3.レイと魔法(6)
上質な外套をまとい手袋をはめているところから察するに、おそらく貴族の屋敷に勤める使用人あたりだろう。
「どちら様ですか?」
「リディア・グリーン殿ですね?」
「そうですが……」
男はリディアの質問に返事せず、逆に聞き返してきた。リディアは警戒しつつも頷いた。
(何? もしかして、お父様が寄越したのかしら)
リディアに関係する貴族など、グリーン子爵ぐらいしかいない。もしグリーン子爵絡みだとすれば、碌な用事ではないはずだ。
ずっと前に勘当されているが、今更何かあったのだろうかと訝しく思う。
「突然の訪問をお許しください。少々、お話がございます」
男は頭を下げる。丁寧なのにどこか高圧的な態度をにじんでおり、リディアは眉根を寄せた。
「何のご用件でしょう」
「単刀直入に申し上げます。あなたのところに、フォシニの青年がいますね? その彼を、我々にお譲りいただきたい」
ドクンと心臓が鳴る。
「……譲る?」
「はい。もちろん、相応の対価はお支払いいたします」
男はそう言うと、懐から封筒を取り出してリディアに手渡す。中には銀行小切手が入っていた。
リディアは記された金額を見て、息を呑んだ。見たこともない額だ。
店舗兼家となる建物を王都の中心部に購入しても、おつりがくるだろう。下手すると一生遊んで暮らしていけるかもしれない、そのくらいの大金だ。
「……何ですか、これは?」
リディアは震える声で問いかける。
「あなたのフォシニの買い取り金額です」
男は淡々と言った。
「あなたが彼を得るために支払った額とは、比べものにならないはずです。もう十分利用したでしょう」
その言葉に、急激に胸が冷える。
はした金で買ったものなら、高く売るはず。
フォシニとして買ったなら、魔力を奪って利用するのが当たり前。
男の発言からは、そういう価値観が透けて見えた。
「お引き取りください。レイを売ることはできません」
リディアは小切手を封筒に戻し、男へ突き返す。その男はわずかに眉を上げた。
「十分な額を用意したはずですが……金額がご不満ですか?」
「違います」
「では、何がご不満かな? よくお考えください。彼一人を売ることで、あなたは一生目にすることがないほどの大金を手に入れられる」
「人を売って手に入れるようなお金は、いりません」
男の表情が、わずかに硬くなった。
「レイは私にとって、フォシニではなく大事な家族です。お金と引き換えになんて、できません」
まっすぐに男を見据えてリディアははっきりと告げる。
男は沈黙した。リディアの言葉が理解できない、というような顔だ。
「……後悔しますよ」
「後悔なんてしないわ。私は絶対にレイを売らない」
何をする気だろうと不安を感じたが、リディアは気丈に言い返す。
男は押し黙ると、残念そうな顔をした。
「仕方ありません。本日のところは、失礼いたします」
「二度と来ないでください。私の返事は変わりません」
男はただ、丁寧に礼をして背を向ける。
リディアはその姿を見送りながら、その場に立ち尽くした。
大きな口をきいていたが、実のところ心臓がばくばくだ。
(あの金額、どういうこと?)
とても普通のフォシニに支払う額ではない。
(レイは一体──)
そう思った瞬間、首に腕が回ってきて背後から抱き寄せられる。
「リディア」
「……レイ? いつ戻ったの?」
「さっき」
レイの吐息が、耳にあたる。
「俺のこと、大事な家族って言ってた」
「ええ、言ったわ」
「お金と引き換えにできないって」
「当然でしょう。レイは売り物じゃない」
強い口調でそう言うと、回された腕に力がこもった。
「嬉しい」
小さな声だった。
「すごく、嬉しい」
リディアはレイの顔を見ようと、体を捩る。レイの腕はすんなりと緩んだ。
「レイ、こっちを見て」
少し顔を上げたレイは、どこか泣きそうな顔をしている。もしかしたらレイは、あの金額を提示されたらリディアが彼を売るかもしれないと不安に思っていたのかもしれない。
リディアは自分からレイの背中に手を回すと、安心させるように軽く叩く。
こんなに大きな体で、あんなに強力な魔法を使うのに、リディアの前でだけはレイは子供のようだ。
「リディア」
「なに?」
「俺、これからもここにいていいんだよね?」
「もちろん」
「……ずっと?」
リディアは返事に迷う。
ずっと、なんて簡単に言える言葉ではない。
レイはいつか自立してリディアの元を去るのだから。
リディアは少し考えてから、言葉を紡ぐ。
「あなたがここにいたいと思うあいだは」
レイは満足げに微笑むと、リディアをぎゅっと抱きしめる。
「リディア、ずっと一緒にいようね。離れるなんて、絶対に許さない」
耳元でささやかれる。




