2.リディアとレイの共同生活(1)
レイとリディアの共同生活は、意外なほど穏やかに始まった。
レイは初日こそ何をするにもリディアの様子を窺い、まるで拾われてきたばかりの野良猫のようだった。しかし、三日もするとリディアの日常のルーチンを理解し始めたようで、近くに寄ってきては家事を手伝ってくれたり、薬の調合の様子をじっと眺めたりするようになった。
洗濯も掃除も、教えればすぐにこなす。薪割りなどは、リディアよりよほど手際が良かった。
「……レイは、ずっとフォシニとして生きてきたの?」
「うん」
「いつから?」
「わかんない。生まれたときから?」
洗い終えた洗濯物を一緒に干しながら、レイはあっさり答える。
物心つく前からフォシニだったということは、きっと親に売られたのだろう。
「逃げ出そうと思わなかったの?」
「思ったよ。でも、途中で捕まってぼこぼこに殴られた。さすがに死ぬかもって思ったことも、何度かあるかな」
「……そう」
そんなにもつらい経験をあまりにも淡々とした口調で話すので、返す言葉が見つからない。
「ご主人様は毎日のように俺から魔力を大量に奪っていった。魔力をたくさん奪われすぎると、体調が悪くなるんだよね。寒いし、だるいし、つらいし。でも、抵抗すると殴られるし鞭で打たれるから。ご飯を抜かれるのが一番つらいかな」
その横顔には、悲しみも怒りもなかった。長い間、彼にとってそれが当たり前の日常だったのだろう。
「何回目かの脱走かわからないけど、無我夢中で逃げてフォシニの奴隷商を見つけて売り物の奴隷たちの中に隠れたんだ。そうしたら、リディアが買ってくれた」
レイはふわっと笑う。リディアは胸の奥がぎゅっと痛むのを感じた。
「……ここでは、誰も殴らないから大丈夫」
「知ってる」
「魔力も奪わない」
「うん」
「だから、安心してね」
「うん、そうだね」
レイは濡れた服を竿にかけると、リディアのほうを振り返る。
「でも、いつか追い出されちゃうかもしれない」
レイはまっすぐにリディアを見る。
リディアはたまらず、洗濯籠を置いた。
「レイ」
彼の前に立ち、できるだけやわらかく言う。
「前にも言ったでしょう。あなたを家から追い出したりしないって」
「……今は、でしょ?」
「今も、これからもよ」
「来月は?」
「来月も」
「来年は?」
「来年も!」
リディアは真剣な表情で、言い聞かせる。
彼を追い出したりしない。だって、責任をもって独り立ちさせるための術を覚えさせると誓ったのだ。
レイは少し驚いたように目を瞬くと、嬉しそうに笑う。
「じゃあ、信じる」
「ええ、信じて」
「リディア、ずっと一緒だよ」
レイは体をかがめると、リディアにぎゅっと抱きつく。
(きっと、不安なのね)
リディアは胸に痛みを感じ、彼の背中に手を回すと優しくなでる。
レイがフォシニでない生き方をするためには、まだ時間が必要だと思った。
・・・
レイが家に来てから、十日が過ぎた。
リディアは今日も、日課である薬の調合を行っていた。
五年間、ほぼ毎日休むことなくやっている調薬。けれど、こんなにもじっと見られるとどうも落ち着かない。
「レイ。気配を消して立たないでちょうだい」
「消してないよ」
「私には消えてたの!」
「リディアが鈍いだけじゃない?」
「なかなか言うわね」
軽口を返しつつも、リディアは臼の中で薬草を砕く手を止めない。
室内には至る所に乾燥させた薬草が吊るされ、棚には色とりどりの瓶が並ぶ。複数の薬草から漂う独特の匂いに、レイから漂う石鹸の香りが混じる。
「……レイ。なんか髪の毛の色が薄くなった?」
ふと、視界の端に映るレイの見た目に違和感を覚えて、リディアは尋ねる。
奴隷商から買い取ったとき、レイの髪の毛は墨のように真っ黒だった。しかし、今はなんとなくグレーのように見える。少なくとも、墨のような黒ではない。それに、瞳の色も薄くなったような。
「そうかな? よくわかんないけど」
「そっか。気のせいかな」
まあそんなに気にすることでもないかと、リディアは思いなおす。
しばらくすると、臼の中の薬草は綺麗な粉状になった。リディアはそれを、薬屋に卸すための瓶に入れ替える。
「レイ、これ洗ってくれる」
「ん、わかった」
リディアが振り返らずに器を差し出すと、レイは素直に受け取った。
かと思えば、次の瞬間にはリディアの肩に顎をのせてくる。
「……洗ってって言ったでしょ?」
「リディアが構ってくれない」
「今仕事中なの。わかるでしょ?」
「わかんない」
「レ・イ!」
少し語気を強めると、レイは「ちぇっ、わかったよ……」と言ってしずしずと離れる。そして、不満そうに口を尖らせながらも、汚れた器を洗い始めた。




