発の軽い振動で、ナァセは目を覚ました。
木々の枝葉と空が見える。
「気が付いたか。」
聞いたことのあるような声が聞こえ、そちらを向く。
「…おじいちゃん…にしては、若い…もしかして、ウォルナードおじさん?」
「…そうか、俺の事は聞いていたか…」
無駄に自己紹介しなくて済んで、ウォルナードはほっとする。
「ここ…島じゃない…?」
見慣れぬ木々であることに気付いて、ナァセは上体を起こし、
「―っ⁉」
胸と背中に痛みを覚える。
「まだじっとしてなきゃダメだよ!」
伯父とは反対側にいる女性が、ちょっと慌てた様子でナァセの肩を支える。
「わたし、お母さんと一緒に…」
胸部の縫われた傷痕を見つめながら、気を失う直前の出来事をぼんやり思い出す。
「お母さんは…⁉」
知らない土地で、祖父の面影のある伯父以外は知った顔のいない状況に、ナァセは激しく動揺する。
「おそらくだが…」
対照的に、落ち着いた様子でウォルナードは口を開いた。
「ルアーの…お前の母の傷は急所を外れていたから、致命傷ではあれど、即死ではなかったはずだ。だが、俺と違って『生活の中の精霊術』を好んだあいつは、残り僅かな“全力”を、お前の心臓を治すことに注いだのだろう…我々が駆けつけた時には、既に…」
それ以上ウォルナードは続けなかったが、ナァセはなんとなく悟ってしまった様子。
「それじゃ、お母さんは……お父さんは⁉おじいちゃんとおばあちゃんは…」
家族の安否を尋ねずにはいられないナァセだが、急に荷馬車が止まった。
「ちょっとアドム!怪我人が乗ってんだよ⁉」
「いや、オレに言うな…」
反射的に馭者に怒鳴ったカーラナだが、すぐに状況を理解する。因みに、海上ではずっと“周辺監視”していたデァグと愛鷹は、休憩中だ。
「荷と女を置いていけば、命だけは助けてやるぞ。」
一行を取り囲む武装した男どもの一人が、そう言い放った。
「ったく、こんな時に…」
カーラナは面倒臭そうに溜め息を漏らすが、
「いや、寧ろ幸運な連中だ。お前達、手間をかけさせて済まないが、なるべく“血”を流させるな。」
ウォルナードは部下達にそんな“注文”をつけた。
「…あぁ、なるほどね…」
何やら納得したカーラナは、ナァセを見る。
「お優しい“伯父上”だな。」
皮肉を吐きながら、アドムは臨戦態勢に入る。周囲の空気に気付いて、デァグも起きた。
5分としないうちに、片は付いた。確かに“流血”は目立っていないが、全員が何かしらの“痛み”を訴えてはいる。
「本来なら、貴様等全員“墓無き骸軀”となり、野獣や猛禽の腹を喜ばせているかもしれんのだ。命があるだけでも有難いと思え。」
ウォルナードが言い放つと、男どもはそそくさと退散した。
「スゴイ…おじさん達って、一体…」
あっという間の出来事に、ナァセは驚くばかり。
ウォルナードはすぐには応えず、しばし姪を見つめる。
「…これから、お前を“帝都”に連れて行き、新しい生活を計らってやる。馴れない土地で暫くは不安もあるだろうが、安全で平穏な暮らしにはなるはずだ。そして、俺達は、そんな暮らしとは“真逆”の事を仕事にしている。お前が知る必要は無いし、寧ろ知るべきではない。解るな?」
素性を明かせない上に、一緒には暮らせないことも、ウォルナードは仄めかす。諭されたナァセは口を真一文字に結び真っ直ぐ伯父を見つめていたが、視線を落とし、
「うん、わかった。」
素直に応えたかと思えば、すぐ傍らにいるカーラナの腰から小刀を素早く抜き、近くの木に投げつけ、小刀は見事に木に刺さった。
「あれ…となりの木、ねらったのに…」
正直に失敗を口にするナァセだが、
「いや、刺さるだけでも上出来だろ…」
デァグも他の4人も呆気にとられる。
「親父のヤツ、娘には戦い方なぞ全く教えなかったのに、孫には教えてたのか…」
ウォルナードは別の意味でも呆れるが、
「ちがうよ。」
ナァセはすぐに否定し、
「さっき、おじさんがやってた。」
などと言う。
「確かに、やってたな。」
実際に先刻ウォルナードに同じ事をやられていたカーラナが証言した。
「ちゃんと練習すれば、ちゃんとねらったトコに当てられるし、戦い方だって、教われば覚えるよ。だから…一緒にいさせて。」
再び真っ直ぐウォルナードを見つめて、ナァセは懇願した。
一旦目を閉じ、軽く溜め息をついて、ウォルナードはナァセを見つめ直した。そして、仲間を指し示しながら、
