第208話 ゆず_普通になりたかった二人
「…青樹さんからみて、男性はどうして風俗に行くと思いますか」
彼女はゆっくりとコーヒーカップに目線を落とした。指先でゆっくりと唇をなぞり、何度か指先でトントンと叩いている。その仕草が、考え事をしている絵麻とそっくりで思わず微笑んでしまった。
「食事と同じです」
「食事?」
「食欲はご飯を食べれば満たされますが、一人で食べたとしても心まで満たされるとは、限りません。好きな人と楽しく美味しい食事を食べることによって、お腹も心も満たされると思います。それと同じことをお客様は、求めていると思っています」
知夏さんの真剣な表情に、私の質問に誠実に答えようとする誠意が伝わってきた。私でもイメージがしやすいもので、理解できるよう言葉を選んでいるのが分かる。
「もちろん、精神的な繋がりの方が、肉体的な繋がりより人生において価値が高い、という方もいらっしゃいます。私もそう思います。ただ、体の繋がりからしか生まれない精神的な繋がりはあると思いますし、それを重要視する人は少なくないと思っています」
彼女の言葉をゆっくりと咀嚼する。肉体な繋がり、というものが私には体感を伴って理解することが難しい。しかし、世間一般に、普通と呼ばれる人たちが恋人になったら肉体的な繋がりを求めることも、そこから愛を感じることも知識としては知っている。
私にはどうしたってつかみ取ることができない価値観だ。悲しいけれど、優太は私が知識としてでしか理解できない世界の、普通の人である、ということを頭ではなく心で理解しなければ、彼の幸せを手放しで祝うことはできない。
「色んな客と会って、好きになることってあるんですか」
私の質問に、知夏さんは軽く頷いた。
「風俗嬢も人ですから、お客様に恋することだってあると思います」
「青樹さんはどうですか?お客様を好きになることってありますか」
「はい、あります」
躊躇いもなく答えが返ってきた。
彼女は私が思っていたような、お金を客から巻き上げるような人ではないのだろう。すくなくとも、真剣に仕事と向き合う人だ。そもそも絵麻の親友なんだから、悪い人ではないはずだ。
「今でも好きなんですか」
「はい」
「どんな人ですか」
「真面目で、誠実であろうと努力できる人です。真面目過ぎるからもっと自分本位に生きた方が楽なんじゃない、って言いたくなるくらい、大切な人の期待に応えようと頑張っていました。彼の、誰かのために一生懸命になれるところが好きです」
図らずも目に涙があふれた。それをごまかしたくって思わず目線を漂わせる。
「そう。付き合っているんですか」
「いえ、私がこの仕事を辞めるまで待つって言ってくれたので、今はまだお客様と風俗嬢の関係です」
「いつ頃やめるんです?」
「あと10日で卒業です」
「…クリスマスの前日ですね」
「はい。この仕事を辞めたら、自分からその人に告白しようと思ってます。だから、クリスマスはその人のために取っておきたいんです」
「そうですか。…本気、なんですね?」
「もちろんです」
お互い黙って見つめ合う。
いい子なんだろうな。きっと、普通に知り合っていたら、仲良く慣れたと思う。
謝罪されなかったことに、意外にもホッとしている自分がいて軽い驚きを覚えた。
ここで、頭を下げられたら私は自分のことを負け犬のように感じていただろう。おそらく彼女は自分の仕事を真っ当しようとしただけ。それが結果的にお互いの心を繋いだんだろう。
心配そうに成り行きを見守っている絵麻がコーヒーを飲み込んだ時の音が、やけに大きく聞こえた。
辛くても現実は受け止めないと、どこにも行くことができない。私は心の中で小さく自分に頷いた。
「話、変わるんですがいいですか」
「え、はい」
キョトンとしたように、知夏さんが頷いた。
「絵麻から青樹さんはバイだと伺ってます。その、バイってどんな感じなんでしょうか」
ポカンとしている彼女に私は慌てて言い直した。
「すみません、わかりにくいですよね。性別関係なくそういう気持ちがあるって、どんな感じですか」
初めて動揺したような表情を見た。さっきとは打って変わって目線をせわしなくさまよわせ、躊躇いながらも必死で言葉を探している。
「男性を好きになれば女性として扱って欲しいし、エスコートして欲しい。…私を守るべき対象として見て欲しいし、女の子扱いされたいと思います。好きな男性には甘えられる存在でいて欲しい、と思います」
知夏さんはいったん口を紡ぐとコーヒを一口飲んだ。
「……でも、女性を好きになった時は、相手を守りたいって気持ちが強いです。自分を頼って欲しい、好きな女の子の前では常に余裕のある人間として認識して欲しい、と思います」
つまり、といったん言葉を切って、一言一言確認するようにこちらを見ていった。
「好きになる相手の性別によって、自分をどう扱って欲しいのか、考えが変わります」
「それって、同性を好きになったら男性、異性を好きになったら女性として扱って欲しい、ってことですか?」
「まぁ、そんな感じ、ですね」
頷きながら、知夏さんは「でも」と言った。
「同性を好きになることは、もう無いです」
「どうしてですか?」
「上手くいかないからです。異性を好きになったほうがずっと、…物事が上手くいくんです」
諦めたように笑う彼女に初めて親近感を抱いた。彼女も、普通、に悩んだことがある側の人間だ。
「昔は女の子ばかり好きになってしまっていたので、普通の人間になりたい、と思っていました」
私は小さく頷き微笑んだ。これが本来の彼女の顔なのかもしれない。
お互いジェンダーは異なるけれど、自身のジェンダーに悩みを抱えたことがある者同士にしかわからない、無いものねだりの笑みだった。
少しだけ、前向きに他人の幸せを喜ぶためのとっかかりを見つけた気がした。




