第157話 優太_選べない想い
「もしもし?」
『あ、もしもし?今、忙しい?』
「いや、大丈夫」
『ほんと?良かった。もうすぐで試験だから、ちょっとだけ息抜きに声聞きたくて。』
ゆずの明るい声にホッとする。
そもそも俺が風俗に通っていることがバレたとしても隠す必要はないのでは、あくまでもお金を払ってサービスを受けているだけ、と説明すればそこまで怒らないだろう、と思いかけたがゆずの性格を考えると内緒にしといたほうが良いだろう。
軽い下ネタの話でも眉間にシワをよせるくらい、苦手意識があるようだから。ちらりとベランダにいる知夏の後ろ姿を見た。背を向けた状態で外を眺めているようだ。俺はその姿から目をそらして話を続けた。
「試験勉強、順調?」
『やれるだけのことはやったけど、わかんない。やってもやっても足りないような気がするし…』
「こんなに勉強しているなら大丈夫だよ。それに今年がダメでも、来年があるよ。」
『そうなんだけど、20代のうちに取りたいのよ』
このゆずの向上心はいったいどこから来るのか。
2級建築士の試験に1発で合格し、合格率20数%と言われている1級建築士に挑戦している。ゆずは気持ちが良いくらい自分の仕事を最優先させる。心底、建築士の仕事が好きなんだろう。
ゆずは大学の頃からずっと、将来は建築士になって自分の事務所を構えたい、と言っている。私も父のような建築士になりたい、と。建築士であるゆずの父親に会ったことは無いが、ゆずの父親が手掛けた建築物は俺でも知っているくらい有名なものだ。
社会人になっても夢を追いかけている姿は眩しく、夢中になれる仕事を手にしていて楽しそうでいいな、と思う。俺が仕事に打ち込めるのもゆずの影響が大きい。
『全然会う時間作れなくてごめんね。』
「気にしなくていいよ」
『最近、土日、何してるの?』
その質問にドキッとする。真っ先に知夏の顔が思い浮かんだ。
「…ジム行ったり、家でのんびりしているよ。あと、会社の同期と飲みに行ったり」
『ふぅん。』
なんなんだ。ふぅん、って。
「…ゆずはずっと勉強漬け?」
『そうだね。基本勉強かな。あと、月一で陶芸教室に行くくらい。後はたまにバレーボールしに行ってる』
「あぁ、前に話してた高校の?」
『そう、OBとしてね。身長だけはある方だから。
高校生は若すぎて、私、おばちゃんだったわ、と笑い声が聞こえた。俺もつられて笑う。
『再来週の旅行、楽しみだね』
「そうだな、楽しみにしてる」
そこから旅行の話になった。来週末、俺の誕生日祝いを兼ねて箱根に一泊旅行に行く。ゆずも俺も箱根に行くのは初めてだ。ゆずは話し出すと基本的に止まらない。
おしゃべり好きな性格なところも、魅力的だと思う要因の一つだが今はベランダに出ている知夏のことが気になって仕方なかった。
結局30分近く話をして、ゆずがまたね、と言ったタイミングで電話が終了した。俺はすぐにベランダのドアを開けて、ごめん、と声をかけた。
「電話、終わった?」
30分近くも待たされていたのにもかかわらず、知夏は何事もなかったかのように笑いながら振り向いた。
「彼女とはどう?いい感じ?」
柵にもたれかかりながら知夏が聞いた。秋風が彼女の髪の毛とスカートをなびかせている。
「再来週末、旅行に行ってくる」
「あら、いい感じで良かったじゃん。なによりだわ」
「本当にそう思うの?」
つい、言ってしまった。それも強めの口調で。それは言うべきではない本音だと、言ってから後悔した。
「…どうして?彼女との関係を保ちたいから、私を指名してくれてるんじゃないの?」
彼女は試すような視線を寄越してくる。両腕を組んで唇を固く引き結び、怖いくらいの真剣な眼差しで。
彼女はちゃんと牽制をしようとしてくれている。本来の目的を忘れるな、と言っているようだ。あくまでも私は風俗嬢ですよ、と意識させられる言動がふとした瞬間に伺える。…確かにきっかけは知夏が指摘した通りだ。
「…いや、ごめん。外、寒かったよね。」
俺は質問には答えず、知夏の手を取り部屋の中に誘導する。その時、初めて気づいた。外が思いのほか寒いことに。そして、彼女がストッキング1枚の素足だったことに。
「え!ベランダに置いてある靴、履いてよかったんだよ?」
「昨日の雨でびしょびしょだったから、さすがに履けなかった」
「…ごめん」
寒い外で待たせた上に女性を素足で外に放り出してしまったことに、この上ない罪悪感を感じた。
「本当にごめん。新しいストッキング買わせて。」
「いらないよ。あ、このまま部屋に上がられるのは嫌だよね?」
知夏は足の裏をはたきながら部屋に上がろうとするのを躊躇った。
「いや、全然、上がって。」
ひんやりしている彼女の手を引っ張るようにして部屋に上げた。
「たいして汚れてないから、新しいストッキング買うとか気にしなくていいよ。」
「いや、でも寒かったでしょ。」
「大丈夫。こうやってふくらはぎを鍛えていたから」
笑いながら知夏はぴょこぴょことつま先立ちを繰り返した。場を和ませようとしてくれるのが分かる。俺は自然と口元が緩んだ。
「なにか暖かいもの飲む?」
本当は抱きしめて温めたかったが、罪悪感からそれも躊躇われた。
「飲みたいな」
知 夏をソファーに座らせて寝室から掛布団を取ってくると、それで知夏をくるむ。そんなに寒くないから大丈夫だよ、と知夏はおかしそうに笑い声をあげた。
紅茶を入れて、冷蔵庫からチョコレートを取り出す。紅茶を入れたカップを知夏に手渡すと両手で包み込むように持ちながら飲み始めた。俺も知夏の隣に座り、紅茶をすすった。




