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第54話 知夏_ベランダからのノック

 当時、私は外見は年季を感じるが、室内は完全リフォームされている木造2階建ての1階に住んでいた。

 よく言えばレトロ、悪く言えばボロボロで2階に続く階段の手すりは塗装がほとんど剥げていた。セキュリティはあってないようなもので、背の低い柵は簡単に乗り越えることができ、ベランダから室内への侵入は鍵が開いていれば余裕だ。閑静な住宅地だが、夜になるとめっきり人通りが減る、そんな場所だ。

 だから仕事からの帰り道、後ろからついてくる足音にはすぐに気付いた。最初は近隣に住んでいる人かと思い、気にしなかった。

 しかし、家に帰るたびに毎日、後ろから気配を感じることに恐怖が芽生え始めた。恐怖心が決定的になったのは、ベランダに通じるドアからノック音が聞こえた時である。

 23時すぎ、ソファーに座ってテレビをみていると『コンコン』とベランダ側のドアからノックが聞こえて、私は硬直した。首の向きだけ恐る恐る変え、閉じられている辛子色の遮光カーテンを凝視した。しばらくするとまた『コンコン』と鳴り、それが『ドンドン』と鳴り始めた時に、私はパニック状態だった。

 ノックがやみ終わった後、怖くてカーテンを開けることができず、外に出ることもできず、私は電気をつけたまま、すぐにベットに潜った。人間、パニック状態になると、正常に思考回路が作動しないものである。警察に通報するという発想が頭に浮かばなかった。

 ほとんど眠ることができず、朝を迎えそっとカーテンを開けて外を確認し誰もいないことにホッとした。しかし、ドアに指紋のような跡が残っていることに気づいて、私は軽く過呼吸を起こした。

 その日、仕事を終えて帰宅するとドアの足元にセロハンテープが貼られていた。このテープをみて私の帰宅を把握しようとしていたのだろうか。

 そしてついに、私宛に会社に無言電話がかかってきた。これには恐怖以外の何者でもなかった。いやらしいことに、非通知でかかってくる。そしてついに不眠症になってしまった。

 私は自分の身の回りのことをかなり詳しく、店長に話してしまっている。会社に私宛で電話がかかってくるのがその証拠だった。家の場所だって、店長と何度か卓飲みしているからバレたんだろう。

 私は家族にも絵麻にも相談しなかった。先輩から実家にも嫌がらせがいっている、と話を聞いて親しい人に何かしらの被害が及んだらどうしよう、という思いにとらわれて身動きが取れなくなっていた。

 先輩に相談しようにも先輩とは連絡が取れず、常に寝不足のせいで正常な判断力ができる状態ではなくなっていた。

 連絡が取れなくなった私を心配して、絵麻が家まで来てくれなかったら、私は冗談抜きで精神に異常をきたしていたと思う。絵麻が家のインターホンを鳴らした時、恐怖で出ることができず、「知夏!絵麻だよ!」とドア越しに声が聞こえても偽物かもしれない、と疑心暗鬼になっていた。

 絵麻に事の経緯を説明すると、絵麻はブチ切れた。すぐにタクシーを呼んで一緒に警察に行き、私の身の回りで起きている被害を報告した。

 しかし、あのオーナーとこの一連の出来事の因果関係が立証できないため、被害届は受理されなかった。そしてお金が巻き上げられたことに関しても、それを証明できるだけの物的証拠がないため、警察としては動くことができない、と言われた時の絵麻のブチ切れ具合はすごかった。 私は心底疲れ切っていて、人ごとのように絵麻と警察のやり取りを聞いていた。

 しかし、警察もできる限りの対応はしてくれたと思う。いかつい顔をした警察官がオーナーに電話をし、事実確認を行い、もちろんあのくそ野郎は認めなかったが、私に二度と連絡を取らず、接近しないよう約束を取り付けてくれた。私は目の前でそのやりとりを聞いていた。

 警察官が「なにか伝えたいことはありますか?」と聞いてきたので、「私が納品している商品の売上げを支払ってください、と伝えてください」とお願いしたところ、一字一句間違うことなく警察官の方は伝えてくれた。しかし、あのカスの返事はこうだった。

「弁護士経由なら話を聞いてやる。こちらも騒がれて迷惑している」

 私はその返事を警察官の口から聞いて、悔しくて泣いた。こんなことがまかり通っていいのだろうか。信じられない思いだった。

 家がバレた以上、早急に引っ越した方がいいとアドバイスを受けて、私は自宅には戻らず絵麻の部屋に泊めてもらった。

 絵麻は彼氏と同棲しており、申し訳ないことに絵麻の彼氏である陸さんはリビングのソファーで寝てもらい、私は絵麻と一緒にダブルベットで寝かせてもらった。


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