「一番古い付き合いの、アドム。お前の手当てをしてくれた、カーラナ。今は本来の姿でいるが、大抵変装している、ゼノ。俺達の『目』である“鷹使い”の、デァグ。我々は、ロムル帝国の諜報機関『緋き黄昏』の隠密機動部隊“朱影”だ。」
自分達の事を明かした。
「…“ちょーほー”?“おんみつきどー”…?」
初めて聞く言葉に、ナァセは首を傾げる。
「…“ロムル帝国”は分かるか?」
育った環境を考えれば当然の反応なので、ウォルナードはそこから始める。
「大陸の西部の、おっきな国。」
「ここも、大分東の方ではあるが、帝国領内だ。大陸には大小様々な国があって、それぞれに“王”がいることは分かるか?」
ナァセは頷いた。
「仲が悪くて常に睨み合い衝突する国もあれば、表面上は仲良くしてても隙あらば国土を奪い拡げたいと思っている…国同士の関係など大体はそんなものだが、だからといって簡単に“喧嘩”を仕掛けられるわけでもない。お前、他所の島へ行ったことはあるか?」
唐突な質問だが、ナァセは首を横に振った。
「なら、どの島に何があって、どんな人々が住んでいるのか、知らないな?遠く離れた“異国”ともなれば、尚更だ。地形や地理、国の情勢など、何の知識も持たずに踏み入るのは、結果が伴えば“蛮勇”とされるかもしれんが、基本的には“無謀”でしかない。そこで、我々のような存在が事前に敵地へ赴き、必要な情報を得て、帝国に報告する…それが『諜報』だ。だが、そのような活動は敵国内で大ぴらにやるわけにはいかないから、『隠れるように密かに』、そして『機に乗じて動く』、故に『隠密機動』。」
小難しい説明ではあったが、ナァセはなんとなくは理解した様子。
「だが、敵国や隣国の内情を探るというのは、簡単な事ではない。どの国も同様の事はしているから、当然、他国からの諜報行為を警戒してもいる。故に、バレてしまえば命の危機にも発展し得るが、そこを巧く切り抜けて、得た情報を持ち帰る必要がある。だからこそ、俺達は誰よりも強くなければならん、ということだ。」
ウォルナードは再び話を区切る。
「その上で、改めて訊くが、本当に共に来るか?」
問われたナァセは少し居住まいを正し、
「はい。」
はっきり答えた。
「…わかった。だが、今日はもう休みなさい。何から始めるにせよ、明日からだ。」
ウォルナードは『闇寂術』でナァセを半ば強制的に眠らせた。
「…いいのか?」
ナァセが寝たのを確認して、カーラナが真剣に問う。
「…仕方あるまい。それで“つらい事”を少しでも忘れていられるのなら、な。」
◇
翌日は座学のみだったが、その次の日には移動しながらの稽古を始める。
「まずは“形”だけだ。」
ウォルナードは稽古用の木製小刀をナァセに渡した。
「おじさんもそれなの?」
同じ物をウォルナードも持っている。
「当然だ。“本物”を使って、お前を傷付けないにしても、“木”で受けていてはすぐに壊れてしまう。」
「…大丈夫だと思う。」
ナァセの持つ木の小刀が、幽かに光って見える。
「…なるほど、それができるのか。」
ウォルナードは鋼の小刀に持ち換え、刃を軽く木小刀に当ててみる。
「問題、無さそうだな。」
「…どういう事?」
傍らで見ていたカーラナが理解できずにいると、ウォルナードは“試してみろ”と小刀を彼女に渡す。
「…“木”のはずなのに、凄く硬く感じる…?」
「実際、硬い。精霊術『地』の『物質硬化』だ。」
「へぇ、精霊術って便利だな。」
デァグは暢気に感心した。
先ずは防御から、最初は低速で基本的な動きを教え、次第に速度を上げていく。同時に“目”で攻撃なども覚えさせる。それを繰り返して、日が高くなる頃には一端の動きになっていた。
「スゲェ…隊長、ほとんど“本気の動き”でやってないか?」
「いやいや、まだまだ“本気”とは言えんが…子供が対処できる速さでもないわな。」
デァグもアドムも、ウォルナードとまともに手合わせしているナァセに心底驚いている。
と、前方の何かに気付いた様子のナァセがウォルナードに一声掛けてから、駆けて行く。その先には、姉妹と思われる2人の少女が困ったように木の上の方を見上げている。事情を聴いたナァセが、木に登り始めた。
「ネコか何かが、木に登ったはいいけど降りられなくなった、ってトコ?」
成り行きを見守るカーラナはそんな推測を語るが、
「さすが、島育ちだな。意外と“野生児”だ。」
