第207話 ゆず_彼を愛した二人
「…あなたが風俗嬢になった経緯は絵麻から聞いてます。物凄く大変だったんだろうな、とは思います。でも、私は彼女がいるのに、彼が風俗に通っていたことが許せないんです」
うっすらと視界に膜が張って、私は慌ててお腹に力をいれた。こんな状況で泣くなんて惨めすぎる。結局のところ、私が優太を満足させて上げることが、できなかったと認めてしまうようなものだ。
黙っていた知夏さんの表情がほんの少しだけ、柔らかくなった気がした。わずかにこちらを気遣うように、ゆっくりと口を開いた。
「…ゆずさんの言いたいことは分かります。もし、付き合っている人が風俗に通っていたら、私も不愉快に思いますから」
「風俗嬢なのに…?」
「立場が違いますから」
片方の口角だけ上げて、彼女は自嘲気味に笑った。
「私は風俗嬢なので、男性が風俗を必要とする気持ちは理解しているつもりです。でも、パートナーという立場でそれを許容できるかどうかは、別問題です」
静かな時間が流れた。彼女がコーヒーを一口飲むのを見て、そう言えばまだ手を付けていなかったな、と私もコーヒーを傾ける。
すっかり冷めてぬるくなってしまったが、それでもこのコーヒーは美味しい。
「ゆずさんはノンセクシャルなんですね。それだけ美人だと野郎どもが群がってきて、大変だったんじゃないですか」
少しだけ砕けたような言う知夏さんに私は小さく噴き出した。野郎ども、とその単語を口の中で咀嚼する。確かに、野郎ども、だ。
「…そうですね。自分で言うのもなんですが。ノンセクシャルじゃなかったら、もっと人生楽しかっただろうなって思います」
「どうしてですか?」
「普通が一番だからです。付き合った人の期待に応えられないのは辛いです。努力でどうにかなる問題でもないですし。私が普通だったら、彼に辛い想いをさせることもなかった」
我慢していた涙がついに負けた。私はこれ以上、感情に負けたくなくって、細く深く息を吸う。
優太がずっと我慢していることに、私は気が付いていた。ふとした瞬間、彼が自分を諫めるように口を引き締め、伸ばしかけた手を何でもないように、首の後ろに回していたことも知っている。そして、時折、寂しそうに笑っていることも。
性欲を我慢する、ということがどういうことなのか私には分からない。それが身体的に、精神的にどのような影響を及ぼすのかも想像もできない。しかし、夏頃から優太が穏やかに笑い、今まで頓着していなかった服装にも気を利かせるようになったことを、私は嬉しい変化として捉えていた。
それが、目の前の彼女の影響であることはどうしたって認めるべき事実だ。認めたくはないけど、優太の心をすくいとったのは、私ではなく彼女だったんだな……。
私がどんなに優太を大切に愛していたとしても、必ずしも私の気持ちが報われるとは限らない。それは今まで散々、思い知ってきた。あぁ、だからこそ、大切な人の幸せを願える人間になりたい。自己犠牲とかそう美談ではなく、純粋に彼の幸せを祝えるほど、愛に溢れた人間になりたい。
そのために必要なことは、一歩近づいて理解に努めることだ。




