3.レイと魔法(4)
「リディア!」
「あ、レイ。お疲れ様」
いつの間にか体験入店を終えたようで、カフェの制服から自分の服に着替えたレイが店から出てきた。
「どうだった?」
「簡単だったけど、面倒くさかった。なんか仕事に関係ないことをしきりに聞いてくる人もいてさ」
レイはうんざりしたようにため息をつく。
「はは……」
それは、リディアがさっき目撃した女性達のことだろうか。あわよくばレイと仲良くなりたいと思っていたのだろうが、レイにその気は全くなさそうだ。
リディアはレイが片手に紙袋をぶら下げていることに気付いた。来るときには持っていなかったものだ。
「レイ。それは何? 来るときは持っていなかったわよね」
「これ? 貰った。たくさん買ったからどうぞって、お客さんから」
レイは紙袋を広げて見せる。中には、菓子店の焼き菓子が入っていた。
「え! これってマダム・ウイリーの菓子店のやつ? すごい!」
マダム・ウイリーは王都でも指折りの高級菓子店で、王室も御用達にしている名店だ。値段が高いこともさることながら、あまりの人気で一般人は予約すら困難なのだ。
「リディアにあげるよ」
「え、いいよ。レイが貰ったのに悪いし」
「じゃあ、一緒に食べようよ」
「うん、それなら……」
リディアは頷く。
「よかった。帰ったら食べようね」
そう言うレイがあまりに嬉しそうで、リディアは小さく笑う。保護者懐く子供のようだ。
かくいうリディアもいつの間にか、レイを弟のように大切に思っていた。
「レイ。今日のお店で働く?」
「うーん、もう少し別のところも見たい」
「わかった。じゃあ、日を改めて探そう」
レイには独り立ちしてほしいが、無理強いはしたくなかった。
「じゃあ、このあと少し寄りたい──」
寄りたい場所があるから、一緒に行くわよ。
シリルのところに連れて行こうと思ってそう言いかけたリディアの声は、突然の「きゃあああ!」という甲高い悲鳴にかき消された。
「な、何?」
明らかに普通ではない叫び声に、リディアはびっくりして声のほうを見る。次の瞬間、木箱が砕けるような轟音が響き、向こうからたくさんの人々が駆けてくるのが見えた。
「魔獣だ! 逃げろ!」
誰かが叫んだ。リディアはひゅっと息を呑む。
(魔獣? 魔獣が現れたの?)
結界が揺らいでいるとは思っていたが、魔獣が侵入してくるほどだとは思っていなかった。
魔獣とは魔力を持った獣の総称で、概して体が大きく気性が荒い。何もしていないのに襲ってくることが多々あり、遭遇しないのが一番の防衛策だとされている。
さらに良くないことに、魔獣は魔力の持つ別の生き物を捕食する。そしてその中には、魔力を持つ人間も含まれていた。
(今魔獣に遭遇したら、真っ先にレイが襲われる!)
当の本人であるレイは状況を理解していないようで、のんびりとして逃げ惑う人々を眺めている。
「レイ! 逃げるわよ!」
「え、なんで?」
リディアは慌ててレイの手を掴むと、逃げる人々と一緒に走り出す。
そのときだ。背後から、「誰か助けて!」という女性の叫び声がした。
ハッとして、リディアは振り返る。
大型犬くらいの魔獣に子供が襲われそうになっており、母親が必死に抵抗していた。
(あの子、魔力持ちなの?)
数匹の魔獣が集まっているところを見るに、そうだとしか思えない。
(助けないと!)
考えるより先に体が動いていた。
「レイ、ごめん! 先に逃げて!」
「リディア⁉」
リディアはレイの手を離すと、まっすぐに子供のほうに走り出す。あのサイズなら、まだ幼獣だ。なんとか助け出すこともできるかもしれない。
リディアは二人の元に駆け付けると、自分も木の棒を持って構えた。力いっぱい、幼獣に向かって棒を叩きつける。キャインと悲鳴を上げて、幼獣が後ずさる。
「早く、逃げて!」
「あ……」
腰が抜けてしまったのか、母親と子供は尻もちをついたまま立ち上がらない。
そうこうするうちに、ひゅっと目の前に黒い巨体が飛び出してきた。
犬に似ているけれど、サイズは馬より大きい。
逆立つ毛は黒く、額には一本のねじれた角が生えていた。裂けた口からはしきりに涎を垂らしている。
(この子たちの親だ!)
あまりの大きさに、リディアは体を硬直させる。
巨体が地面を蹴った。
(噛まれる)
死ぬかもしれないと、覚悟する。
無意識に両手で頭を抱え込み、ぎゅっと目を瞑った。
(襲ってこない?)
一向に何も襲ってこず、恐る恐る目を開ける。
リディアは目の前の光景に、目を丸くした。
「……レイ?」
リディアと魔獣の間にはレイが立ちふさがっていた。レイは片手を魔獣に向けており、魔獣は動けなくなったかのようにピクリともしない。
(何? どういうこと?)
状況が理解できない。これはまるで、拘束魔法のような──。
「……リディアに」
ぽつりと、レイの低い声が聞こえた。
「近づくんじゃねーよ!」
次の瞬間、空気が裂けた。
魔獣の前脚が、何の前触れもなく弾け飛ぶ。肉と骨が宙を舞い、血飛沫が広がった。
魔獣が絶叫するその光景を、リディアは呆然と見つめた。
痛みから、ギャインギャインと魔獣は鳴く。
「うるさい」
レイは短く吐き捨てる。リディアが聞くことのない、冷えた声で。
レイが片手を振ると、今度は光が放たれた。
見えない業火に焼き尽くされるかのように、悲鳴を上げる魔獣の体がぼろぼろに崩れ落ちてゆく。あとには、バラバラになった魔獣の残骸が地面に散らばっていた。