デァグは少し呆れていた。
「お、当たってたな。あんな高さに…」
左は失明していながらも残った右の視力は高いデァグは、木の割と高い位置に、ネコを抱えるナァセの姿を見た。
「―てオイッッ⁉」」
彼が驚いたのは、ナァセがそこから飛び降りたからだ。カーラナやアドム、ゼノも驚きや心配を見せるが、ナァセは難無く着地した。
「あ・ゴメン、ビックリさせちゃったね。」
軽く謝りながら、ナァセは姉妹にネコを渡した。
「ぁ…ぇと、ありがとう…」
驚いたのも事実だが、妹も姉もお礼を言って、そそくさと去った。
「オマエさん、何でもアリだな。」
漸く一行はナァセに追いつき、アドムはナァセがもといた木の上を見上げる。
「あれくらいの事、俺がしょっちゅうやってるだろ。何を今更驚く?」
「そりゃウォルのは見慣れたけど、まさかこのコがやるとは思わないだろ。」
カーラナの尤もな意見に、他の三人も頷く。当のナァセはキョトンとしている。
暫く進んだところで、デァグが止まって前方に目を凝らす。
「どうした?」
「武装した連中が見える。十…何人か。こっちには来ないけど…“兵隊崩れ”の賊って感じだな。」
ウォルナードの問いに、前方を見つめながらデァグは答えた。
「まだ“そんなの”が居やがるのか…」
アドムは何やら呆れた様子。
「“兵隊くずれ”って…?」
耳馴染みのない言葉に、ナァセは首を傾げる。
「ここから少し北へ行った辺りは、十数年前までは“別の国”だったんだ。今は《帝国》の一部となって諸侯の領地になったけど、“かつての国”の軍隊の生き残りなんかが何処かに隠れ住んでて、時折、町や村を襲ったりしてんのさ。」
忌々しそうに、カーラナが説明した。
「こちらへ来ないとなると、谷合にでも向かったか…?」
ウォルナードが1つの可能性を挙げると、ナァセは顔色を変えた。
「皆、手間をかけさせて済まんが、今の俺は看過できんのでな。」
ウォルナードは手綱を握り直し、
「ナァセ、悪いがここでゼノと―」
姪の姿が無いことに気付いた。
「何処に⁉」
「いた!あそこ、崖の下!」
デァグがすぐに見つけ、
「ったく…俺も行く。馬を頼む。」
ウォルナードは馬を降り、崖を飛び降りた。
「…血筋だな…」
アドムは呆れ半分に呟いた。
「言ってる場合か?アタシらも行くよ!」
荷馬車とウォルナードの馬を預かるゼノ以外、三人は馬を急がせる。
崖の下で、ウォルナードはナァセに追いつく。
「どうするつもりだ?今日戦い方を学び始めたばかりのお前が、敵う輩ではないぞ。」
「あの子達を守れる。」
ナァセははっきり即答した。
「上から確認した。まだ二人も村には着いてない。だから、テキトーな所に隠れてもらって、わたしはそこだけ守る…それなら、いいでしょ?」
ウォルナードはしばしナァセの目を見据え、
「無理はするな。」
それだけ言って、自身は村へと直行する。
村に迫っている危機など知らない姉妹はのんびり歩いていて、突然森から出て来たナァセに驚いた。
「あ・ゴメン、またビックリさせちゃったね。」
「あなたは先刻の…どうして…?」
「賊があなた達の村に向かって行くところを、仲間の一人が見たの。それで、居ても立っても居られなくて…」
「“ぞく”って、なぁに?」
「んと…あなた達を傷つけたり、物を盗んだりする、悪い人達。」
妹の問いに、ナァセは解り易く説明した。
「何処か、隠れられる場所、ある?」
「え…と…」
突然の事で戸惑うが、
「家、すぐそこで…」
姉は、既に見えている近くの家を指差す。その時、村の向こうから喧騒や悲鳴のような声が聞こえた。
「急いで!」
ナァセに促され、姉妹は裏口から入る。
「外から開けられないように出来る?」
「あ・うん…」
「じゃ、表もそうしておいて。」
そう言って中に入る気配の無いナァセに、
「え、あなたは⁉」
姉は問うが、
「外で見張ってる。」
ナァセは屋根に上ってしまう。
屋根の天辺を表側へ出る時、この家に向かって走ってくる男女が見えた。姉妹の面影から、両親だと分かる。その二人を追って来たようで、少し後ろから男が2人近付いてくる。明らかに“武装した”者達だ。
両親が家の中に入ったのを確認し、ナァセは屋根を駆け下り、男の一人の後頭部に上から蹴りを喰らわせ、男は顔から地面に突っ込んで、そのまま気絶。
「うぉっ⁉何だ―って、ガキ⁉おいおい、そんなモン持って、何のマネだ?」
