第169話 ゆず_好きなのに
夕飯の懐石料理は素晴らしいものだった。優太の誕生日に、と奮発した甲斐があった。彼は子供のように喜びながら、次々に料理を食べ良く飲んだ。私はそんな彼を微笑ましく思いながら、おちょこに注がれた日本酒をちびちび飲んだ。
お互いほろ酔い気分で食堂を出ると、談話室にある卓球台で翌日のランチ代をかけて卓球をした。勝負事なら絶対に負けたくない。私は浴衣の裾がはだけるのも構わず、5本先取の勝負に圧勝した。
「えぇ~、俺の誕生日なのにぃ。」
不満げに言う優太に不敵な笑みを浮かべて、「勝負は勝負だもんね。」と言った。本気で卓球をやりすぎて、せっかくシャワーを浴びたのに少しばかり汗をかいてしまった。
私は優太を誘って庭園で散歩をした。肌寒い風が心地よい。よく手入れされている日本庭園のあちこちに行燈が置かれており、竹をくりぬいたおしゃれな行燈もある。私はくりぬかれた模様をじっくりと眺めた。
もし、このような照明を室内に使用するとしたら、どのような壁紙や床材が映えるだろうか、
「あー、気持ちいいな。」
ベンチに腰掛け秋風を浴びながら、気持ちよさそうに目を閉じている優太が言った。その子供のような無防備な姿が愛おしい。私も隣に腰かけお互い無言で秋風を感じた。
「そろそろ戻ろうか。」
体冷えちゃうよ、と私の体調を気遣ってくれる。こういった気遣いが心底嬉しい。暖かい気持ちになりながら一緒に部屋に戻った。部屋に戻るとすでに敷かれている布団を見て、さすが旅館、と感心してしまった。
優太はミニ冷蔵庫を開けながら、飲み直す?と聞いてきた。私はそれには答えずに、緊張しながら黙って両手を広げた。それに気づいた優太がきょとんとした顔で見つめてくる。
「なに?今度は相撲か?それともカバディ?」
学生の頃のようなノリで優太はやや腰を落として、同じように両手を広げた。
「違うよ」
私は笑いながらそっと優太を抱きしめた。戸惑ったように息をのんだのが分かる。私は覚えている限り、自分から男性に抱き着いたのは初めての経験だった。この旅行は優太の誕生日プレゼントとして、宿代と食事代は私持ちだ。そのため、別にプレゼントは用意していない。本当はなにか贈りたかったが、そんなにお金を使わなくていい、と優太に言われたこともあり用意をしていない。
いつも我慢させてしまっている優太への感謝の気持ちと、プレゼント代わりになればと思い、私の精一杯の努力を示した。
「…いつも我慢させてごめん。一緒にいてくれてありがとう」
私は素直に自分の気持ちを囁いた。優太が小さくうなずき、私の腰にそっと腕を回す。
しばらく抱き合ったままじっとしていた。優太の息遣いがかすかに耳に届く。私は緊張しながら、無心の状態を保っていた。そうしないと嫌悪感がこみ上げてきそうだった。
他の女に獲られたくない一心で、私は優太の期待に応えられるギリギリのラインで平常心を保とうと必死だった。
優太の口が私の首筋に触れ、舐めるように動いた時には無心の状態を保つなんてとても無理だった。彼の手がそっと私のお尻をつかんだ時、自分でも驚くほどの勢いで彼を突き飛ばした。ゾッとしながら鳥肌が立った腕を両手で抱えこんだ時、優太を深く傷つけてしまったことに気づいた。
彼の驚いた目にうっすらと涙が浮かび、「ごめん。」と優太が言った。
私は心の底から申し訳なくて泣きたくなった。こんなにも優しい人を傷つけてしまう。それでも、私には優太という存在が必要だったし、彼が他の女性と付き合いたといったとしても許せるほど寛大な心はとても持てそうにない。




