3.レイと魔法(5)
幼獣たちはレイを見て、怯えたように尻尾を巻いて逃げ出す。
レイはその後ろ姿を見送ると、ゆっくりと振り向いた。
「リディア、大丈夫?」
心配そうにリディアを覗き込むレイは、いつもと変わらぬ様子だ。
リディアは言葉を失ったまま、彼を見つめる。
(どういうことなの? レイは魔法使い? でも、フォシニなんじゃ──)
頭が混乱する。
先ほどまで、目の前で起きていた光景が信じられない。
(あれは、本当にレイなの?)
自分の知っている、甘えてきて、笑って、ときどき拗ねて――そんな彼と同じ人間なのか。
「……大丈夫、よ」
ようやく絞り出した声は、かすれていた。
レイの手が、そっとリディアの頬に触れた。
優しく、壊れ物に触れるみたいに。
「よかった」
レイは安堵したように息を吐く。
優しいその声に、リディアは小さく震える。目の前にいるレイが何者なのか理解できず、怖かった。
その日は結局、シリルのところに連れて行くどころではなく、リディアはまっすぐに家に戻った。
夕食を食べてても、お風呂に入ってても、思い浮かぶのは日中見たあの光景だ。
リディアはソファーに座ったまま、ひざを折って体にぎゅっと引き寄せる。
(レイは本当はフォシニじゃなくて、魔法使いなのかな?)
でも、それならどうしてフォシニのふりをしたのかがわからない。レイを買った時、彼は確かにフォシニとして奴隷商に売られていたのだ。
それに、あの魔法の力もどういうことなのか理解できない。リディアが知る限り、あそこまで強力な魔法を難なく使いこなすのはシリル以外に見たことがない。つまり、レイは王宮魔術師と同等のスキルを持っているということだ。
「うー! 考えてもわかんない!」
リディアは髪の毛を乱暴に搔き乱す。
レイが何者なのか考えるけれど、答えは見つからない。
「よし! 本人に聞いてみよう」
何か事情があってフォシニのふりをしているなら、その理由を聞いて助けになってあげたいと思う。
そのとき、「リディア、上がったよ」と呼ぶ声がした。
振り返ると、風呂上がりのレイがいた。髪の毛は濡れており、ぽたぽたと水滴がしたたり落ちている。
「レイ。髪の毛はきちんと拭かないと風邪ひいちゃうって言ったでしょ」
リディアはレイが持っているタオルを奪い取ると、ガシガシとレイの頭を拭く。何度も注意しているのに、一向に直す気配がない。
少し伸びてきた前髪越しに目が合うと、レイはふわりと笑った。
「どうして笑ってるの?」
「リディアにこうやってもらうの好きだなと思って」
「……さてはわざと濡れたまま出てきているわね?」
リディアは頬を膨らませる。
レイは楽しげにくすくすと笑った。
「……ねえ、レイ。レイは魔法使いなの?」
「よくわかんない。見よう見まねでやったら、使えた」
「見よう見まね?」
リディアは呆気にとられてレイを見つめる。
魔法使いの素質がある人でも、魔法を使うのにはある程度の訓練が必要だとされている。それなのに、なんの訓練も受けずにあんな高度な魔法を使えるなんてあり得るのだろうか。
「じゃあ、フォシニだったって言うのは嘘なの?」
「本当だよ。物心ついたときから、ずっとフォシニ」
「え? それって、魔力を生成できるうえに、魔法も使えるということ?」
「多分?」
「それってすごいよ、レイ! つまり、純正の魔法使いってことだよね?」
リディアは興奮気味にまくしたてる。
一般的に、人は三種類に分けられる。魔法を使うもの、魔力を生成するもの、そのどちらでもないものだ。
しかし、極めてまれに魔力を生成できるうえに魔法も使える者が現れることがある。彼らがソルヴィアだ。
王宮魔術師をしている者はソルヴィアが多いと聞いたことがあるが、まさかフォシニとして扱われていた青年がソルヴィアだったとは驚きだ。
(やっぱり、早めにレイを師匠に会わせよう)
何も魔法について学んだことがないのにあれだけ魔法を使いこなせるなら、きちんと学んだらどれほど素晴らしい魔法使いになるだろう。それに、魔法を自由自在に使いこなせるようになれば、その力を活用して自立もできるはずだ。
一方のレイは、何か言いたげにリディアを見つめる。
「レイ、どうかしたの?」
「リディアは俺のこと、怖くない?」
すがるような目で見つめられ、ハッとする。
魔獣に襲われたとき、リディアはレイに対して得体の知れない恐怖を感じた。あのときは何も言わなかったけれど、レイはそれを敏感に感じ取っていたのだろう。
「怖くないよ。だって、レイだもん」
そして、自分が肝心の言葉を言っていなかったことに気付く。
「レイ、助けてくれてありがとう」
「うん」
レイは嬉しそうに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
それは、魔獣が現れた翌日の昼過ぎのことだった。
シリルに会いに行く前に調薬をしようと、リディアは薬草と向かい合う。レイはその間に、森にウサギか鳥を捕りに行くと言って出かけていた。
ゴリゴリと薬草を挽いていると、トントンと扉を叩く音が響いた。
「ん? お客さんかな?」
たまにリディアの薬を求めて訪ねてくる者がいるので、きっと今日もそうだろう。そう思ったリディアは立ち上がると、玄関に向かう。
「はい」
扉を開けると、見知らぬ男が立っていた。