連れの男の事で一瞬驚いたが、ナァセの持っている木小刀を見て今度は嘲る。
ナァセの方は至って真剣に構え臨戦態勢に入ったので、男は威嚇のつもりで声を発して剣を振りかざす。その“隙”にナァセは突進して、正確に鳩尾を突き、続けて前のめりとなった男の背後に回り、後頭部を打って気絶させた。
「おい何の冗談だ?まだガキじゃないか…」
一息つく間も無く、次が現れた。馬に乗った賊の一人が、少し離れた所で今のを目撃したようで少し驚いていたが、すぐにこちらに向かって来る。
⦅馬はちょっと厄介かも…⦆
騎兵の相手は未経験のナァセは少し考え、炎で馬を威嚇してみる。
効果抜群で、驚いた馬は主を落として去ってしまった。
落とされた男はすぐに体勢を直し、剣を構える。
「己、小癪な!子供に化けた《魔女》か⁉」
「…あぁ、こういうコトね…」
“西方人”の《精霊術》に対する認識について伯父から教わったナァセは、実際に身に受けて、半ば呆れる。
男は意を決したかのように大袈裟に雄叫びを上げながら、ナァセに突進した。
「来るんだ…」
男の蛮勇に再び呆れたナァセは、しゃがんで掌を地面につける。そこに無かったはずの泥濘に足を滑らせた男は派手に転倒し、透かさずナァセの当て身を受けて気絶した。
漸く一息つけたナァセのもとへ、デァグが駆け寄る。
「何だ、もう終わってたか…」
加勢に来たつもりだったようだが、倒れている男3人を見て、不要を悟った。
「あ、気をつけて。そこ、ぬかるんでるよ。」
「は?おっっ!」
言われて気付いたデァグは、巧みに馬を跳ねさせて泥濘を避けた。
「何でここだけ?」
「わたしがやったから。」
「?…ああ、『精霊術』か。よく咄嗟に思いついたな、そんなコト。」
「“とっさに”じゃないよ。ついこの前、イノシシ相手に同じコトやったから。」
「猪て…なるほど。」
ナァセが島育ちであることを思い出し、デァグは妙に納得した。
「なんだ、大丈夫そうだな。」
続いてカーラナもやって来て、その後からウォルナードが来るのも見えたナァセは、全部片付いたと悟って、家の中に無事を伝えた。
姉妹に事情を聞いた両親は、礼に夕食と一晩の宿を申し出たが、
「気持ちだけ頂いておく。我々は俗世の“裏側”で動く存在だ。下手に関わらない方がいい。」
ウォルナードは断った。それでも引き下がる様子を見せないので、
「それなら、アタシらにくれようとしてた“一宿一飯”、或いは同じくらいの“施し”を、別の誰かに与えてやってくれないか?できれば、2人以上に。で、重要なのはここから。その人達にも、同じように『恩義を“返す”のではなく“次に渡す”こと』を伝えてほしい。そうやって『恩義の波紋』が広がっていけば、世の中、ちょっとは善くなるから、さ。」
カーラナが代替案を示した。それで納得した両親は、改めて礼を言って深々と頭を下げた。
一行は、負傷させた賊の内、歩けぬ者達は荷馬車に積んで縛りつけ、歩ける者達は両手を縛って荷馬車の後ろに連ね、これから向かう領主のもとへ連行する。因みに、ナァセは賊の乗っていた馬に乗っていくことになった。元々荷馬車に載せていた荷も然り。
村を発って再び森に入ったところで、ナァセがカーラナに問いかける。
「さっきのって、何?ぇと…“おんぎのはもん”?」
「あーあれね。アタシら、なるべく世間とは関わらないようにしてるんだけど、稀に成り行きなんかで人助けしちゃうことはあるんだ。で、大抵は今回みたいに『恩に報いたい』なんて言われるんだけど、ウォルが言ったように『はい、どうも』とは受け取れない。かといって、相手の好意をただ無下にするのも悪いから、な。あれは、言ってしまえば、相手に引き下がってもらうための“方便”だ。」
「…ステキな考えだな、って思ったんだけどな…」
“方便”などと言われて、ナァセはちょっとがっかりしてしまう。
「ま・でも、実践してくれる人もいるかもしれないから、言って損は無いだろ?」
「…確かに…」
納得した。
翌日。大陸最大の湖・カスピァネ湖に面する、アステォラーカ伯爵領、領主の都。
ウォルナードは旧知の伯爵に挨拶を兼ねて連行した賊どもを引き渡し、その間、ナァセはカーラナに連れられて服を買い髪を整えた。
次の日には出港し、2日かけて湖西岸に出て、再び陸路。馬1頭の牽く荷馬車と馬5頭とで西へ向かい、エィギア海を目指す。




